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  • 風景と樹木 第7話「シンジュ」

    2010年7月29日花林舎

    風景と樹木
     平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。
     前回は「花林舎動物記」を掲載いたしましたが、今回から数回は再度『すこやかな暮らし発見、岩手から。「家と人。」』という雑誌から野田坂伸也氏の記事「風景と樹木」を抜粋し、転載させていただいきます。  
     今回は第7話「シンジュ」をお送りいたします。

    シンジュ

    何の役にも立たない木
     シンジュはいまでは日本の広い範囲に野生化しているが、元々は中国中北部原産の落葉高木である。英語では〝ツリー・オブ・ヘブン(天国の木)〟というが、日本では〝神樹(シンジュ)〟と称している。ただし、本来の意味は〝天まで届くほど大きくなる木〟ということで、天国や神とは無関係である。
     原産地の中国では、この木を〝樗(ちょ)〟と呼ぶが、これは「何の役にも立たない」という意味だそうだから、わが国では神樹というと聞いたら、笑い出すかもしれない。
     確かにシンジュは薪にも炭にも用材にも向かない、役に立たない木であるが、この木の葉を食べる蚕の一種があって、第二次大戦中はわが国でも山野に植えられ、シンジュ蚕から生糸をとる研究が行われていたそうである。しかし、いまはシンジュ蚕を飼っているという話はどこからも聞こえてこないから、やはり〝樗〟なのであろう。
     そんなシンジュにも一つ取り柄がある。樹姿が美しい。人間でも何の役にも立たないのに容姿だけは美しいという輩がごろごろしているが、シンジュは人と違って美しさを武器にして悪事をたくらんだりはしない。

    シンジュの樹形
     盛岡市の北上川にかかる夕顔瀬橋のたもとに一本の大きなシンジュの木がある。私の目測では樹高およそ15メートルであるが、実際には何メートルであろうか(以前ある自然観察の会で一本の木の樹高の当てっこをしたら、15メートルから40メートルまでの数字が出て、一般の人の目測というものが、いかに当てにならないかが強く印象に残っている)。
    夕顔瀬橋たもとのシンジュ。 日本で野生化しているとはいっても、都市の中でこれだけの大きさになって、しかもほとんど建造物や他の樹木に成長を阻まれることなくこのように伸び伸びと枝を広げて育っているシンジュは珍しい。見事に均整のとれた美しい樹姿で、車でここを通るたびに見惚れて、危うく後ろの車に追突されそうになる。葉の付いている時期も良いが、落葉して枝だけになったときの姿の方が私は好きである。
     シンジュの樹形の特徴は、比較的狭い扇形で枝が粗く力強いタッチになっていることである。ケヤキの枝が細く細く分かれて、細筆で丁寧に描き込まれた日本画だとすれば、シンジュの枝は木炭でグイグイと荒っぽくなぞられた素描のような趣である。
     シンジュの葉は羽状複葉といって、植物について知識のない人が見れば十数枚に思える葉が実は一枚で、大きいものでは一枚の葉が1メートルもあるから、これが付着している枝はよほど太くなければ折れてしまう。というわけでシンジュの枝は太い。そのため、枝ぶりもやや粗っぽくなるのである。
     若い時のシンジュの樹姿は、誠に味も素っ気もない。4~5メートルくらいまでは枝はほとんどなく、ただ棒っくいが立っているようである。枝があっても、スリコギのように太いのが無愛想に飛び出しているくらいで、葉がついていればなんとか様になるものの、落葉期にはひたすら「早く大きくなれ、大きくなって夕顔瀬橋際の木のように美しくなれ」と祈るばかりである。だから「シンジュの木を植えましょう」というのは勇気がいる。施主を説得し、納得してもらうには、資料をしっかりと揃えておかなくてはならない。手の付けられない暴れん坊の子どもを「そのうちきっと立派な大人になる」と信じてじっと見守る親のような寛容な心で、シンジュの成長を見ていかなければならない。

    強健で成長は速い
    大連市のホテルの庭にあったシンジュ。 中国の大連市には、さすがに原産地だけあってシンジュが多かった。戦前は日本人が住んでいたという旧い住宅地にもあったし、外国人用のホテルの広い庭にも立派なシンジュがあった。
     もっとも、大連は〝アカシアの大連〟と呼ばれるように、街のシンボルはアカシア(正しくはニセアカシア。本物のアカシアはオーストラリア原産の樹木で、寒地では育たない。ちなみに西田佐知子が歌った『アカシアの雨がやむとき』のアカシアもニセアカシア)になっていて、毎年アカシア祭りが行われるほどである。
     ニセアカシアは北米のやや乾燥する地方の原産らしいが、その木が街のシンボルとなっているということは、大連は雨が少ないということを示唆している。実際、大連の年間降雨量は盛岡の3分の1しかない。
     従ってシンジュも雨の少ないアルカリ性土壌のところにも耐えて生育できる強健な性質の樹木であることが推察できる。
     もっとも、大連で見たニセアカシアの多くは、成長不良でいじけた姿であったから、シンジュも厳しい自然条件にじっと耐えているのだろう。日本のように雨の多い国にやってきたシンジュはかえって喜んでいるのかもしれない。
     子どもの頃、寺の墓地に生えていたシンジュは、見上げるような高さまで真っすぐに幹が伸びて枝は上の方にしかなく、まさしく〝天まで届くほど高くまで伸びて〟いくように見えたが、そのために邪魔になったのか、いつの年か伐られてしまった。子ども心にがっかりしたことを覚えている。どこまで大きくなるだろうと楽しみにしていたのである。

    世界中に広まったシンジュ
     成長は早く、幹が太るのも速いから街路樹のように小さい植桝に植え、伸びると枝を切られる、といった条件のところには適さない。札幌で太った豚が小さい檻に閉じ込められたような見るも無惨なシンジュの街路樹を見たが、あれを植えた人はどういう気持ちでいるのだろう。
     アメリカ東海岸のボストンにもどういうわけかシンジュの街路樹が多かった。こっちは広い植栽地に植えられて伸び伸びと大きく育ち、レンガ造りのアパート群とよく調和していた。
     ヨーロッパでもシンジュはあちこちで見かけた。中国では樗と呼ばれてさげすまれても、丈夫な性質と大らかで美しい樹姿を武器にしてシンジュは世界中に広まっていったのである。
     シンジュの種子は風に乗って遠くまで運ばれ、思わぬ所で発芽することもある。こんな秘密兵器もシンジュが広まっていくのには大いに役立っている。


    バックナンバー
    第6話「コナラ」
    第5話「ハリギリ」
    第3話「シナノキ」・第4話「カエデ類三種。」
    第1話「ケヤキとサツキの大罪 -その1-」・第2話「ケヤキとサツキの大罪 -その2-」