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  • 風景と樹木 第15話「ネムノキ」

    2011年8月31日花林舎

    風景と樹木
     平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。
     「花林舎動物記」等の外部投稿連載を7月上旬から再開しております。先月に引き続きしばらくは『すこやかな暮らし発見、岩手から。「家と人。」』という雑誌から野田坂伸也氏の記事「風景と樹木」を転載させていただいきます。

    ネムノキ

    東北道のネムノキ
     2007年の7月下旬に盛岡インターから高速道路を南下して水沢まで走ったことがあった。高速道の法面に花盛りのネムノキが次から次と姿を現し、その美しさに感嘆した。これほど多くのネムノキを見ることのできる場所は全国的にも珍しいのではないだろうか。しかも、花色が濃く見栄えのする個体が多い。今はまだ評判になっていないが、いつかネムノキ道路として広く知られる時が来るのではないかと思った。
     これらのネムノキは高速道の法面を緑化するために植栽したのではなく、何かのきっかけで自然に侵入して、増えていったものであろうと私は推測している。ネムノキは移植が非常に難しいため植栽されることは少ない。それに、東北道の法面には針葉樹やサクラなどの決まった樹木しか植えなかったはずである。ネムノキはおそらくどこかから種子が飛んできて法面に生えて成長し、その木から種が飛んで広がっていった、と私は考える。
     このように考えるのは、ネムノキが痩せ地に耐える性質が強く、一般の樹木の生育には不適当な痩せて乾燥する地盤である高速道路の法面でもよく成長するからである。ネムノキは海岸の砂地の緑化に使われることがあるほど養分や水分の少ない土にも耐えて生育できる。高速道の法面は道路の地盤であるから崩れないように締め固められており、材料はなるべく有機物を含まない締め固まりやすい土を使用している。このような地盤は植物の生育には不適切であり多くの樹木は生育不良になる。
     ところがネムノキはこんな条件の悪いところでも旺盛に生育する。太い根が表層の浅いところを水平に伸びていくので表面の柔らかい土層の厚さが20センチもあれば、さほど支障なく大きくなれる(余談であるがポプラ、ヤナギ、サクラなども同様の性質がある)。成長は速く気がつくと大きくなっている。花が終わると豆類の実と似たさや状の殻の中に種子ができ、法面にまき散らされて発芽し新しい苗が育つ。発芽から数年のうちに花が咲くので、条件に恵まれた場所では増えるのも早い。
     ネムノキの花はピンク色の細い糸のようなものが目立つが、これは花糸、つまりオシベであり、花弁は下のほうに小さく付いている。このような形の花は日本には珍しいが熱帯、亜熱帯には何種類か知られており、ネムノキも暑い地方にルーツを持つ樹木であろうと推測される。そのためであろう、美しい花であるが異国的な雰囲気があり、日本の風景からは少し浮きあがって見える。しかしそれがこの木の存在価値であるとも言える。
     日本の風景とはどことなく違和感があるとはいえ、豪華絢爛を誇るのではなくつつましく控え目に咲くので、日本人には好まれた。松尾芭蕉の有名な句―象潟や雨に西施がねむの花―は、この2つの微妙な感情、つまり「好ましさ」と「異国の情緒」の両方を読み込んでいるように私には思われる。ネムの花の風情は芭蕉にも〝西施〟という異国の美人によって表現するのがふさわしいと感じられたのであろう。
     実際はふてぶてしいほど強健な樹木なのに、見かけは花も葉もいかにも優しげである。

    木造の古い家とネムノキ。
    木造の古い家とネムノキ。

    伯母のネムノキ
     私が生まれ育った県北の町の叔母の家に1本のネムノキがあった。伯母の家は部屋が2つ(居間と寝室)と台所しかない小さい借家で、庭も8畳間ほどの大きさしかなかった。その庭全体に覆いかぶさるようにネムノキが広がっていた。夏になると樹冠を覆いつくすように薄赤い花が咲き、子供心にも美しいと思った。夕暮れ時には次第にうすれていく光の中に、それ自体頼りなく霞のような感じの花がぼんやりと夕闇の中に溶け込んで見えなくなっていくのがなんとも言えない風情があった。
     当時私が知る限りでは(といっても子供のことだからあまりあてにはならないが)その街でネムノキはこの木1本だけで、他には見当たらなかった。鉄道員であった伯父がどこかから持ってきたのであろうか。私は成長してから造園の仕事に携わるようになってあちこちを調査に歩くことも多かったが、しばらくの間北国ではネムノキは珍しく、貴重品であったと思う。日本庭園だけが庭であった頃ネムノキを庭に植える庭師はなく、人為的に広まるチャンスは少なかったのであろう。
     伯母はこの木が自慢で、大切にしていた。庭にはそのほかには植栽したと思われる木も草もなくネムノキだけの庭であった。
     月日は流れ、叔父も亡くなり伯母は病の床に伏せって1人で暮らせなくなり、盛岡の息子の家に引き取られた。そして亡くなった。あの家に帰りたいと繰り返し話していたそうである。
     2人が亡くなり空き家になった家をしばらくしてから見に行ったことがある。家というよりあのネムノキはどうなったのだろうと気になっていたからである。ネムノキは枯れていた。家主がいなくなって生きる張り合いをなくしたのであろうか。それは実に寂しい風景で、私は死んだ伯母が荒れた家の中にひっそりと潜んでいるような錯覚を覚え、急に怖くなって引き返した。その後一度も訪れないままであるが、貸家は壊されて別の家が建てられたらしい。

    緑陰樹としてのネムノキ
     ネムノキは移植が難しいこと、成長が速く枝が大きく広がること、などの理由からいまでも普通の庭には植えられることは少ない。同じ理由で苗畑でもほとんど育てていないからか、公園などに植えることもあまりない。だから人々はあちこちに勝手に生えてきたネムノキを見るだけである。日蔭では育たないから森林の中にはない。通常は開けた日の当る所にポツンと1本だけ生えていることが多い。枝は水平ないしやや上向きに横に伸びて高さよりも枝張りが大きい形になる。細かい羽状複葉の間から日光が漏れるので、木の下がさほど暗くならず、明るい日陰を作る。樹姿の軽装な印象とあいまって、木の下で休んでも鬱陶しく、重苦しい感覚がない。そのため緑陰樹として最も適した樹木の1つである。ただし大きな庭でないとおさまりきれないのが日本での利用にはネックになっている。
     実は我が家の前にも木陰が欲しくてネムノキを植えたが、大きくなりすぎて困っている。毎年太い枝を切るのだが、気がつくと元の大きさにもどっている。今は再生産のきく薪の木だと考えて活用することにした。インドの山奥で同じ利用法をしている針葉樹を見たことがある。いやにほっそりした樹形の木があったが、切り倒して薪にするとそれでおしまいなので、枝だけ切って使い長く薪として利用する木なのであった。
     広大なゆるやかな斜面にネムノキをたくさん植えて、下から見上げても上から見下ろしてもピンク色の雲海のように見える公園を作ってみたいと思ったことがあった。成長が速いから苗木を植えても10年後にはピンクの雲海が完成するであろう。
     ネムノキの一つの欠点は、30年くらいで活力を失って枯れてしまうことである。台湾などに多い想思樹というアカシアも30年で20メートルの高さになって枯れてしまう。特別成長の速い木には寿命の短いものがいくつかある。何のためにそんな生き方を選んだのであろう。



    「風景と樹木」バックナンバー
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    第10話「カツラ」
    第9話「ダケカンバ」
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    第6話「コナラ」
    第5話「ハリギリ」
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