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東日本大震災の最近のブログ記事

東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集

 東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まって い ました。

 地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政 や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。

 『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。

 第35回は(株)共立土木(陸前高田市)鈴木正幸さんです。

(株)共立土木 鈴木正幸さん(51歳:震災当時)
《職種》工事課長
《啓開作業時の作業内容》技術者・オペレーター


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「その場所で暮らす人の気持ちになって」

―震災直後から、陸前高田市の道路啓開に当たられていたのですか

 いえ。私は自宅が大船渡市にあり、当日も大船渡市内の現場にいたものですから、当初は自宅待機でした。道路は津波で寸断され携帯も通じず、社長も社員も誰一人安否が分から なかったんです。また、息子夫婦と生後1カ月の孫、妊娠中の娘が私の自宅に避難してきたので、まずは身近な小さい命を守ることを最優先に行動していました。

 

―会社に合流したのはいつからですか

 3月中旬、会社の近くにある普門寺というお寺に全社員が集まり、社長から会社として道路啓開に当たるという話を聞きました。しかしその時は車のガソリンも心許なく、その日も なんとか陸前高田までたどり着いた状態でしたので、私を含め大船渡市から通勤している3人が合流したのは会社が車を手配してくれた3月下旬からでした。

 

―現地ではどのような作業を

 重機オペレーターとして広田の集積場と周辺の道路に1カ月半ほど、その後に矢作川、川原川、浜田川の3河川のがれき撤去に3カ月ほど当たりました。どこを見渡しても一面がれきの山で、その惨状に改めて驚きましたが、少しでも地域の人たちの力になることができればという気持ちも強くなりました。

 

―河川のがれき撤去はどのように

 重機2台でがれきを集積し、グラップルでキャリアダンプに積み込むという段取りで進めました。7㌧のクローラーダンプは場所を選ばずに入っていけますが、川沿いは地盤が軟弱ですし、川を越えての対岸の撤去や泥の中のがれき撤去には時間がかかりました。

 また、津波で折れた松の木が河川の中に相当数流れ込んでいました。どの松にも砂がこびりついていたので、チェーンソーの刃がすぐに摩耗して使い物にならなくなるんです よ。絶えずやすりで研いでいましたし、買い換えも頻繁でした。

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―作業をする上での注意点は

 がれき撤去と言っても、二つと同じ場所、同じ作業はありませんから、その状況に応じた臨機応変の対応が必要と感じました。また、単純にがれきを撤去するのではなく、集積場 に運んだ後の分別など先々のことを考えながら作業することが大事です。

 また、地域住民の方が不便に思っていること、お願いごとなどがあれば、すぐに対応するよう心掛けていました。地元の人が通行しづらい場所のがれき撤去を行いましたし、 道路が崩れている場所には角材を活用して、簡単な橋を通したりもしました。

 

―建設業だからこそできる手助けですね

 がれきの撤去は大事な仕事ですが、地域の中で困っている人がいれば、不便を解消して少しでも暮らしやすい状況を整えることも、私たちの役割だと思うんですよ。私自身、この場所で暮らしていたならばどう考えるかを第一に考えて動いていましたね。

 


(おわり)


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第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん



将来的には建設業協会が発行する記録誌などへの掲載を予定しております。

東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集

 東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。

 地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。

 『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認す るとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。

 第34回は(株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さんです。

(株)かねまつ建設 菊池秀明さん(42歳:震災当時)
《職種》取締役専務
《啓開作業時の作業内容》オペレーター


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「重機の力が必要だと改めて感じました」

―当日の状況を教えてください

 陸前高田市内でも内陸側の横田町で作業中でした。防災無線からは、「津波が高田松原の防波堤を超えたので避難してください」と聞こえてきました。作業を中止して、会社に戻ることにしました。高田町から国道340号線を市内に向かうと、気仙川をガレキが遡り、低い場所では道路上にもガレキがありました。それでも何が起きているのかが分からない状態でしたね。

 竹駒まで来ると国道は通れません。裏道や林道、農免道などを通り、会社までたどり着きました。会社は無事で、辺りを見回すと見慣れた風景は何もなくなっています。母親と妻がいる家に向かうと、寸前で被害を免れていました。その夜は避難所になった高田第一中学校で過ごしました。高田松原近くで部活をしていたはずの息子は、翌日、別の避難所にいることを知って再会できました。

 

―ガレキ撤去作業はいつからはじめましたか

 12日の夜、市役所の担当者から建設業関係者に声が掛かりました。13日は、重機や作業員及び現場の状況把握などを行いました。14日の朝から、重機オペレーターとして作業を開始しました。

 

―どこから作業を始めたのですか

 市の中心部に向かう国道340号線、高田第一中学校の入り口付近からです。流されてきたガレキが10m程の高さに積みあがっていました。ガレキの堆積で先が見えませんので、どこまで続くのかが不安でした。上から確認したところ、20m先までの堆積でした。その先はガレキが少なかったのですが、高田松原の松が沢山あったことを記憶しています。

 最初は、ハサミやフォークといったガレキをつかむ機械がなかったので、バケットで横によけるという作業です。とにかく車が通れるようにしました。

 その後、孤立している広田地区に道路をつなげるため、小友地区の啓開を行いました。始めのころは、孤立している地区に行けるように道路を開けることが最優先です。

 

―犠牲になられた方が多く、かなり気を使っての作業だったと思います

 流された人がいると分かっていたので、むやみに機械を動かすわけには行きません。小友地区では3人の方のご遺体を見つけました。その後は2人です。被災した方から頼まれて、家 族を探すこともありました。見つからず、なんと話して良いか分かりませんでしたね。

 

―市内の建設業者のほとんどが被災していましたね

 幸いにも私の会社は社員、建物ともに無事でした。動ける4人程で、すぐに作業を進められました。多くの会社は、代表者や建物が津波の被害に合い、会社を続けることさえも分か らない状況だったと思います。その様な中で、徐々に作業に加わる人や会社が増えて行きました。

 以前から市内業者の協会組織はあったのですが、会長は亡くなってしまいました。動ける会社が中心になって、仮の協会を立ち上げて少しずつ組織的に動くようになりました 。市役所の職員も犠牲者が多かった中で、残った職員と打ち合わせをしながら進めていきました。自宅が被災した作業員が多かったので、市役所からは食料を配給してもらいました。

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―作業を振り返ってみて感じたことや思いは

 津波にしても土砂災害などにしても、人の力だけではどうしようもない、重機の力が必要だと改めて感じました。震災当日から動くことが出来ていればと思う時もありましたが、少 しは役に立てたのかなと思います。

 


(おわり)


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第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん



将来的には建設業協会が発行する記録誌などへの掲載を予定しております。

東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集

 東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。

 地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。

 『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。

 第33回は(株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さんです。

(株)長谷川建設 吉田昭彦さん(46歳:震災当時)
《職種》営業部長
《啓開作業時の作業内容》指示役


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「動ける人は自然に集まってくるものです」

―3月11日のことを教えて下さい

 住田町の建設会社にいる時でした。「ただごとではない」と感じる揺れで、陸前高田市内の会社に戻ることにしました。途中、竹駒の現場で安否確認や避難指示をして、近くの知り合いの会社に立ち寄りました。事務員さんが「ここまで津波が来ると放送があった」と言うので、「冗談だべ、ここまで来たら高田の町がなくなるべ」と話したのを覚えています。

 まさか津波が来るとは思わず、数分話をしていると、どんどん車が住田町方面に向かって行きます。自社の役員も避難したことを知り、取り敢えず住田町の自宅に帰りました。大船渡から戻ってきた妻の話で状況を知り、市内に行こうと思いましたが家族から止められました。

 

―次の日からの動きは

 次の日、明るくなったと同時に市内に向かい、現実を目の当りにしました。「これは大変だ」と。とにかく高田を何とかしなければならないと思いましたね。道路のガレキを片付けなければ、支援も入って来られないですし、助かる命も助からないですから。

 まずは社員や協力会社の人を探しました。避難している数人に会うことができましたが、被災していてすぐには動けない状況です。その後は流されずに残った重機を探して回りました。そうしているうちに、作業が出来るというグループ会社の社長と社員の4人が出て来ました。13日の朝7時に竹駒の広場に集合することを約束して別れました。

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―13日からの作業の進め方は

 既に森林組合と消防団が大きい道路を始めていました。私たちは竹駒地区の枝線から作業を始めました。孤立している地区の状況を見て、自分たちの判断で動きました。他の会社も同じような状況だったようです。被災していない人が集まり、重機を集め、その場の判断で動いていました。動ける人は自然に集まってくるものです。3日後位からは市役所にも報告するようになりました。

 

―組織的な動きが出てきたのはいつごろですか

 1週間位で仮の協会を組織して、市役所とも連携を図りました。会長をお願いした(株)かねまつ建設さんの事務所を本部にして打ち合わせをするようになりました。最初は5社位だったと思います。

 

―代表者や社屋が被災した会社が多くありましたが

 社長が見えないから、動いて良いものか分からないという人がいたのも事実です。協会で責任を持つから手伝って欲しいと声を掛け、被災しながらも来てくれた人がかなりいました。

長谷川建設 提供

 

―自衛隊などとの連携は

 福井から来た鯖江駐屯地の方たちには、かなり助けられました。鯖江駐屯地の記念行事に3年間招待いただき、その後も当時の隊長さんとは連絡を取り合っています。

長谷川建設 提供

―陸前高田市は犠牲になられた方も多かったと思います

 私が見つけた人は、苦しんでいるような顔の人はいませんでした。突然津波に襲われたためだと思います。小さい子供を見つけると、何とも言えない思いが湧いて来ました。自分の子供と照らし合わせてしまい、「お父さん、お母さんのところに帰ってくれよ」と祈るだけでした。

 

―ガレキが片付いて来て思ったことは

 ガレキが片付いて何もなくなり、高田の町と海が平らなんだと、ふと気付きました。「津波てんでんこ」という言葉は本当だと思います。地震が来たら、とにかく高台に逃げることです。

 


(おわり)


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第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん



将来的には建設業協会が発行する記録誌などへの掲載を予定しております。

東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集

 東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。

 地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。

 『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認す るとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。

(第16回より、内陸からの後方支援を掲載しています)

 第32回は南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さんです。

南建設(株)田中一也さん(30 歳・震災当時)
《職種》取締役社長室長(震災当時:工事部)
《啓開作業時の作業内容》給油支援補助


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「素晴らしかった関係機関の適確な判断」

―震災直後はどのような動きを

 震災翌日の12日時点では工期が迫っており、通常通り現場を動かしていたのですが、岩手河川国道事務所二戸国道維持出張所と連絡を取り合う中で、私たちにも被災地の為に何か手 伝えることはないかと申し出をしました。

 その際に重機やダンプのほか、会社がスタンドとタンクローリーを所有しているので給油が可能という話をしたところ、当社が給油支援を行うことが急遽決まりました。自社 の必要量確保も心許なかったのですが、被災地の役に立ちたいとの思いから給油支援の決断をしました。

 

―スタンドを所有しているのは強みでしたね

 実は当社のスタンドは震災翌日に給油する予定だったので、給油先のローリーが津波に流されて給油不可能になり、燃料の残量が心細い状態でした。社員総出で取引先にお願いをし たところ、「被災地のためならば」と協力してくれたスタンドの皆さん、さらにはそれまで一度も取引がなかったスタンドからの協力もいただき、本当に頭が下がる思いです。

 

―現地入りは12日ですか

 そうです。重機やダンプトラックを動かすために必要な燃料が少しでも早く届けばそれだけ多くの人が助かりますので、非常に重要な役割だと気持ちが引き締まりました。携帯のワ ンセグで現地の惨状は確認していましたが、被災地に向かうことに特に怖さは感じませんでした。家族は心配していたようですが。

 

―給油作業はどちらで

 宮古市千徳です。三陸沿岸道路が国道106号付近にタッチする地点が駐機所になっており、そこに向かうよう指示を受けました。会社のスタンドでタンクローリーに給油し、ドライ バーと二人現地に向かいました。到着したのは夜の10時か11時くらいだったと記憶しています。

 駐機所にはダンプが15台から20台ほど待機しており、盛岡からの車輛もいました。車輛の数を見てその膨大な作業量が理解できました。重機は見あたりませんでした。たぶん 現地にはりついていたのだと思います。

 

―宮古まではどのルートで行ったのですか

 沿岸部の状況がつかめないので、盛岡経由で106号を使いました。東北自動車道を利用できるよう国交省の職員の方が依頼状を書いてくれて、臨時の通行許可証代わりに使わせてい ただきました。

 NEXCOの職員さんも、途中で通行規制をしていた警察関係の方も、緊急事態ということで臨機応変に対応してくれたのだと思います。どこか1カ所でも止められていたら、 宮古にはたどり着けなかったでしょう。今振り返っても、関係機関の皆さんの判断の素早さや的確さは素晴らしかったと思います。

shougen150109 (1)

 

―給油の支援はその1回ですか

 12日は維持出張所の非常用電源装置にも給油しましたし、別の社員が14日に花巻の国交省の施設で軽油を積み大船渡市でドラム缶に給油しました。また国交省以外にも仙台―宮古間 をローリーで3日間、燃料輸送を行いました。

 震災の規模からすれば、私達の支援は微々たるものだと思います。それでも今振り返ると、そこには本当に多くの方の支えがあり、給油支援が無事できたのだとしみじみ思い ます。一日も早い復興を心から祈っています。


(おわり)


バックナンバー
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん

東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集

 東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。

 地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。

 『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認す るとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。

(第16回より、内陸からの後方支援を掲載しています)

 第30回は成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さんです。

成和建設(株)民部田正道さん(59歳・震災当時)
《職種》重機車両部執行役員部長
《啓開作業時の作業内容》オペレーター


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「道路が通った瞬間を思い出して」

―現地入りの要請はどこから受けましたか

 国交省の現場を担当していた職員が水沢維持出張所から要請を受けて、翌12 日からの宮古入りが決まりました。グラップル付きのバックホウ2台とホイルローダー1台、運搬用の トレーラー3台。いずれも自社の機械です。

 問題は燃料。花巻市内も停電しており、会社からガソリンスタンドに発電機を提供して給油しましたが、それだけでは足りずに、自社の重機から燃料を抜いて宮古行きの車を 満タンにして出かけました。オペレーターは、チリ地震津波を経験している社長と私、環境部執行役員部長の3人。若い社員たちは現場に張り付いており、体が空いていたのはこの3人 だったんです。

 

―12日は何時頃から動いたのですか

 午前11時ごろに花巻を出発しました。国道465号から106号というルートを通ったのですが、ガソリンを求める車でいたるところが渋滞しており、宮古に着くまでに3時間半は要した と記憶しています。

 

―啓開作業はどこから入りましたか

 盛岡地域から来た会社と合同で、宮古警察署前を起点に国道45 号を高浜方面に向かい南下するチームと、宮古の市街地に北上するチームに分かれて啓開作業に当たりました。

 現地の様子は、何か夢でも見ているようで現実感が感じられませんでした。宮古市役所前の歩道橋に船が引っかかり、ビルの1階部分には車が吸い込まれたように詰まってい ました。そしてなんと言っても分厚く堆積したヘドロ。これを取り除くのに苦労しました。

 

―現地での食事や宿泊はどうしていたのですか

 ずっと車内泊です。車内の狭さよりも寒さが厳しく、車のヒーターを夜通し付けて何とか寝られました。

 あと恥ずかしい話ですが、食事の確保は想定外でした。現地調達できないんですよ。過去に対応した台風や土砂災害では、炊き出しで食事が提供されていたので、考えが甘か ったです。ただし当社は農業部門に参入しており、お米の在庫が豊富にありましたから、本社で炊き出しをして、現地に届けてもらいました。

 

―被災された方や、他社のオペレーターの方とは何か会話をされましたか

 建物の持ち主の方が写真や金庫などを探す際に手伝ったことがあります。見つかって喜んでいただけましたが、自分たちから何か話しかけるという雰囲気ではなかったです。

 他社のオペレーターの方も、それなりに疲れた様子ではありましたが、疲労困ぱいという程ではなかったです。年配のオペレーターも多かったですね。このような大災害の時 は、ベテランの技術だけではなく、慎重さや冷静さ、豊富な人生経験も必要と感じました。

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―民部田さんはいつまで現地での作業を

 15日までは宮古市内。16日から19日、21日から25日と田老地区に入りました。田老は宮古を上回る惨状で、まちが全滅したという感じでした。大槌町では、町からの要請もあ って、全域でがれき撤去に当たりました。現在も町の復興事業に関わらせてもらっています。

 先ごろ久しぶりに宮古に行き、他地区と比べて市街地の復興が進んでいることを実感しました。私たちが啓開した道路を、ダンプや緊急車両が通った瞬間のことも思い出しま した。


(おわり)


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第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん



将来的には建設業協会が発行する記録誌などへの掲載を予定しております。

東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集

 東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。

 地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。

 『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。

(第16回より、内陸からの後方支援を掲載しています)

 第29回は(株)小原建設(北上市)小田島 愼 さんです。

(株)小原建設 小田島 愼 さん(31歳・震災当時)
《職種》職長・オペレーター
《啓開作業時の作業内容》オペレーター


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「被災された方を思えば、自分の不便など」

―震災当日は、どこで仕事をしていたのですか

 当日は北上市内で河川の築堤工事の現場にいました。現場再開のめどが立たず一旦は待機になったのですが、国道107 号で道路のクラックや法面の崩落などが発生していたので、翌日から対応に当たりました。

 

―沿岸に最初に入ったのはいつですか

 震災から5日後です。当社で施工していた宮古市松山の現場で、橋脚にモルタルを注入する応急対応で現地入りしました。テレビでは分からない被災地という場が持つ雰囲気に、ただ驚くしかなかったのを覚えています。

 その後、会社で被災地支援に入るという話を聞いたときも、何か被災地の役に立ちたい、そして行くならば早いうちにと思い、2班体制の前半に手を挙げました。

 

―本格的な沿岸部での作業は

 地元の大坂建設さんの応援で、4月2日から山田町に入りました。バックホウ3台とがれき運搬用のダンプ1台の4台体制を取って、主に大沢地区を中心に宅地と歩道のがれき撤去に当たりました。

 バックホウ1台に対して自衛隊員が1人付き、一緒に動いていただきました。若い人が多かったのですが、規律も服装もしっかりとしていて、立派でしたね。気も張っていましたし無駄話をするような雰囲気ではなかったので、あいさつ程度しか言葉は交わしませんでしたが。

 

―現地ではどのようなことに気をつけられましたか

 やはりがれきの下に行方不明者がいるかもしれないので、手つかずの場所に入るときは緊張しました。ただし、行方不明者を見つけることも自分たちの仕事なんだと思うようにしていました。

 

―被災された方とは会われたのですか

 60代ぐらいの夫婦の方から「行方不明の娘がこの辺りにいるかもしれないから、がれきを撤去してほしい」と言われたことがありました。私としては言われた通りがれきを動かすくらいしかできないのですが、結局見つけてあげることができず、本当に悲しかったです。感謝の言葉を掛けていただいたのですが...。

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―つらいことも多かったと思います

 いえ、私は内陸の人間ですから、多少の不便があっても被災された皆さんの苦労とは比べものになりません。なので、不便やわがままな気持ちなど持つべきではないと自分自身を戒めていました。大坂建設の社員の方も、ご自身も津波の被災者であるにも関わらず、私たちがスムーズに働けるよう色々と手配をしていただき、私の方こそ助けていただきました。

 

―作業を終えた時、どのような思いを持たれましたか

 ほかの現場に入ることが決まり、会社としての一区切りが付くまで作業できなかったのは少し心残りでした。でも昨年は陸前高田市の圃場の災害復旧現場、今年からは三陸沿岸道路の現場を担当しており、復興の現場に携わらせていただいています。

 震災から3年以上を経て、記憶の風化を実感しています。復興を遂げるまでみんなで協力しながら、私自身もあの時の記憶と思いをしっかりと持ち続けていきたいと思っています。


(おわり)


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第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん



将来的には建設業協会が発行する記録誌などへの掲載を予定しております。

東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集

 東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。

 地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。

 『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認す るとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。

(第16回より、内陸からの後方支援を掲載しています)

 第28回は髙惣建設(株)(奥州市) 小野寺正晴さんです。

髙惣建設(株)小野寺正晴 さん(56 歳・震災当時)
《職種》高田営業所長
《啓開作業時の作業内容》指示役


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「会社もお金も関係なく」

―3月11 日はどのような様子でしたか

 竹駒にある高田営業所の職員を高台に避難させて、私は市街地の自宅に戻りました。市街地は避難する車で渋滞しているし、最初3メートルと言われていた津波の高さが10メートルの大津波と聞き、とりあえず犬だけ連れて営業所に戻りました。しばらくすると津波が私たちのいる場所に到達し、わずかの差で逃げずに被害に遭ったり、車ごと津波にさらわれた人もいました。

 その晩は高台で一晩中ラジオを聞いていましたが、聞こえてくるのは他市町村の情報だけ。肝心の陸前高田の詳しい状況が分からず、ひたすら夜明けを待っていました。

 

―翌日はどのような動きを

 夜明けと同時に自宅方面に向かいましたが、がれきが散乱して木材の破片や釘が飛び出しているし、砂と水とで100メートル進むのがやっと。自衛隊員が人命救助に入っており、ご遺体も数多く見かけました。

 生活物資の調達に住田町に行く途中、私たちを心配して陸前高田に向かってきた当社土木課長の小原正にばったり会ったんですよ。そこで小原課長に職員の無事を伝え、必要な資材や機械などをメモして渡し、その日のうちに対応してもらいました。

 

―道路啓開はどのような形で始まったのですか

 自衛隊や警察、消防、国交省などの関係者が集まって話し合いを持ったのは、12 日の夕方だったと思います。その時点では市からの指示は出ていませんが、動ける人が機械を持ち寄り道路を開けるしかないと考え、最初は会社もお金も関係なく5人ほどの個人の集まりで道路啓開をスタートしました。まずは高田一中前を開き、農免道から広田半島に向かうルートを通す方針も自分たちで決めました。

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―機械類は確保できたのですか

 最初はとにかく手持ちの機械をかき集めての作業です。3日後ぐらいから本社を通じて内陸のリース屋さんに声を掛けて、グラップルとキャリアダンプを各担当者に預けました。私も1年ぐらいはブルドーザーに乗り、一日の半分はブルドーザー、残りは雑用や各種調整という毎日でしたね。

 本社は私が動きやすいようにと、物資や資機材などバックアップしてくれました。また奥州市内の企業や店舗からの支援物資を避難所に届けたり、安否情報を奥州市のコミュニティーFMで放送するなど、小原課長を中心に内陸部として可能な限りの被災地支援をしていたようです。

 

―組織的な動きになったのはどの段階からですか

 作業自体は早い時期から市役所とコミュニケーションを取りながら進めていましたが、市の方針が明確になり、陸前高田市建設業協会と市との災害協定に基づく形で作業することが決まったのは1カ月後ぐらいです。以降は比較的スムーズに仕事が進みました。

 自衛隊とも毎日打ち合わせをして、機械が壊れたときは修理を手伝うなど、連携が取れていました。福井県の鯖江駐屯地の部隊で若い隊員さんも多く、当時の隊長さんは今も陸前高田に来てくれるなど交流が続いています。



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髙惣建設(株)提供:陸前高田市 2012年5月7日空撮写真


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髙惣建設(株)提供:陸前高田市 2014年5月8日空撮写真



(おわり)


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第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん



将来的には建設業協会が発行する記録誌などへの掲載を予定しております。

東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集

 東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。

 地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。

 『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認す るとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。

(第16回より、内陸からの後方支援を掲載しています)

 第27回は(株)山友建設(一関市)熊谷堅美さんです。

(株)山友建設 熊谷 堅美さん(64歳:震災当時)
《職種》大型ダンプ運転手
《啓開作業時の作業内容》大型ダンプ運転手


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「どこからどう手を付けるのだろうと思いました」

―陸前高田市での作業はいつからでしたか

 建設業協会からの要請の分は4月25日から8月12日迄で、その後も何度か行きました。作業はダンプでのガレキの運搬作業です。

 

―会社から指示を受けた時に思ったことは

 本音を言えば、出来れば行きたくない気持ちがありましたね。被災した人たちに会うのが、気が引ける気持ちでした。家が流された人や亡くなった人が、いっぱいいましたから。

 

―震災後、陸前高田市に行ったことはありましたか

 親戚がいるので、仕事以外で何度か訪れました。町そのものが無くなって、木造というのはこんなにも簡単に流されるのかと驚きました。地震の経験はありますが、津波というものは記憶がありませんでしたから。その頃から、「近いうちにも陸前高田市に行かなければならないだろう」と会社の中で話が出ていました。

 

―現地に作業に入った際、感じたことはありますか

 どこからどう手を付けるのだろうと思いました。初日の打ち合わせで指示を受けましたが、戸惑いの方が大きかったです。

 

―作業には慣れましたか

 一週間程で慣れました。建物が無いので、比較的走り易かったです。私の場合、たまたまですがパンクは1回だけです。最初の頃、病院の近くで薬品のような独特の臭いがしたのを 覚えています。

 

―作業の上で気を付けたことは

 連休明けの5月10日ごろ、それまでの市街地から広田半島の泊漁港周辺に入りました。こちらは道が狭く、自衛隊の車も入っていましたので通行に苦労しました。自衛隊と相談して もらい、集積所からの往復を山側ルートと海側ルートに分け、一方通行にしてもらいました。

 ただ、道が狭いうえに枝道があまりなく、人も歩くので神経を使いましたね。積み荷の落下防止にも十分に注意を払いました。

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―地盤沈下の影響は

 市街地でも満潮の時は水が入って来ました。市役所周辺でも水が入ってきた時は通れない道路があって、ルートを変えることがありました。

 

―つらかったことはありましたか

 広田の方で残っている家の解体が始まり、立派な家が解体されるのを見ると、なんとも言えない気持ちになりましたね。また、家の持ち主がよく見に来ていました。最初はかける言 葉もありませんでしたが、段々と話すようになりました。3回目の被害を受けたという家の人が、「もうこの場所には建てません」と言っていたのが印象に残っています。

 地元業者の人たちが多く入っていて、作業員にも被災した人たちがいましたから、言葉には気を付けて話をしました。

 

―8月12日に一区切りとなって、思ったことや作業上の教訓は残りましたか

 一応、協会としての分は終わりましたが、まだまだ先があるので、「また来なければならないのかな」と思いました。実際に何度か来ることがありました。

 教訓については、考えるゆとりがなかったと思います。

 



(おわり)


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第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん



将来的には建設業協会が発行する記録誌などへの掲載を予定しております。

東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集

 東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。

 地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。

 『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。

(第16回より、内陸からの後方支援を掲載しています)

 第26回は(株)山喜建設(一関市)三浦公夫さんです。

(株)山喜建設 三浦公夫さん(45歳:震災当時)
《職種》大型ダンプ運転手、重機オペレーター
《啓開作業時の作業内容》大型ダンプ運転手、重機オペレーター


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「誰かが困っているときに、いくらかでも役に立てれば」

―震災発生時はどちらにいましたか

 一関市藤沢町の現場にいました。現場の作業はストップとなり、片付けをしてから4時か5時ごろに家に帰りました。帰宅後にラジオを聞いて、初めて津波の事を知りました。

 数日後から、室根地区の業者で、気仙沼市の断水地域での給水支援が始まりました。私も交代で何日か行きました。現地の人は本当に水を必要としていて、その様子を見て涙が出る思いでしたね。

 

―陸前高田市での作業はいつからですか

 4月25日から今年の4月30日までの3年間です。途中、岸壁の嵩上げ作業などにも従事しました。

 千厩支部を主体とした8月12日までの作業では、ダンプでガレキ運搬。翌年1月頃から1年ほどはガレキ片付けの重機オペラーターとして、その後、ガレキの集積場での選別作業や堆積土の除塩プラントでの運搬作業に従事しました。

 

―気仙沼市での給水、その後、陸前高田市に入りましたがその時の印象は

 最初に気仙沼市に入った時は、被害状況にびっくりしたというか唖然としました。生活している人たちはどうなったのだろうと思いました。

 陸前高田市に初めて行ったときは、海から5km以上離れた橋にガレキがあって信じられませんでした。市内はどうなったのだろうと、血の気が引ける思いでしたね。

横田建設提供陸前高田市での作業の様子

―陸前高田市での作業を指示された時の思いは

 指示を受けた時は、行くしかないと思いました。誰かが困っているときに、いくらかでも役に立てればとの思いです。家族からも「気を付けて頑張って」と言われました。

 

―作業上で気を付けたことは

 安全第一で、ダンプ同士、重機とダンプ、作業員との接触に気を付けました。ダンプの数が多いので、すれ違いの際には自然に譲り合うようになりました。

 とにかく無理や無茶はしないように気を配りました。他社の重機やダンプと共同で作業するので、余計に気を配りました。重機でガレキの上に上る際には、しっかりと盤を固めました。

 

―困ったことはありますか

 ダンプのパンクが何度かあって、困りましたね。高台で営業を再開していた自動車工場で修理してもらいました。釘やビス、鉄筋、金属などが原因です。特にガレキ集積場でのパンクが多かったです。

 また、乾燥している時は、土埃が凄かったです。ダンプや重機の窓を閉めていても中に入って来ました。

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―つらい事はありませんでしたか

 いつ終わるのかなと思うことはありました。選別処理で、大きなガレキの山についた時などです。ただ、月日が経ってガレキの山が減って行くと、やった甲斐があったと思えました。

 

―最後までガレキ処理に携わった思いは

 全国から作業員が集まって、みんなで一丸となって夢中で取り組みました。だいぶ片付いたなという思いがありました。復興はまだまだですが、3年前の状況を思えば、ガレキは片付きました。出来る範囲ですが、少しでも役に立てたかなと思います。最後までいれて良かったです。



(おわり)


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第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん



将来的には建設業協会が発行する記録誌などへの掲載を予定しております。

東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集

 東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。

 地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。

 『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。

(第16回より、内陸からの後方支援を掲載しています)

 第25回は横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さんです。

横田建設(株)高田営業所長 新沼克則さん(46歳:震災当時)
《職種》高田営業所長
《啓開作業時の作業内容》指示役


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「「やっと自分も何かできるな」という思いでした」

―震災時は

 盛岡で研修会に参加していました。自宅がある大船渡に戻り、その日は妻の職場で一晩を過ごしました。小学生の子供たちは、中学校の体育館に避難していました。越喜来方面から回って、12日の朝に子供たちに再会できました。

 大船渡市三陸町にある自宅は、手前まで津波が来ていたようです。

 

―仕事に戻れたのは

 3月20日頃、高田営業所に行ってみましたが何一つ残っていませんでした。陸前高田市の惨状は思っていた以上でした。

 3月中は身動きが取れず、本社とは電話でやりとりをしていました。ガソリンが手に入るようになった4月頃から、本社に行けるようになりました。

 その頃、建設業協会千厩支部として陸前高田市への支援の話が出ていました。拠点となる場所が必要となるので、社長の指示で高田営業所の開設準備を始めました。千厩支部として支援に入る4月25日までに営業所を立ち上げました。

 

―陸前高田市でのガレキ撤去作業は

 千厩支部としての支援は4月25日から8月12日でした。1班は青柳建設、2班は横田建設が頭になり、最初に乗り込んだ時は5社ずつの10社くらいだったと思います。終わるころには全体で20社近くになり、2班だけでも30人弱の体制になっていました。

横田建設 提供

―どの様な指示で動いていましたか

 陸前高田市建設業協会から作業場所の指示を受け、1班と2班で振り分けて作業を行いました。最初は市役所周辺、その後に市街地を転々として、最終的には小友地区に入りました。

 地元の建設業者の人に知っている人が多かったので、コミュニケーションは取り易かったと思います。朝礼は千厩支部の1、2班が一緒に行い、月に1回は全体の打ち合わせがありました。

横田建設 提供

―自宅が大船渡市にある新沼さんですが、作業に入ると聞いた時に思ったことはありますか

 地元の建設業者が動いているのを1カ月ほど見ていましたので、自分もたずさわりたいという歯痒さを感じていました。動くと聞いた時には、地元の気仙地区に対して「やっと自分も何かできるな」という思いでしたね。

 1班の青柳建設の指示役は、3年前に建てた家が流され、仮設住宅から通っていました。陸前高田市が地元でしたので、強い思いを持っていました。

 

―どういうことに気を付けて指示を出しましたか

 流された家の人が作業を見に来るので、「出来るだけ要望を聞くように」と話しました。

 家の持ち主が何かを探しに来ても、なかなかその場所で見つかることはありませんでした。半壊の家では手作業を交えることもありました。出来れば見つけてあげたかったです。

 基礎を壊して良いかなど、細かいところで分からないことは、その都度、陸前高田市建設業協会に指示を仰ぎました。

shougen141009 (4)

―8月12日に引き上げる時の思いは

 一見するとだいぶ片付いたように見えますが、その分、ガレキの山が高く積みあがっていました。「この先、何年かかるのだろう」という思いでした。



(おわり)


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将来的には建設業協会が発行する記録誌などへの掲載を予定しております。

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