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2010年7月29日
 風景と樹木 第7話「シンジュ」
投稿者 管理者

風景と樹木
 平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。
 前回は「花林舎動物記」を掲載いたしましたが、今回から数回は再度『すこやかな暮らし発見、岩手から。「家と人。」』という雑誌から野田坂伸也氏の記事「風景と樹木」を抜粋し、転載させていただいきます。  
 今回は第7話「シンジュ」をお送りいたします。

シンジュ

何の役にも立たない木
 シンジュはいまでは日本の広い範囲に野生化しているが、元々は中国中北部原産の落葉高木である。英語では〝ツリー・オブ・ヘブン(天国の木)〟というが、日本では〝神樹(シンジュ)〟と称している。ただし、本来の意味は〝天まで届くほど大きくなる木〟ということで、天国や神とは無関係である。
 原産地の中国では、この木を〝樗(ちょ)〟と呼ぶが、これは「何の役にも立たない」という意味だそうだから、わが国では神樹というと聞いたら、笑い出すかもしれない。
 確かにシンジュは薪にも炭にも用材にも向かない、役に立たない木であるが、この木の葉を食べる蚕の一種があって、第二次大戦中はわが国でも山野に植えられ、シンジュ蚕から生糸をとる研究が行われていたそうである。しかし、いまはシンジュ蚕を飼っているという話はどこからも聞こえてこないから、やはり〝樗〟なのであろう。
 そんなシンジュにも一つ取り柄がある。樹姿が美しい。人間でも何の役にも立たないのに容姿だけは美しいという輩がごろごろしているが、シンジュは人と違って美しさを武器にして悪事をたくらんだりはしない。

 

シンジュの樹形
 盛岡市の北上川にかかる夕顔瀬橋のたもとに一本の大きなシンジュの木がある。私の目測では樹高およそ15メートルであるが、実際には何メートルであろうか(以前ある自然観察の会で一本の木の樹高の当てっこをしたら、15メートルから40メートルまでの数字が出て、一般の人の目測というものが、いかに当てにならないかが強く印象に残っている)。
夕顔瀬橋たもとのシンジュ。 日本で野生化しているとはいっても、都市の中でこれだけの大きさになって、しかもほとんど建造物や他の樹木に成長を阻まれることなくこのように伸び伸びと枝を広げて育っているシンジュは珍しい。見事に均整のとれた美しい樹姿で、車でここを通るたびに見惚れて、危うく後ろの車に追突されそうになる。葉の付いている時期も良いが、落葉して枝だけになったときの姿の方が私は好きである。
 シンジュの樹形の特徴は、比較的狭い扇形で枝が粗く力強いタッチになっていることである。ケヤキの枝が細く細く分かれて、細筆で丁寧に描き込まれた日本画だとすれば、シンジュの枝は木炭でグイグイと荒っぽくなぞられた素描のような趣である。
 シンジュの葉は羽状複葉といって、植物について知識のない人が見れば十数枚に思える葉が実は一枚で、大きいものでは一枚の葉が1メートルもあるから、これが付着している枝はよほど太くなければ折れてしまう。というわけでシンジュの枝は太い。そのため、枝ぶりもやや粗っぽくなるのである。
 若い時のシンジュの樹姿は、誠に味も素っ気もない。4~5メートルくらいまでは枝はほとんどなく、ただ棒っくいが立っているようである。枝があっても、スリコギのように太いのが無愛想に飛び出しているくらいで、葉がついていればなんとか様になるものの、落葉期にはひたすら「早く大きくなれ、大きくなって夕顔瀬橋際の木のように美しくなれ」と祈るばかりである。だから「シンジュの木を植えましょう」というのは勇気がいる。施主を説得し、納得してもらうには、資料をしっかりと揃えておかなくてはならない。手の付けられない暴れん坊の子どもを「そのうちきっと立派な大人になる」と信じてじっと見守る親のような寛容な心で、シンジュの成長を見ていかなければならない。

強健で成長は速い
大連市のホテルの庭にあったシンジュ。 中国の大連市には、さすがに原産地だけあってシンジュが多かった。戦前は日本人が住んでいたという旧い住宅地にもあったし、外国人用のホテルの広い庭にも立派なシンジュがあった。
 もっとも、大連は〝アカシアの大連〟と呼ばれるように、街のシンボルはアカシア(正しくはニセアカシア。本物のアカシアはオーストラリア原産の樹木で、寒地では育たない。ちなみに西田佐知子が歌った『アカシアの雨がやむとき』のアカシアもニセアカシア)になっていて、毎年アカシア祭りが行われるほどである。
 ニセアカシアは北米のやや乾燥する地方の原産らしいが、その木が街のシンボルとなっているということは、大連は雨が少ないということを示唆している。実際、大連の年間降雨量は盛岡の3分の1しかない。
 従ってシンジュも雨の少ないアルカリ性土壌のところにも耐えて生育できる強健な性質の樹木であることが推察できる。
 もっとも、大連で見たニセアカシアの多くは、成長不良でいじけた姿であったから、シンジュも厳しい自然条件にじっと耐えているのだろう。日本のように雨の多い国にやってきたシンジュはかえって喜んでいるのかもしれない。
 子どもの頃、寺の墓地に生えていたシンジュは、見上げるような高さまで真っすぐに幹が伸びて枝は上の方にしかなく、まさしく〝天まで届くほど高くまで伸びて〟いくように見えたが、そのために邪魔になったのか、いつの年か伐られてしまった。子ども心にがっかりしたことを覚えている。どこまで大きくなるだろうと楽しみにしていたのである。

世界中に広まったシンジュ
 成長は早く、幹が太るのも速いから街路樹のように小さい植桝に植え、伸びると枝を切られる、といった条件のところには適さない。札幌で太った豚が小さい檻に閉じ込められたような見るも無惨なシンジュの街路樹を見たが、あれを植えた人はどういう気持ちでいるのだろう。
 アメリカ東海岸のボストンにもどういうわけかシンジュの街路樹が多かった。こっちは広い植栽地に植えられて伸び伸びと大きく育ち、レンガ造りのアパート群とよく調和していた。
 ヨーロッパでもシンジュはあちこちで見かけた。中国では樗と呼ばれてさげすまれても、丈夫な性質と大らかで美しい樹姿を武器にしてシンジュは世界中に広まっていったのである。
 シンジュの種子は風に乗って遠くまで運ばれ、思わぬ所で発芽することもある。こんな秘密兵器もシンジュが広まっていくのには大いに役立っている。


バックナンバー
第6話「コナラ」
第5話「ハリギリ」
第3話「シナノキ」・第4話「カエデ類三種。」
第1話「ケヤキとサツキの大罪 -その1-」・第2話「ケヤキとサツキの大罪 -その2-」

11:04
2010年6月29日
 第20回ネズミは至る所に―(1)
投稿者 管理者

花林舎動物記
 平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。
 前回まで『すこやかな暮らし発見、岩手から。「家と人。」』という雑誌から野田坂伸也氏の記事「風景と樹木」を抜粋し、転載させていただいておりましたが、今回はふたたび「花林舎動物記」に戻り、第20回「ネズミは至る所に(1)」をお送りいたします。

第20回「ネズミは至る所に―(1)」

ネズミの足裏の感触
 ある年の真夏の夜、この地では珍しく熱帯夜で私は肌着一枚で何も掛けずに寝ていました。夜中に何かが腹の上をトットットと走って行ったような気配で目を覚ましました。真っ暗な中で、目が覚めているのか夢の中なのかも定かではなくぼんやりしていたようでしたが、また眠りに落ちてしまいました。ところが次の日の夜は、床についてどれくらいたったでしょうか、まだ意識がはっきりしている時に昨夜とまったく同じ感触で、何者かが腹の上をトットットと駆けて行きました。しかも、行ったと思ったらすぐにまた戻ってきて、また腹の上を駆けて行きました。柔らかいとても小さい足裏の感触が生まれて間もない人間の赤ん坊の掌のようでした。このような小さな足裏を持っていて、夜中に家の中を走り回る動物はネズミ以外に考えられません。私は飛び起きてパッと電気をつけました。
 いました。やっぱりネズミでした。小さい灰色のネズミが急いで開いていた押し入れの中に駆け込む姿が見えました。ハタネズミでした。
 我が家には2種類のネズミが住みついています。一つはイエネズミ(クマネズミとも言う)でこれは街で普通に見られるネズミです。尻尾を含めない体長が20センチほどになりますので、成長したクマネズミはちょっと怖い感じがします。もう一種は小型のハタネズミで、畑や牧草地や山林に住んでいて、冬にチューリップの球根などを食べてしまうのは、たいていこのネズミです。いろんな悪さをしますが、姿は可愛らしく怖いという感じはありません(このほかにどうもハツカネズミではないかと思われるとても小さいネズミもときどき見かけますが、はっきりしません)。
ハタネズミ

 ハタネズミは、夜になると我が家の家の中を走り回って穀物やお菓子を食べているようです。また、本の後ろなどに大豆や小豆が転がっていることがあり「どうしてこんなところにあるんだろう」と妻に聞くと、「それはきっとネズミでしょう」と言われてネズミも食べ物を保管しておく習性があるのだと知りました。
 腹の上をネズミが走り抜けた経験は残念ながらその時だけですが(布団を掛けて寝ている時に走っていても気がつきませんから実際にはもっと頻繁にあったのかもしれません)、自動車を運転しているときに足の甲の上を往復されたことがあります。これも感じからしてハタネズミだったと思います。以前会社で同僚だった女性が、車を運転中にハチが飛び込んできたので恐怖のあまりパニック状態になって、対向車線に飛び出してしまったことがあったそうです。幸い、交通量の少ない場所で向こうから来る車がなかったので事故にならないですんだそうですが、運が悪ければ即死につながる行動です。こういうことにならないように、真に危険な動物とそうではない動物とを区別し、むやみに「キャーッ」と金切り声をあげない人間になるような教育が必要です。私はもちろんネズミが足の上を歩いたくらいは何でもありませんから、そのまま運転を続けました。家に帰ってから座席の下などをのぞいてみたのですがネズミは見つかりませんでした。

ハタネズミの巣
 我が家の暖房は薪ストーブですが、割った薪を今は2年間積んで乾燥させています。一年間では日の当たるところだといいのですが、直射光が当たらないところでは十分に乾燥しないようです。薪を取り崩しているとときどき中からネズミの巣が出てきます。薪の隙間につくっている巣ですから大きいのはありません。全てハタネズミの巣だろうと推測しています。巣の材料は、繊維状の木の皮、落葉、ビニールのひも、布の切れっぱしなどですが、どこから持ってきたのか軍手が一つ丸ごと使われているのがありました。これらの巣は多分、子育て用の巣でしょう。一度だけですがまだ目も開いていない、赤裸の子ネズミがキーキー泣いている巣が見つかったことがあります。
道具箱の後ろにあったネズミの巣。青大将がひそんでいた。 そのほかいろいろな場所で巣が見つかりますが、今は書類や資料置き場になってしまいめったに行かなくなった事務所の本棚を整理していたら、文庫本の後ろにネズミの巣があったのには驚きました。文庫本は高さも幅も小さいので少し手前に出して並べて置いたのですが、その裏の5センチほどの空間に巣をつくっていたのです。よくこんなところを見つけたものです。
 古い物置小屋を壊すことになって、棚の上からカナヅチなどを入れておく道具箱を下ろしたらその後ろに、これは珍しく大きい巣がありました。大体幅30センチ、奥行き10センチもありましたから子育て用ではなく、棲息用の巣だったのでしょう。あるいはクマネズミの棲家だったのかもしれません。大部分は落ち葉で木の皮やビニールのひもも交じっていました。ネズミにとっては家でも、人間が見ればごみですから捨てようと思って、素手でふんわり重なっている落葉を握りました。すると、ひどく薪を積んだ隙間につくられたネズミの巣。ネズミの巣近くに蛇のヌケガラ。弾力のあるゴムホースのようなものをぎゅっと握ってしまったのです。思いもかけないものの感触にびっくりしてパッと手を引っ込めたのですが、やがてそこから1メートルを少し越えるくらいのやや小さめの青大将がゆっくりと姿を現し、「せっかくいい気持ちで寝ていたのにひどいなあ」というような表情で2~3秒私を見つめ、それからゆっくりと落ち葉の中にもぐりこみ、棚板の隙間から逃げて行ってしまいました。もしかすると巣の中にいたネズミを腹の中に納めて、消化し終わるまでそこで寝ているつもりだったのかもしれません。それにしてもマムシでなくてよかった、と思い出すと背筋がぞっとします。


第19回マムシ家族
第18回インコと娘の涙-2
第17回インコと娘の涙-1
第16回蝙蝠との出会い
第15回ダニの「あなた任せ」人生
第14回山羊を飼う③
第13回山羊を飼う②
第12回山羊を飼う①
第11回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その3〉
第10回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その2〉
第9回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その1〉
第8回ウメ太郎は何処に〈その2〉
第7回ウメ太郎は何処に〈その1〉
第6回妄想的汚水浄化生態園(2)
第5回 妄想的汚水浄化生態園(1)
号外編 原種シクラメン・ヘデリフォリュームの紹介
第4回 ボーフラとオタマジャクシの知られざる効用
第3回 哀しきマムシ
第2回 アオダイショウは可愛い
第1回 ナメクジ退治

10:54
2010年5月28日
 風景と樹木 第6話「コナラ」
投稿者 管理者

風景と樹木
 平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しておりましたが、3月から数回は趣向を変え、植物の観点からのお話を掲載いたします。
 『すこやかな暮らし発見、岩手から。「家と人。」』という雑誌から「花林舎動物記」の作者である(株)野田坂緑研究所 所長 野田坂伸也氏の記事「風景と樹木」を抜粋し、転載させていただきます。
 今回は、第6話「コナラ」です。

コナラ

滋味ある美しさ
 コナラは景観木として見る場合、若齢のコナラ林(あるいはいわゆる雑木林の中に混じって生育しているコナラの若木)の風景と、大木になった孤立木の姿とは、区別して考えるのがよいと思う。
 四十年ほど前までコナラは木炭や薪の原料として育成され、純林に近いコナラ林も広く成立していた。
 コナラ林は二十年~三十年くらいの伐期で伐採され、切株から発生した新梢が伸びてまたコナラ林になるということの繰り返しで維持されてきた。その名残のコナラ林が、県内にはまだところどころに残っている。もっとも、そのような森林ではコナラは、今では樹齢六十年くらいの壮齢木になっている。
 こんな雑木林の初冬の風景が、私は好きである。葉は落ち尽くして林内は明るい。まだ新しい清潔な落葉が踏むたびに乾いた音をたてる。この時期は森を訪れる人もなく、立ち止まると、たまに遠くで鳴く鳥の声のみ。
 そして、斜めに差し込んだ弱い冬の日を浴びてコナラの灰色の幹が鈍く光っているのを見る時、私はその美しさに強く心を揺さぶられるのである。
 美しい、と言ってもそれは若い女性の華やかさや、ハンサムな青年の整った美などとは全く異なるもので、例えば辛い人生を純真な心で耐え抜いてまっすぐに生きてきた人が、老年になって皺の寄った顔にふとよぎらせるような滋味ある美しさである。
 人々はその美しさに容易には気付かない。しかし、ある時不意にそれを発見し、サクラやバラの美とは異質の美に感動するのである。
 それは〝美しい〟という表現では説明できないような気もする。穏やかで、安心でき、癒されて、懐かしい―そういった感じである。そして、何度見ても飽きない。
 コナラは春にはまた違った姿を見せる。
 コナラの新緑は遅い。色も他の樹木とは違い、白っぽいので遠くから見てもコナラの山は区別がつく。宮澤賢治は〝ナラの林が煙る時…〟と表現したが、光るような、煙るようなコナラ林の新緑は、普段服装に無頓着な男がおしゃれをしたようで、なにかおかしい。
 芽吹いたばかりの緑の中でベニヤマザクラの紅い花が咲いて散り、入れ代わりにカスミザクラの白い花が咲いて散る頃、コナラの新緑が灰白緑色にけぶり、岩手は春たけなわとなる。

 秋の葉の色づきもコナラは遅い。他の木々の落葉が散り敷いた後、コナラの褐色の葉は樹上に長く残っている。褐色といっても、晴れた日には陽光を反映して明るい。全山コナラで覆われた山は、このころ膨れ上がって大きくなったように見える。モミジほどの美しさはないが、かなりどぎつい色である。

大木になるコナラ
 コナラは〝小楢〟で、大木にはならない、と思っている人が多いようであるが、実際には樹高二十メートル以上の大木になる。幹径も一メートル近くに達する。ただ、長く薪炭林として扱われてきて、若木のうちに伐られるものが大半だったため、大木になるものが少なかったのである。
 イギリスではオーク(ナラ、カシワの類)が尊重され、町や村にその大木がよく見られる。オークの木は無骨な農夫の節くれだった手のようにゴツゴツした姿をしていて、スマートさとは対極にある。しかし、だからこそ崇拝されるのであろう。
 コナラの大木は、イギリスのオークに比べるとずっとスマートですっきりした樹姿である。とはいえ、ケヤキのような繊細な美しさではなく、素朴で飾り気がなく、いかにも田舎者です、という風情である。
 ただし、この田舎者はただ者ではない。実に堂々としていて風格がある。浮ついたところがない。
 小岩井農場(岩手県雫石町)の古い牛舎のそばに、コナラの大木が立っている。一本のように見えるが近寄って目をこらすと二本が寄り添っているのがわかる。樹冠は整った球状である。これほど端正な樹形のコナラもまずないだろう。
 何人かの識者に聞いてみたが、少なくとも容易に見ることのできる場所にあるコナラでは、日本で最大のものではないか、と言っていた(詳しく調査したわけではないから真偽のほどは不明)。
小岩井農場のコナラの大木。このように整った樹形の大木は、日本中を探しても滅多に見つからないであろう。
 県指定の天然記念物くらいの価値はあると思うのだが、その前にサクラの木を植えて、この素晴らしい大木が見えにくいようにしている。呆れ返ったものであるが、日本人の一般的な通念―サクラは美しい、コナラなんて見る対象ではない―が明瞭に反映されている。
40~50年生と思われる比較的若いコナラの林。季節は冬。 このコナラほど大きくはないが、自然形の味わい深い樹形のコナラが十本近く点在している牧草地が近くにある。大樹と草地との取り合わせが、まことに美しい風景を構成している。「日本ではなかなか見ることのできない風景です」とある大学の造園学の教授が感嘆していたが、ヤドリギがついているためか年々コナラが衰弱してきているので心配である。
 人間は図体が大きいだけで尊敬されることはないが、木は大きければ、それだけで我々を感動させる。また、大きくなるほどそれぞれの樹種の特徴が明らかになってくる。
 コナラはあまりにありふれた木のため、景観木としての価値は軽視されてきたが、その大木の風格はこれからのふるさとづくりなどでシンボルとして生かされるべきである、と考える。


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第5話「ハリギリ」
第3話「シナノキ」・第4話「カエデ類三種。」
第1話「ケヤキとサツキの大罪 -その1-」・第2話「ケヤキとサツキの大罪 -その2-」

10:25
2010年4月28日
 風景と樹木「ハリギリ」
投稿者 管理者

風景と樹木
 平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しておりましたが、3月から数回は趣向を変え、植物の観点からのお話を掲載いたします。
 『すこやかな暮らし発見、岩手から。「家と人。」』という雑誌から「花林舎動物記」の作者である(株)野田坂緑研究所 所長 野田坂伸也氏の記事「風景と樹木」を抜粋し、転載させていただきます。
 今回は、第5話「ハリギリ」です。

ハリギリ

地域を象徴する樹木の選び方
 数年前のことであるが、将来できる新幹線青森駅前広場に植えるシンボルツリーには何がいいだろうかと質問されたことがある。
 私が答えたからといって、その通り実現する保証も何もない問いであったが、これは面白いと思って数日考えた。そしてある日、ヒョイと思い浮かんだのがハリギリであった。
 青森というと、私には二つの風景が浮かんでくる。一つは核物質処理施設の建設を巡って全国に知られるようになった六ヶ所村の、本州にもこんなに寂しいところがあったのかと、訪れた日は一日胸が晴れなかった人影もない広大な原野の風景。
 もう一つは、海岸の植生調査で彷徨い歩いた龍飛崎の続きの長大な砂浜の、こちらは風の強さがクロマツ林の形態に表れていて、いかにも人の住みつくことを峻拒しているような風景である。
 青森県には白神山地という豊かな恵みに満ちた地域もあるが、いずれにしろ岩手に住む私が、青森の自然は岩手より濃密で厳しいと感じるのである。
 地名を比べてみても「岩手」は岩に手形で人里を表しているのに対し、「青い森」は緑の山々のはるか向こうに人知れず潜む奥山のイメージではないか(青森県の人がこれを読んで、何を勝手なことをほざいているかと怒らないだろうか。心配になってきた)。
 しかし、他方で青森県には棟方志功やねぷた祭りのように独特の芸術がある。太宰治もいる。
 このように片方には濃密で厳しい自然、片方には色鮮やかな妖艶な(という表現が適切かどうか自信はないが)芸術という青森の特質を体現している樹木、それがハリギリなのである。こんなことをいうとハリギリは、「私、そんな大層な者じゃありません」と照れているかもしれない。
針桐

天狗の羽団扇に似た葉
 ハリギリは樹高二十五メートル以上、幹の直径一メートル以上の大木になる。岩手で最も太いハリギリは直径二メートルのものがあるそうだ。材は高級家具材として珍重される。
 何年か前、ある町の運動公園の植栽設計をした時に、敷地内の山林に樹高十五メートルほどの立派なハリギリの木があった。幸い造成区域から外れていたので、このハリギリを残し、まわりの雑木を伐り払って将来はこの雄大な大木をシンボルツリーにするという構想を思いついた。
針桐 役所の担当者に、この木は絶対に伐採しないよう、作業者に注意するように話しておいた。ところが翌日行ってみると、このハリギリはもう影も形もなくなっていた。作業者のなかにハリギリの木材としての価値を知っている者がいて、伐り倒して持って行ったに違いない。いま思い出しても悔しい。
 少し寄り道をした。
 景観木としてのハリギリの特徴は、堂々とした力強さ、あるいは大らかさと、時折感じられる華麗な美しさを両立させていることである。
 ハリギリの葉はヤツデの葉によく似ている。ヤツデは常緑の低木で日本庭園にはよく植えられているから知っている人が多いと思うが、知らない人のために別の例をあげると、天狗の羽団扇(これは空想の産物であるが)というのがハリギリの葉にそっくりである。かなり大きい葉で直径が二十センチくらいはある。葉柄も長い。

クラシック&モダン
 大きい葉を持つ樹木の枝は太い。葉が落ちた冬のハリギリの姿を見ると、このことは一目瞭然である。枝が太い樹種(トチノキ、ミズナラ、キハダなど)はたいてい、「堂々」「どっしり」「雄大」「おおらか」「朴訥」といった印象を与える(ただし、ホウノキやキリは特大の葉を持つために枝が太くなりすぎてまばらなためか、このような印象は受けない。適切な大きさ、というものがあるのだろう)。
 ただし、このような印象を与えられるのはやはりかなり大きくなった木でなければならない。十五メートルくらいのハリギリは、人間でいえば「田舎者だけどなかなかの人物のようだ」という感じであるし、二十メートルにもなると「ウーン、こんな山奥にこんな底知れぬ太っ腹の人物が居るのか」と圧倒されるような威厳を感じる(青森県の十和田市の街のなかに、どういう事情で残っているのか、ハリギリのすばらしい大木が何本かあった。いまもあるかどうかは知らないが)。
 大葉であるということも堂々とした印象を与えることの理由の一つになっているが、この葉は少し光沢があるのでハリギリは意外に明るくハイカラな雰囲気も持っている。従って、近代的なデザインの建築にも合うと思うし、クラシックモダンの大正建築などにはぴったりだと思う。
 秋には黄色になり、これがまた思いのほか軽快で爽やかな感じである。そして葉が落ちてしまうと黒々と寡黙に静まりかえってしまう。

移植はかなり難しい
 ハリギリの名の由来は、枝や幹に大きなトゲがびっしりとついていて、桐のように大きい葉を持っているからだろう。
 太い幹になるとトゲはなくなるが、やや大きくなるまでは幹にもトゲがあるから、サルでもこの木には木登りできないのではないか。初めて見た人は大抵驚いてしまう。
 トゲのある木というとタラノキを思い出すが、ハリギリの新芽をタラノキと間違えて採取してしまう人が時々いる。ハリギリの芽も食べられるが、あまりおいしくないそうだ。
 さて、このようにすばらしい景観木であるハリギリが全くといってよいほど造園で使われないのは、移植がきわめて難しいからである。
 枝が太くて粗い木は、根も太くて粗い。これが移植困難の原因だと思うが、発根しにくいとか、その他の理由もあるのかもしれない。二年くらいかけて慎重な根まわしをして、早春の最適期に移すという方法をとれば、五メートルくらいのものまでは活着させられるだろう。
 ハリギリはやや水分の多い、深く根を張れる肥沃な土壌を好むようである。花や実はほとんど目立たず、観賞価値は乏しい。
 ヤツデとは同じウコギ科なので、交配したら雑種ができる可能性があるかもしれない。ヤツデの大木ができたりしたらおもしろい。



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「シナノキ」・「カエデ類三種。」
「ケヤキとサツキの大罪 -その1-」・「ケヤキとサツキの大罪 -その2-」

22:33
2010年3月26日
 風景と樹木 「シナノキ」・「カエデ類三種。」
投稿者 管理者

風景と樹木
 平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しておりましたが、3月から数回は趣向を変え、植物の観点からのお話を掲載いたします。
 『すこやかな暮らし発見、岩手から。「家と人。」』という雑誌から「花林舎動物記」の作者である(株)野田坂緑研究所 所長 野田坂伸也氏の記事「風景と樹木」を抜粋し、転載させていただきます。
 今回は、第3話「シナノキ」と第4話「カエデ類三種。」です。

シナノキ
 各地に自生する樹木をもっと造園に利用する、という思想が定着していれば、東北・北海道でもうとっくに普及していたはずの樹種がたくさんある。これから当分の間、そういう樹木について語ることにしよう。
 まずシナノキから始める。
 シナノキは別名をボダイジュという。釈迦がその木の下で悟りを開いたとされるインドボダイジュは、葉の形はよく似ているが全く違う木であるが、シューベルトの歌曲「菩提樹」で歌われているのはセイヨウシナノキのことである。
 欧米やニュージーランドでは、シナノキ(ボダイジュ)は主要な造園木の一つで、大きな公園や街路樹などによく植えられている。数年前、イギリスのウィズレー植物園に行ったとき、昼食をとる時間がもったいなくて、シナノキの若葉を取っては、食べながら見学したことがある。それほど普通に植えられている。
 日本のシナノキは北方系の樹木で、寒い地方に多い。そのため、照葉樹林帯に権力、つまり文化の中心を持つ日本では、造園木として注目されることがなかった。

シナノキ

 樹木の本によれば、大きいものは樹高二十メートル、幹経一メートルから二メートルにもなるとのことである。私はそれほどの巨木はまだ見たことはないがシナノキのすばらしさを強く印象づけられた場所がある。
 青森市から八甲田連峰の方へ行く途中に、萱野高原というところがある。昔は牛や馬を放牧していたと思われる野芝の広い原っぱで、高木が点在したり、小群落状に立っている。これが不思議なことに、ほとんど全てシナノキなのである。なぜほかの樹種がなく、シナノキだけが多数残ったのか理由は分からない。
堂々とした樹形がすばらしいシナノキ
 その孤立木は写真に示したように、均整のとれた、卵型の美しい堂々とした樹形をしている。堂々としているが、重々しくはなく、明るい。こういう形と雰囲気を持った樹木は、ありそうでなかなかない。
 シナノキの葉は丸く、やや大きい。葉が大きいと枝は太くなる。シナノキはケヤキのような繊細さはなく、おおらかな感じで気品があって美しい。秋には黄葉する。
 時々通る国道から見えるところに、樹高十メートルぐらいの球形の樹形をした樹木があった。これが春になると、見る見るうちに若葉となるのである。ひところ、毎日この木の前を通っていたが、一日一日と驚くべき早さで葉量が増え、緑の濃度が高まっていくので、何の木だろうと思って近寄ってみたらシナノキであった。この新緑の目覚ましだけでも、造園木としての価値がある。
 性質は強く、山地の風の強いところでは上には伸びられず、ずんぐりとした形のシナノキをよく見かける。
 今回改めてシナノキの写真を眺めてみて、それぞれの樹種にそれぞれ特有の樹姿があるということを強く感じた。つまり、さまざまな樹種を導入することによって、変化に富んだ味わい深い景観をつくることができるのに、なぜ日本の造園家は役所も含めて、この魅力に気づかず少数の特定の樹種しか使わないのだろうか。


カエデ類三種。
 「モミジ」と「カエデ」はどう違うんですか、と聞かれることがある。
 植物学では「カエデ」と称し、俗語では「モミジ」という。同じものである。日本には二十六種のカエデが分布しているが、そのうち造園に用いられているのは、イロハモミジ、ヤマモミジ、オオモミジの三種がほとんどである。ただし北海道や東北ではハウチワカエデもよく使われる。これらは葉形がいかにもカエデ(蛙の手)らしいが、二十六種の中には「え、これがモミジ?」と驚くような葉形のものもある。日本人がモミジというと思い浮かべるモミジらしいモミジとは違う樹姿、葉形ではあるが景観木として有用なカエデ三種を紹介する。

①イタヤカエデ
 イタヤカエデを都市の街路樹に使ったら外国産の樹種だと思う人が多いのではないだろうか。幹がまっすぐに伸びる縦長の樹形と、光沢のある明るい印象の葉がイタヤカエデの特徴である。
 どんな木でも新葉の時は新鮮な輝きを放つが、イタヤカエデの新葉は陽光を周囲にまき散らしているようにキラキラと輝く。木が大きくなると春には小さい黄色の花が咲き、ベニイタヤという亜種は赤い新葉とあいまっていっそう華やいだ繊細な美しさで見る人を驚かす。秋にはバターイエローに黄葉するが、真紅のモミジとはまた違った魅力がある。
 国産でこのようにスマートでしゃれた木が使われずに、東北南部以南の暖地の街路樹には、カエデの仲間では中国原産の「唐カエデ」が使われている。イタヤカエデは暑さに弱いからであろうが、北国でもまだ使用例は少ない。丈夫で少々のやせ地や風の強いところでも耐えられるから街路樹には向いている。
 ただし大木になるので個人庭園には向かない。大きい公園や公共建築の庭など広い土地で伸び伸びと育てたい。
 余談であるが、以前はスキー板はイタヤカエデで作ったそうである。

イタヤカエデは整ったスマートな樹形をしている。
イタヤカエデは整ったスマートな樹形をしている。

②ウリハダカエデ 
 幹に緑色の縞があり、これが水瓜の皮の模様に似ているので、〝ウリ肌〟の名がつけられた。これはイタヤカエデよりもっと日本情緒から遠い印象を与える樹種である。こんな木を見ていると、ある国または地方の風景と、それを構成している個々の樹木(や草種)の姿とは必ずしも似ているとは限らない、ということに気づく。
 人間の社会でも全体的な日本人像というものがあり、多くの人はいかにも日本人らしい性質、行動(たとえば、付和雷同)を示すのであるが、なかにはとんでもない異端児がいたりする。植物界にも同様のことがあっても不思議はない。
 ウリハダカエデの葉はやや大きいので枝は太く、粗い感じの樹姿になる。これも日本庭園のモミジの繊細さとは異質である。ただし秋の紅葉は他のどのモミジにも負けないほどのどぎつい赤で、まるで、異質さをカバーするために必死になって赤くなって見せているような気がする。
 このカエデの使い方は難しい。カエデ(モミジ)という言葉にはこだわらないで、特異な木肌の変わった雰囲気の樹木である、と考える方があやまちの少ないデザインへの近道だと思う。無理に他の樹木と調和させようとしないで、異質さを際立たせて、西洋風の雰囲気をつくり出す素材として利用するのがよいと思う。

③マルバカエデ(ヒトツバカエデ) 
マルバカエデの葉 前二者がそれでももしかするとカエデかも知れない、と思わせるような葉形をしているのに対し、マルバカエデは、カエデの葉のイメージとは全く無関係の葉形をしている(イラスト参照)。初めてこの葉を見て、もしかしたらこれはカエデ属の樹木かな、と考える人は百万人に一人もいないだろうと、断言できる。だから、これを植える時はカエデではない木を植えるのだ、と思った方がよい。
 昔のはなしに「虎」とか「岩」という名の女性がでてくるが、これが名前からは想像できないような美人だった。それと同じようにカエデと名はついていても、普通のカエデとはまるで違うものである。
 マルバカエデも新葉が美しい。遠くから見ると何か花が咲いているのかと見まちがえるくらい明るい葉色をしている。ただしこれはごく短い期間で、すぐに緑になってしまう。
 だが、秋にはまた見事な黄葉になる。イタヤカエデに勝るとも劣らない。樹形は乱れて整然とした姿にはならないが、新葉と秋の彩りの二回の美のために植栽する価値がある。



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「ケヤキとサツキの大罪 -その1-」・「ケヤキとサツキの大罪 -その2-」

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