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  • 風景と樹木 第17話「盛南開発地区の伐採された大エゾエノキ」

    2011年10月29日花林舎

    風景と樹木
     平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。
     先月に引き続き今月も『すこやかな暮らし発見、岩手から。「家と人。」』という雑誌から野田坂伸也氏の記事「風景と樹木」を転載させていただいきます。

    盛南開発地区の伐採された大エゾエノキ

    斜めの道と大エゾエノキ
     盛岡市の玄関口、JR盛岡駅前一帯の繁華街から雫石川一本隔てた対岸は、ついこの間まで農家が散在する田園地帯であった。そこに以前の面影はかけらほども残っていない新しい都市造りが着工され、みるみるその範囲を拡大し、やがて完成しようとしている。一般には盛南開発地域と呼ばれている。
     ほぼ碁盤の目状に直角に交差している街路の中に、ただ一ヵ所斜めに走っている道路がある。元々は農道であったがこの道路の延長線上に岩手山の美しい姿が望まれることから、その景観を残し新しい街のシンボルの一つとするために、特例として既存の路線がそのまま使われることになったのである。心憎い配慮であった、と思う。
     この道路が盛南開発地区を通る区間のちょうど真ん中あたりに1本の巨木がそびえ立っていた。道路から10メートルほどのすぐ近くにあり、樹高20メートル以上、太い幹が直立して伸び均整の取れた枝ぶりは威厳と気品に満ちてここを通る人々を魅了した。冬の姿も良かったが、新緑の頃から秋の落葉前までの圧倒されるような堂々たる姿は、大木がどれだけ大切なものであるか見るたびにいつも思い知らされていた。幹肌はケヤキに似ているが枝の形はコナラに似ていて、よほど樹木に詳しい人でなければこの木の名前は知らないまま眺めていたであろう。もし盛南開発地域が「景観に十分な配慮をして計画を進めていた」のであれば、だれが見ても全区域の最高のシンボルツリーとして絶対に残さなければならない樹木であった。その巨木が切り倒されてしまった。盛南開発史上最大の愚挙の一つであると言いたい。

    実に堂々たる巨木であった。葉のついている季節の写真をとっておけばよかった。
    実に堂々たる巨木であった。
    葉のついている季節の写真をとっておけばよかった。

    伐採の理由
     新聞に取り上げられる数ヵ月前、そばを通りかかったらこの木の近くまで造成工事が迫っていたので、保存されるに違いないけど念のため、と開発を行っている役所の担当者に「あのエゾエノキは残すでしょうね」と問い合わせたことがある。すると「あれは伐採します」という返事が返ってきた。心底驚いた。役所は一体何を考えているのだ、と思った。その担当者は何度かあったことのある人だったので、伐採する理由を詳しく説明してくれたがそれによると、
    ①エゾエノキの周辺は地盤高が変わり、木の周りは掘り下げられてしまう。つまり木の根を切らざるを得ない。ということは現在位置に残しても生存は不可能である。
    ②移植しようとしても、あまりにも大きすぎて、生かすことは極めて困難であると診断された。
    という理由で伐採することになったというのである。
     移植は無理である、ということは私も造園の仕事に携わっているのでそのとおりだと思った。これだけの大木を移植した場合、何とか生きたとしても元の美しい樹姿を保つことはまず不可能であるから、移植する意味が無い。移植するとしても樹木を立てたままそろそろと引っ張っていく「立て引き」という方法になるであろうが、これで移動できる距離はわずかなので依然として道路の近くに残ることになる。根のかなりの部分が伐られてしまっているから暴風の際に倒れる恐れがある。倒れる方向によっては大惨事になる。その可能性を考えると移植の引き受け手がないだろう、と私は考えた。だから移植はできない。この木を生かす唯一の方法は現在地にそのまま残すことである。
     土地の造成がこの木の近くまで迫ってから大エゾエノキをどうするかという検討委員会が開かれた、と新聞で見た。伐採することがすでに決まってからである。だいたいこういう委員会は役所の方針を追認するためのご用委員会であることが多いが、この場合は違った。委員会はエゾエノキを保存すべし、という結論を出したのである。驚きかつ喜んだ、がそれもつかの間であった。役所側では「現在地での保存はできないので移植することになるが、それには数千万円かかる。その費用は認められないので伐採するしかない」と主張して、結局切り倒してしまった。金があっても十分な時間的余裕がなく、根回しもしないで移植するのでは活着の可能性は小さいし倒木の恐れが大きいから、やらない方が良いと私は思った、ということは前に述べた。開発計画の細部まで決まった後ではエゾエノキの生き残る道はなかったのである。

    近くで見ると少し怖い。
    近くで見ると少し怖い。

    離れて見るとどれほど大きな木で、どれほど風景的に重要な木であったかわかる。
    離れて見るとどれほど大きな木で、どれほど風景的に
    重要な木であったかわかる。

     
    計画の思想
     岩手山の景観を見るために斜めに交わる道路を残す、という快挙を思いついた人々がなぜこの木を残すということについては無関心だったのか、私は理解できない。あの道路と大エゾエノキはセットである。あの道路の景観はあのエゾエノキがあることによって大きな価値を生み出していた。それを見落としていたのだろうか。それとも、計画の手法そのものにエゾエノキを無視する原因があったのだろうか。
     完成が近付いている新しい街は中央に大幅員のシンボルロードがあり、ここには森ができる予定である。以前私は「これは素晴らしい計画だ」と思っていたが、エゾエノキの事件があってから考えが変わった。この大きな道路は「大きいことはいいことだ」という時代の思想が生み出したシンボルである。全体を鳥瞰図的に見た計画である。森のシンボルロードをつくる代償としてこの地域に存在したこまごまとした幾多の思い出に満ちた風物のほとんど全てを抹殺してしまった。計画者は、はじめに元の田園の中を隅々まで歩き回り、価値あるものを見出して地図の上に印し、それと新しい街をどのように組み合わせていくか、と考えるべきだったのである。虫の目、あるいは獣の目で見たものを活かす計画であれば、エゾエノキは生き延びることができたであろう。返す返すも残念である。(エゾエノキを残すことに爪の先ほどの寄与もできなかった造園関係者の一人として、悔恨の気持ちを込めて)



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    第8話「ベニヤマザクラ」
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    第6話「コナラ」
    第5話「ハリギリ」
    第3話「シナノキ」・第4話「カエデ類三種。」
    第1話「ケヤキとサツキの大罪 -その1-」・第2話「ケヤキとサツキの大罪 -その2-」