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  • 第19回マムシ家族

    2010年1月28日 16:57花林舎

    花林舎動物記
     平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。この「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。今回は第19回「マムシ家族」です。

    第19回マムシ家族

    花林舎で見られる蛇の種類
     2008年は、マムシとこれまでになく多く出会った年でした。その2年前までは青大将が多く、堆肥小屋に8匹も重なり合って休んでいるのを見たこともあります。最長で170センチ(尻尾を持ってぶら下げて私の背と比べてみたものや、ぬけがらを測定したもの)もありましたから、花林舎の敷地は青大将が制圧していて他の蛇類は小さくなって暮らしているのだろうと推測していました。
     他の種類は稀にしか見かけないのですが、堆肥舎の一部に以前作った地下の室(深さ50センチ、縦×横=2メートル×1メートル)の蓋を開けて見たら、150センチほどもあるヤマカガシとその子分と思われる数匹が潜んでいて驚いたことがありました。このヤマカガシの親分はその後不運にも我が家の犬に噛み殺されてしまいました。
     シマヘビにはめったにお目にかかれません。昨年は二度ジムグリと思われる頭の小さい滑らかな肌をしたとてもおとなしい蛇に会いました。一度はその名の通り地面の中に潜って行って姿を消してしまいました。
     さて、本題のマムシですが、社宅の物置のあたりに1匹住みついていて、これには3~4回出会っています。色は地味な灰褐色で大きさは中位、典型的なマムシ体型です。物置の脇に堆肥を造る木枠を造ってあるのですが、そこに雑草を投げ込もうとして近寄った時、木枠の前にいて、危うく踏みつぶすところでした。一生懸命逃げようとしているのですが木枠にさえぎられて逃げられないのです。逃げる方向を横に変えればいいのに本当に間抜けなマムシでした。あわてふためいて、「助けて、助けて」と言っているような姿がおかしくていっぺんで好きになってしまいました。1年に1回くらいこの付近で出会いますが少しずつ大きくなっています。
     昨年の秋に出会った時は木枠の中の堆肥の上でトグロを巻いていました。トグロを巻いている時は1メートルくらいは跳び上って噛みつくことがあると聞いていましたから、少し離れたところから見ていたのですが、相手もじっとこちらを見て動きません。「君に危害を加えるつもりはないからね」と言う私の気持ちが分かるのか、穏やかな表情でした。今は多分この堆肥の下で冬眠しているのでしょう。



    極彩色の大マムシあらわる

     2008年の5月の連休に、東京から3人の助っ人が来て植物育成用のハウスの改造をしてくれました。古くなった羽目板を取りはずしていたOさんが、「グワーッ」と大声をあげたので駆けつけて見ると赤と黒のダンダラ模様の太い大きな蛇がゆっくりと動いているではありませんか。Oさんは、丁度60歳になった人生経験豊かな才人なのですが「長いものだけは苦手で・・・」グワーッとなってしまったのです。
     赤黒ダンダラの長いものは、ゆっくりと移動しながら板の隙間に頭を突っ込んでいったのですが、狭くてそれ以上入っていけません。無毒の蛇を捕まえる時は私は尻尾を足で踏んで動けなくしておいてから、捕まえてぶら下げるのですが、Oさんが「これはヤマカガシだ」と叫ぶので、ちょっとためらいました。ヤマカガシはご存知のように毒蛇で、稀にですが噛まれて死ぬ人がいます。
     しかしこの蛇は動きがばかにのろく頭を半分突っ込んだまま立ち(?)往生しているのでもうめんどくさくなって左手で尻尾を持って持ち上げてしまいました。右手にはビニール袋を持って、頭からそっとこの中に落とし込んでしまおうという魂胆です。目測でほぼ1メートルあります。ところがぶら下げて眺めているうちに大変なことに気付きました。あまり毒々しい赤色なのでてっきりヤマカガシだと私も思いこんでいたのですが、胴体にはマムシの特徴である銭型模様が並んでいるではありませんか。
     一つ気付くと胴体の太さもヤマカガシではなくマムシであることを示しています。頭部を見ると顎のえらが大きい三角形です。間違いありません。それにしてもおとなしいマムシです。長年山仕事をしてきた知人が「他の蛇は尻尾を持ってぶら下げてもいいが、マムシは頭を持ち上げて噛みつくから絶対やるな」と何度も注意されていたのにこのマムシはだらんとぶら下がったままです。それにしても大きいマムシでした。青大将なら1メートルはまだ小物ですが、ずんぐりむっくり型のマムシは1メートルというのは滅多にいません。これは大変だ、と思ってビニール袋に入れて口を閉めました。見ていたヤジ馬たちは「殺せ、殺せ」と叫んでいましたが、私は蛇を殺すのは嫌なので200メートルほど離れた畑の隅に放してきました。袋から出されても動きもしません。この時になってようやく気がついたのですが、5月初旬なのにこの年はとても寒く、マムシは冬眠からは覚めたもののまだ活発に動くほどの体温になっていなかったのです。暖かい春だったら私はこの大マムシに噛まれて死ぬか生きるかの大騒動になっていたでしょう。本当に何が幸いになるか分かりません。

    再び現れた極彩色大マムシ
     それから1ヵ月ほどしたある日、ハウスの中で働いていた妻と実習生の若い女性が、「あのマムシが現れた」と言ってきました。2人が作業している作業台の横にはまだ改造が済んでいない羽目板があるのですが、そのあたりのどこかから現れて2人から2メートルから1メートルも離れていない棚の上を横切って行ったというのです。まことに危険極まりない話です。あるいは捕えて捨ててきた私を怨んで復讐しようと機会を狙っているのかもしれません。2人の話によれば大きさ、色ともあの大マムシにそっくりです。しかし、200メートルの距離を間違いなくここに戻ってくるとも思えません。
     それから1週間くらいの間に三度も姿を見せましたのでこれは放っておけないと思い、未改修の羽目板を剥がしてその後ろの蛇が潜みそうな穴などを全部つぶし、羽目板は隙間の無いしっかりした板張りに変えました。板にはクレオソートを充分にしみ込ませましたので、これも蛇除けには役立ったと思います。それから大マムシはその付近には姿を見せることは無くなりましたが、20メートルほど離れた場所で実習生が一度見たとのことでまだこの辺にいることは確かです。
     ハウスの反対側に以前小屋を壊した時にとっておいた板や角材を積んであるのですが、私はここで二度ほど小さいマムシに会っています。どうもこの辺にもマムシが棲みついているようです。木曜日の午前にボランティアの人達が植物園造りの手伝いに来てくださるのですが、マムシ騒ぎから2週間ほどした木曜日に、「この辺にはよくマムシが出ますから気を付けてください」とボランティアの人達に説明していると「ほら、そこにいますよ」と言われて振り返ると1メートルほど離れたところに例の極彩色のマムシがいるではありませんか。ただ、5月の連休に捕まえたマムシよりは小さく色、模様も少し違います。あのマムシの子供かもしれません。

    マムシ家族を発見
     その後はずっとマムシと遭遇することは無かったのですが、ハウス周辺に棲みついていることはほぼ間違いないので、冷や冷やしながら過ごしました。7月には例年通り近くにスズメバチが巣を造りましたので、こっちも気を付けなければいけません。こんな状態では植物園が完成しても恐ろしくて見に来る人はいないでしょう。なんとか真剣に対策を考えなくてはいけません。
     11月になってハウスの改造工事を再開し、積んである板や角材を使用することになりました。この堆積物のどこかにマムシが潜んでいることはほぼ確実ですから板を引っ張り出すときは随分神経を使いました。まず板を上からガンガン叩いてそれから5~6分してからその板を引きあげます。この繰り返しで板を全部取りはずして近くの場所に縦にして立てかけました。幸いマムシは現れません。とうとう最後の1枚になりました。地面に触れると板が腐りますから横木を置いてその上に置いてある幅広の1枚をひょいと持ち上げると...
     いました。あの5月のマムシそっくりの極彩色のマムシが3匹平行に並んで潜んでいたのです。1匹は大物で1メートルくらいあります。2匹は60センチくらいで太さもかなり劣ります。しかし色模様はそっくりで、親子であろうと推測しました。
     すると私が5月に捕えて捨ててきたマムシはこの大物の夫か妻ということになります。その後出没した大物は行方不明になった連れ合いを探してその辺を動き回っていたのではないでしょうか。可哀そうなことをしてしまいました。しかし、なるべくならいてほしくない家族です。どうしたものかと私は迷っています。
     この日は3匹はスルスルと草むらの中に姿を没してしまいましたが、まだこのあたりに潜んでいることはほぼ間違いありません。マムシもこっちが先に気付けば危険はありませんが、出会い頭ということもありますから油断できません。また、めぐり来る春にはどんなことになるでしょう。
    マムシ家族。
    マムシ家族。



    第18回インコと娘の涙-2
    第17回インコと娘の涙-1
    第16回蝙蝠との出会い
    第15回ダニの「あなた任せ」人生
    第14回山羊を飼う③
    第13回山羊を飼う②
    第12回山羊を飼う①
    第11回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その3〉
    第10回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その2〉
    第9回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その1〉
    第8回ウメ太郎は何処に〈その2〉
    第7回ウメ太郎は何処に〈その1〉
    第6回妄想的汚水浄化生態園(2)
    第5回 妄想的汚水浄化生態園(1)
    号外編 原種シクラメン・ヘデリフォリュームの紹介
    第4回 ボーフラとオタマジャクシの知られざる効用
    第3回 哀しきマムシ
    第2回 アオダイショウは可愛い
    第1回 ナメクジ退治
  • 第18回インコと娘の涙-2

    2009年12月25日 16:44花林舎

    花林舎動物記
     平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。この「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。今回は第18回「インコと娘の涙-2」です。

    第18回インコと娘の涙-2

    壁の中のインコ
     私が事務所にいるときはインコはたいてい事務所の中に放しています。インコは私と遊ぶのが好きで、肩にとまったり、懐に潜り込んだり、机の上で紙をパシパシパシと噛んだり、鉢植えの植物を噛んだりします。私の周りから離れないので仕事ができません。そこで時々外の廊下に出しておくのですが、ドアのガラスのところから私の方を見て「入れろ、入れろ」と泣くので、ついついまた中に入れてしまいます。仕事が溜まっていて相手をしていられないときは、やむをえませんので篭に入れておきます。
     こんな風にインコはますます私に慣れてきて、多分もう外に出しても逃げていかないだろうと思えるようになりました。しかしこんな失敗(と言うのかどうか)もしました。ある日、家の中に放していたインコがふと気がつくとどこにもいません。風呂場の窓が開いていたのに気がつかないで放したので、外へ出てしまったのです。急いで外へ出て家の周りを一巡りしますと、嬉しいことに妻がすぐに見つけて「あそこにいる」と指差したのは隣家の庭木の上でした。
     インコは元からこのあたりを縄張りとしている野鳥のように落ち着いて木の上にとまり、毛づくろいなどしています。驚かさないようわずかに近寄り何気ない声で「ピーコ」と呼んでみました。するとインコは初めて気付いたというように顔を下に向けて、目玉をくるりと回して私の方を見ました。それから「なーんだ、あんたかい。しょうがないなあ」とばかりにふわりと飛び立って私の肩に降り立ちました。
     この年の11月、私たちは山の中の新居に移りました。インコにとっても新しい環境に変わったわけです。新居は冷え切っていてとても寒く、インコはしばらく篭に入れて暖かい場所に置いておきました。
     春になってから娘が「いくら懐いたといってもインコも1羽では淋しいんじゃないかしら」と言いだして、インコをまた1羽貰ってきました。新しいインコは前からいるインコほどは人に慣れてなくて、籠から出すとたちまちどこかへ行ってしまいそうでした。



     2羽になると前からいたインコも人間と遊ぶより同類と遊ぶ方がいいらしく、あまり私と遊んでくれなくなりました。小さい篭に2羽を押し込めておくのはかわいそうでしたが、家の中に放しておくと新入りの方がいつ逃げてしまうかもしれないので、出すことはできません。大きな入れ物を造ることにしたのですが、忙しいのとついつい億劫で延ばし延ばししているうちに、名案を思いつきました。
     花林舎動物記第1回「ナメクジ退治」のページに中庭の図がのっていますが、この中庭にインコたちを放すことにしたのです。面積は6畳間ほどもあり、透明な屋根までの高さは10メートル以上ありますから広さは十分です。ここに私の古い背広をかけてインコのねぐらにしました。
     ところがこの住み家は上の方が明るく下は薄暗いので、インコたちは上の方に飛びあがったきり下りてこなくなりました。いくら呼んでもインコ同士で遊ぶのが楽しいらしく私の方にはやってきません。私も世話をしなくてもよくなったので楽でいいのですが、たまには降りてきてくれたっていいじゃないかという気持ちもありました。
     ある日、3階の部屋にいる三女が「インコの声が壁の中から聞こえるような気がする」と言ってきました。エドガ・アラン・ポーの小説のようでぞっとしましたが、中庭に入って下から見上げると確かにインコはどこにも見当たりません。見る角度を変えて何ヵ所からも見上げてみたのですがいません。3階の部屋に行って壁に耳を当ててみると、オッ、確かに鳥の声がするではありませんか。見えないのでどこから入ったか分かりませんが、どうやら壁の板と板の間の隙間に落ち込んでしまったようなのです。
    壁の板の間に落ち込んでしまったインコ。 助けるには壁に穴をあけるしかありません。まだ建ててから半年しか経っていない新居ですが、見殺しにするわけにはいきませんから、このへんかなと見当をつけて穴をあけましたが1回目は外れでした。2回目もインコのいる区画に出会えず失敗でした。3つも穴をあけるのかと思いましたが、もう半ばやけになってあけた3つ目の穴がうまくいきました。
     インコたちは差し込んだ明るい光に誘われるように、ゆっくりと歩いて出てきました。真っ暗な狭い空間に閉じ込められて1日半飲まず食わずにいたのに、何事もなかったかのように元気でした。このときの穴は今もそのまま残っています。この後すぐ新入りのインコは油断したすきに逃げてしまい、また1羽だけになってしまいました。

    一粒の涙
     また1羽になったインコは前のように私にまとわりつくようになり、私は嬉しくもあり迷惑でもあり、です。このころ植物栽培用のビニールハウスを建てましたので、よくここに連れて行って放しておきました。冬でも晴れた日には暑いくらいになりますので、インコは喜んで遊んでいました。飽きるとまた私のところにやってきますので家に連れて帰ります。肩に乗せたまま30メートルほど歩いてくるのです。
     ある日曜日、私は娘たちにインコがどんなに私になついているか見せて自慢したくなりました。肩にインコを乗せてビニールハウスまで行き、外に出ても逃げないことを見せびらかそうと思ったのです。ところがこの日はインコは空高く飛べることを娘たちに見せたいと思ったようなのです。外に出るやいなや私の肩から離れてあっという間に家の屋根を超えてどこかへ飛んで行ってしまいました。
     予期せぬ行動に面目丸つぶれの私は慌てふためいて大声でインコの名を呼びましたが、もはや影も形もありません。がっくりしていると娘が「お父さん。あそこ」と言うので見上げると屋根の一番高い所にインコがいて悠然とあたりを見回しています。
     「うぬ、この野郎」と思ったのですが、じっと我慢して作戦を考えました。そして何気ないふりをしてビニールハウスの方に歩いて行きました。するとインコはさっと舞い降りてきて私の肩にとまったのです。こんなことがありましたのでインコはもうここから逃げてどこかへ行ってしまうということは無いという確信を持つことができました。
     このころ犬を連れて散歩に行くときはインコを肩に乗せて一緒に行くことがよくありました。とはいってもさほど遠くへ行くことは無かったのですが、秋も終わりのころ林の中の道を1キロほど歩いた時にはインコも野生の血が騒いだのか、飛び立って木々の間を飛び回りました。初めは近くを飛んでいたのですが、次第に範囲が広がっていってやがてどこかへ行ってしまいました。それでも私はそのうち帰ってくるだろうと楽観していたのですが、夕闇が迫っても姿を現しません。大声で何度も呼んでみたのですが戻りませんでした。
     冬もまじかのころでしたから熱帯生まれのインコには寒さがさぞかし応えるだろうと気をもみながら一夜を過ごしました。どこに行ってしまったか知りませんが、インコが岩手の冬を越せるはずはありませんから可哀そうなことをしてしまったなあと悔やまれてなりませんでした。
     ところが、翌朝「あなた、インコが帰っているわよ」と言う妻の声で起こされました。急いで外へ出て見るとまた屋根の一番高い所にとまっているではありませんか。今度は私の姿を見ると即座に舞い降りてきて肩にとまりました。

     こんな風に、家族のだれよりも、犬たちよりも私になついていたインコを、私の不注意で死なせてしまいました。ほんとにもう、なんというドジをしてしまったことでしょう。
     学校から帰ってきた次女に、恐る恐るもうインコと遊ぶことができなくなったと伝えた時、普段まったくインコの世話もせず、関心もないような態度だった娘が、何にも言わずに顔をこわばらせて涙を一粒こぼしました。

    第17回インコと娘の涙-1
    第16回蝙蝠との出会い
    第15回ダニの「あなた任せ」人生
    第14回山羊を飼う③
    第13回山羊を飼う②
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    第10回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その2〉
    第9回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その1〉
    第8回ウメ太郎は何処に〈その2〉
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    第6回妄想的汚水浄化生態園(2)
    第5回 妄想的汚水浄化生態園(1)
    号外編 原種シクラメン・ヘデリフォリュームの紹介
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    第3回 哀しきマムシ
    第2回 アオダイショウは可愛い
    第1回 ナメクジ退治

  • 第17回インコと娘の涙-1

    2009年11月26日 16:02花林舎

    花林舎動物記
     平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。この「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。今回は第17回「インコと娘の涙-1」です。

    第17回インコと娘の涙-1

    こんなにもなつくものか
     これはもう20年近く前の話です。
     次女が中学生の時、友達からインコを1羽もらってきました。スズメくらいの大きさでよく人に慣れた、いわゆる〝手のり〟の鳥です。それでもはじめのうちは少し私たちを怖がっている様子が見られましたが、日が経つにつれて動作が落ち着いてきて、安心した様子が感じられるようになってきました。当時私は小岩井農場を辞めて、造園の設計事務所を設立し2~3年経ったころで、家にいることが多かったため、インコの世話はほとんど私がすることになりました。もらってきた次女は全くと言ってよいほどインコには構わなくなりました。部活などもあって昼間は家にいませんから止むを得ないことだったと思います。
    kari091126-1.JPG



     すっかり慣れてしまってからは、籠から出して事務所の中で自由に遊ばせていました。籠に戻るのはえさを食べるときだけです。たまに糞を落とすこと以外には特に迷惑なこともありませんでしたが、一つだけ困ったことがありました。遊びなのか何か意味のあることなのか分かりませんが、紙を咥えて端から噛んでいくのです。実に見事に同じ間隔でカチカチカチカチと噛んでいきますのでちょうどミシン目のように紙の端にくちばしの幅の三角形のギザギザができます。不要な紙であれば「おお、上手、上手」と褒めてやれば済むのですが、参考書でも報告書でも辞書でも手当たり次第噛んでしまうので参りました。自然界にはこんな紙など無いわけですから、人間とかかわるようになって覚えた新しい遊びなのでしょうか。一度に長時間やることは無く1枚か2枚やるとやめてしまうのですが、油断しているとまたやられてしまいます。
     こうして毎日一緒にいると、インコはますます私になついてくるのでした。もともとは野に住んでいた鳥がこんなにもなつくものかと驚くほどでした。ある時、私の肩から胸元に移ったと思ったら、なんと襟元からヒョイとシャツの中に入ってしまいました。そして少しだけ頭を出してシャツに足をかけ、背中は私の裸の胸に触れてじっとしています。これは暖かいしすごく安心できるらしく、一度覚えてからはしょっちゅう入ってきました。特に寒い季節にはこんないい場所は無いと言う感じで入り浸りでしたから、可愛いやら困ったやらでした。犬や猫ならともかく、鳥がこんなにも人になつくのかと私は強い感慨に打たれました。

    インコの寝場所
     インコはそのうちもう一つの寝場所を見つけました。そのころ私は1着の背広を捨てようかまだ使おうかと迷っていて、事務所の隅の方にぶら下げていたのです。
     当時私はほとんどの仕事が東京の知人の設計事務所の下請けで、時々東京に出かけていました。造園に関する野外調査が主な仕事でしたから、団地や公園を歩きまわったり、あるいは山や海岸の植生調査をするかと思えば、役所に行って打ち合わせや報告をすることもあります。東京の事務所で報告書の原稿を書いている日もあります。夜遅くまで仕事をしますので歩いて5~6分の所に宿泊所がないと不便ですが、あいにく近くにビジネスホテルが無かったものですから、たいていはカプセルホテルに泊まっていました。
     カプセルホテルと言っても泊まったことのない人が多いと思いますが、1人分のスペースは90センチ×180センチで押し入れの大きさと同じです。2段になっている点も押し入れと同じです。このスペースに蒲団が敷いてあり、それでいっぱいです。カーテンを引くと中は見えないようになりますが、音は遠慮なく入ってきます。私は難聴なので音で悩まされることはありませんでしたが、健常者は時に困ることもありそうです。持ち物はロッカーに入れておきます。風呂は銭湯のような共同の風呂です。
     こんな所に1週間も泊まるのですから、着替えなどはできるだけ少なくしないといけません。そこで私はどこへ行くのも1着の背広で間に合わせることにしました。父の遺品の中にツイードの背広があり、それをもらったのです。ツイードと言うのはご存じのように厚手の丈夫な生地で、ラフな街着にもなるし、やぶの中をこぎまわっても破れません。
     夏の暑いころ以外はどんな場所へ行くのもこの背広で通しました。冬もコートなど着ません。こうして春も秋も冬も、どこへ行くにもこの背広で過ごして3年くらいたったある日、ふとぶら下げておいた背広に目が行くと、まるで頭陀袋のようにだらしなくすっかり形が崩れてしまっているのに気づきました。イギリス生まれの質実剛健なツイード生地もついにギブアップしてしまったのです。
    kari091126-2.JPG 私は背広がそんな状態になっているとは知らずに、来る日も来る日もこの1着の背広を愛用してどこへでも出かけていたのですが、ある時事務所の若い所員がやって来てニヤニヤしながら「この間若い社員の会で話し合って我社のワーストドレッサーを選定しました。野田坂さんがめでたく第1位になりましたのでお知らせします」と言うので「へー、他にはだれが選ばれたんですか」と聞くと、「○○さんと××さんです」と答えたので「うん。その2人は納得できるけど私はスタイルもいいし、そんなに変な格好もしてないと思うけどなあ」と異議を唱えてみました。すると彼は「だって野田坂さんは気温20度の時も5度の時も同じ服装ですし、やぶをこぎまわった後でそのまま役所の打ち合わせにネクタイもしないで行くじゃありませんか。TPOが滅茶苦茶ですよ」と反論するのです。「TPOって何だい」と聞くと「'時,と'場所,と'状況,に応じて服装を変えることです」となんて常識の無い人だろうとあきれたような顔で答えたので、「私はどんな場所でもたいていの状況には適応する服装をしているつもりなんですが」と弁明すると、驚いたような顔をして行ってしまいました。
     その後、私がワーストドレッサーから外されたのかどうか報告は無かったのですが、頭陀袋のような背広に気づいた時は私も内心彼らの選定を認めざるを得ませんでした。
     家に帰ってきてさすがにもうこの背広は捨てようと思ったのですが、替わりに着るものが無いのです。それで迷って事務所の隅にぶら下げていたら、なんとインコが胸ポケットにはいりこんで夜のねぐらにしてしまいました。暖かくて気持ちがいいのでしょう。それで私もようやくこの背広を着ることをあきらめて、インコの寝場所として提供することにしました。


    第16回蝙蝠との出会い
    第15回ダニの「あなた任せ」人生
    第14回山羊を飼う③
    第13回山羊を飼う②
    第12回山羊を飼う①
    第11回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その3〉
    第10回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その2〉
    第9回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その1〉
    第8回ウメ太郎は何処に〈その2〉
    第7回ウメ太郎は何処に〈その1〉
    第6回妄想的汚水浄化生態園(2)
    第5回 妄想的汚水浄化生態園(1)
    号外編 原種シクラメン・ヘデリフォリュームの紹介
    第4回 ボーフラとオタマジャクシの知られざる効用
    第3回 哀しきマムシ
    第2回 アオダイショウは可愛い
    第1回 ナメクジ退治

  • 第16回蝙蝠(コウモリ)との出会い

    2009年10月26日 17:10花林舎

    花林舎動物記
     平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。この「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。今回は第16回「蝙蝠との出会い」です。

    第16回蝙蝠(コウモリ)との出会い

    コウモリはかわいい動物
     コウモリといえば、吸血鬼ドラキュラを連想して気味悪く思う人が多いようですが、実はとてもかわいい動物です。
     私が子供のころ育った家の周りには以前馬検場だったという原っぱがあり、近所の子供たちは毎日そこで遊んでいたのですが、夏の夕暮れ時になるとどこから来るのかコウモリが現れてひらひらと高く低く飛び回るのです。これを見ると子供たちは石や木切れなどを空に投げ上げます。するとコウモリはさっと近寄ってくるのですが、それが餌でないとわかるとなんだというように離れていきます。何度やってもコウモリは近寄っては離れることを繰り返します。子供心にもコウモリにすまないなという気持ちもありましたが、やめられません。空が濃い灰色になってコウモリが見えなくなり、家に帰らなければならなくなるまで遊びました。
     ですから私はずっとコウモリはかわいい動物だと思っていました。今の家に住むようになってから、どうにかしてコウモリが我が家に住み着いて、時々は家の中をひらひらと飛びまわったりしないかなあと思うようになりました。

    私が泊まっていたコテージ。ここでコウモリに出会った。
    私が泊まっていたコテージ。ここでコウモリに出会った。残念ながらコウモリの写真が見当たらず・・・。


     子供のころの経験からコウモリはどこにでもいると思っていたのですが、実際はそうではないらしく今の私の棲家のあたりでは残念なことにコウモリを見かけることがありません。
     いや、たった一度、まだ子供たちが一緒に住んでいたころですが、ある夏の日の夕方、その日は薄暗くなってもまだ電気をつけていなかったのですが、家の中をひらひらと黒い影が飛びまわっているのに気づきました。始めは蛾だろうと思っていたのですが飛び方が軽やかすぎますので、「もしかして!」とひらめいて電気をつけてみたらコウモリでした。しかし喜んだのも束の間、コウモリは開いていた窓からさっと飛び出して行ってしまいました。それ以来近くでコウモリを見たことはありません。あのコウモリはどこから来て、なぜ我が家に入ってきたのでしょう。
     でもこれでコウモリがもしかしてまた家の近くに来ることがあるかもしれないという希望が生まれましたので、3階の裏窓をいつも少し開けておきコウモリが屋根裏に入って来られるようにしました。古い大きな農家などでは、屋根裏にコウモリが住み着いていることがあるという記事を見たことがあったからです。しかし、厚いカヤぶき屋根の洞窟のような屋根裏と違って、木造トタンぶきの屋根裏はコウモリのお気に召さないのか、そもそもコウモリがいないのか今もってコウモリが来た気配はありません。その代わりスズメが2回巣を作りました。我が家がコウモリ屋敷になる望みは無さそうです。

    コウモリの呪い?
     やむをえませんので、別のところで出会ったコウモリの話をします。
     数年前の3月に仕事で南の方に行ったことがありました。小さいコテージ(小屋)に宿泊して10日ばかり働いたのですが、ある朝ベッドの脇の床の上にネズミの糞のような小さい黒い粒が落ちているのに気がつきました。昨夜はこんなものはなかったのに変だな、と思いましたがその日はそのまま仕事に出ました。夕方帰ってきたときにはコテージの掃除がすんでいますので黒い粒はありませんでした。
     しかし翌朝また同じ所に同じような粒が落ちていました。上を見るとそこには梁が通っていました。きっと梁の上に鼠がいて夜に糞を落とすのだろうと考えて納得しました。
     ところが、次の日の夜、夕食から戻ってコテージに入ると中で1羽のコウモリが飛びまわっているではありませんか。片手に入るくらいの小さいコウモリです。どこから入ってきたのかわかりませんが出してやろうと思って、窓を開けて新聞紙を丸めたものを振り回していたら、運の悪いことにコウモリに当たってしまったのです。コウモリは床の上に落ちて動かなくなってしまいました。
     「しまった、可哀そうなことをしてしまった」と悔やんだものの、もう後の祭り、と思った時コウモリはふらふらと飛びあがり梁の上にたどりついて隠れてしまいました。やれやれ、殺さないでよかった、とホッとして寝たのですが・・・。
     夜中にふと目が覚めました。吸い寄せられるように梁の上に視線が行きました。すると真っ暗な中で赤い2つの小さな目(?)がじっと私の方を見ているではありませんか。目をこらして見つめないとあるのか無いのかわからないような小さい赤い点です。しかし私はまたふっと眠ってしまったようです。あれは夢だったのか現実だったのか思い出そうとしてもはっきりしません。
     翌日、滅多に風邪をひくことのない私が熱が出て頭が痛く意識がぼんやりして起きているのがつらい状態になりました。何とか仕事を終わらせて家に帰ったのですが、1カ月近くも苦しい状態が続いたのです。これはコウモリの呪いだったのでしょうか。

    宿泊したコテージの内部。
    宿泊したコテージの内部。
    胸ポケットの中で
     さて、翌年の同じころまた同じコテージに泊まって仕事をしました。今度は黒い粒も落ちていませんでしたし、赤い目に睨まれる夢(?)も見ませんでした。その代わりに思いがけない拾いものをしました。生きたコウモリを1匹拾ったのです。
     朝、入口の風除室のようになっているところの戸を開けるとそこの床の上に小さいコウモリが1羽うずくまっていました。前の晩急に寒くなったため動けなくなっていたのでしょう。私は拾い上げてワイシャツの胸ポケットに入れました。それほど小さいコウモリだったのです。コウモリは暖かいところにおさまって極楽、極楽と思ったのでしょう、全く動くことも無く夕方までポケットの中でじっとしていました。コウモリの腹部はネズミの腹と同じようなもので柔らかくて気持ちがいいということがわかりました。
     しかし、寝るときになって困ってしまいました。迷った末コウモリと別れるのは残念だったのですが、ポケットから出して放してやることにしました。まだ少し寒いので枝葉の茂った南方系の針葉樹の茂みの中に置くのがいいだろうと思い、その幹にそっと置きました。
     すると1日中じっとしていたコウモリが何と驚くような速さでするするするっと幹をよじ登って上の茂みの中に姿を消してしまいました。コウモリがこんなに速く歩けるなんて夢にも思っていませんでしたので、あっけに取られてしまいました。
     コウモリを飼うのはなかなか難しそうです。


    第15回ダニの「あなた任せ」人生
    第14回山羊を飼う③
    第13回山羊を飼う②
    第12回山羊を飼う①
    第11回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その3〉
    第10回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その2〉
    第9回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その1〉
    第8回ウメ太郎は何処に〈その2〉
    第7回ウメ太郎は何処に〈その1〉
    第6回妄想的汚水浄化生態園(2)
    第5回 妄想的汚水浄化生態園(1)
    号外編 原種シクラメン・ヘデリフォリュームの紹介
    第4回 ボーフラとオタマジャクシの知られざる効用
    第3回 哀しきマムシ
    第2回 アオダイショウは可愛い
    第1回 ナメクジ退治

  • 第15回ダニの「あなた任せ」人生

    2009年9月29日 10:21花林舎

    花林舎動物記
     平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。この「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。今回は第15回「ダニの「あなた任せ」人生」です。

    第15回ダニの「あなた任せ」人生

    ササや木の枝から決死のダイビング
     我が家の犬達は以前、山林の中を駆け巡っては、たくさんのダニをくっつけて帰ってきました(今は老衰して寝てばかりいます。今年の冬のある日、犬小屋の中で冷たくなっていることでしょう)。
     このダニはまことに「あなた任せ」の生き方をしているように私には思えるのですが、それでも死に絶えることなくずっと生き続けているのですから、人間社会のダニと同じく案外うまい生き方なのかもしれません。
     犬につくダニは初めは体長1~2ミリしかなく、よく目を凝らして見ないと見えないほど小さい生き物です。林の中のササや木の枝に付いていて、下を動物が通りかかると落下してその動物に取り付くのだそうです。うまく動物の上に落ちればいいのですが、外れてしまうとまた木によじ登ってやり直すのでしょうか。それとも「エイめんどくさい、もう俺の人生はこれでおしまい」とふてくされてやめてしまうのでしょうか。そこのところは、ダニの本にも書いてありません。それにしても、あんなに小さいダニを観察してこういう行動を発見した研究者はたいしたもんだと思います。
     我が家の犬達は1頭が1年間に(雪融け後間もなくの頃から秋の中ごろまで)100匹以上のダニに寄生されていましたから、めくらめっぽうのようなダニの作戦も意外に効率がいいのでしょう。それとも山野の藪の中はダニで満ち満ちているのでしょうか。
     ダニの方からすると、犬や人が通りかかる確率は極めて稀なわけで、通常は野鼠、野兎、狐、タヌキ、テン、リス、鹿、猪、熊といった野生動物たちに取り付いてその血を吸って生きているのです。
     ある時外で仕事をしていて、可愛い野鼠を1匹捕まえました。捕らえ方が悪かったのかすぐに死んでしまったのですが、あまりにもきれいな鼠でしたので子供達に見せてやろうと思い、ビニールの袋に入れておきました。ところが、2、3時間して取り出してみたら、何と無数の小さいダニが鼠の死体の表面をうごめいているではありませんか。鼠が死んで生き血を吸えなくなったダニ達が移動しようとして体表に出てきたのだと気が付きましたが、その数の多いことにびっくりしました。
     1匹の小さい鼠にこれほど多数のダニがついているのですから、自然界のダニの数たるや想像もつかないほどの量であると推測されます。

     野うさぎの目の周りについたダニ
    この野兎は目のまわりに3匹、目の先2cmほどのところに1匹と、計4匹のダニが付いている。



    犬のダニ取りは楽しいぞ

     さて、うまく犬に取り付くことのできたダニは、血を吸いやすい場所を探して動きまわります。犬をなでてやっていると、まだ定着しないで体表を歩いている小さいダニが見つかることがあります。クモの仔によく似ていますが、紅くて平べったい体型をしているので区別がつきます。
     ダニが1番良く付くのは耳と目の周りです。口の周りにも付きます。胴体では脇腹と下腹に多く背中にはあまり付きません。
     耳には表側にも裏側にも付きます。ひどいときには片耳で10匹、両耳で20匹も付いていたことがありました。
     これを取ってやるのが私の楽しみの1つで、まだ米粒大の小さいのから大豆くらいの大きさのものまで、さまざまの大きさのダニを親指と人差し指でつまんでグイと引っ張ると、ブチッという音がしてダニが取れます。小さいダニほどしっかりと噛み付いていて、少々の力では取れません。犬によって、また付いている場所によって反応が違うのですが、痛がってヒーヒー泣くのを押さえつけて取るのです。何度もやっていると、私の姿を見ると逃げていってしまう犬も出てきます。それでも、耳や胴体に付いたダニは取らせてくれるのですが、目の縁についたダニは目を傷つけられると思うのか嫌がって、なかなか取ることができません。そのうち大きくなって自然に落ちてしまいますが。
     胴体についたダニは犬の身体をなでてやっていると、手にふれるので発見できます。米粒大のダニでもわかります。胴体に付いたダニを取る時は痛くないのか犬は平然としていますので容易に取ることができます。
     取り付いた最初の頃は薄くて1ミリか2ミリほどのダニが、血を吸って育ち最後にはまん丸に膨れて直径1センチほどの大きさになります。といっても頭、胸、脚はほとんど成長せず腹だけが大きくなるのです。この中には犬の血が詰まっていて、やがて無数の卵に変わり微小な仔ダニが生まれてくるのですが、我が家の犬に付いたダニはその辺に落ちてしまいますから、仔ダニ達は次の獲物に取り付くチャンスはほとんど無いでしょう

    人間にも付くが心配はいらない
     このダニは人に付くこともあります。私にも2回付きましたが、全く痛くも痒くもないのでしばらく気が付きませんでした。1度目は頬っぺたに急に疣ができたと思ってそれをいじっていたらポロリと落ちて、拾ってみたら小さい足があって動くのでダニだとわかりました。2回目は、風呂に入っているとき脇腹に疣のようなものがあって、これは前の経験があったのでダニだろうと思って引っ張ってみると、食いついた細い口が見えてやっぱりダニでした。強く引っ張ると痛くも何ともなく取れました。犬達がなぜあんなに痛がるのかわかりません。ダニは犬と人とでは違う対応をしているのかもしれません。このダニは病気をうつすとかいうことはないようですから、食い付かれてもどうということはありません。
     もっとも、犬の場合はこのダニの噛み跡から膿瘍という腫れ物ができることがあるそうです。我が家の犬も1頭背中にこの腫れ物ができました。直径1.5センチほどの球ができたと思ったら、それが破裂して血がジクジクと滲み出してきました。私は癌になったのかと驚きましたが、万病に効く秘密の特効薬を1ヵ月ほど飲ませたら治りました。薬代は約3万円かかりました。

    犬の目の縁についたダニ
    我が家の飼い犬の目の縁にダニが2匹付いている。


    第14回山羊を飼う③
    第13回山羊を飼う②
    第12回山羊を飼う①
    第11回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その3〉
    第10回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その2〉
    第9回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その1〉
    第8回ウメ太郎は何処に〈その2〉
    第7回ウメ太郎は何処に〈その1〉
    第6回妄想的汚水浄化生態園(2)
    第5回 妄想的汚水浄化生態園(1)
    号外編 原種シクラメン・ヘデリフォリュームの紹介
    第4回 ボーフラとオタマジャクシの知られざる効用
    第3回 哀しきマムシ
    第2回 アオダイショウは可愛い
    第1回 ナメクジ退治
  • 第14回山羊を飼う③

    2009年8月19日 18:29花林舎

    花林舎動物記
     平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。この「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。今回は第14回「山羊を飼う③」です。

    第14回山羊を飼う③

    牝山羊の悲劇
     さて、これまでの経過を簡単に振り返ってみますと、①85年5月に山羊2頭を連れて来る。②86年3月6日に仔山羊2頭生まれる。③86年9月14日に2回目の仔山羊が2頭生まれる。
    山羊 ということで、このままだと親山羊を含めて6頭になっていたはずです。しかし、こんなに多くなると餌にする草を集めるのも容易ではなく、農家ならともかく会社勤めをしながら飼うのは困難になってきました。そこで誰か山羊をもらってくれる人がいないだろうかと探していたら、50キロくらい離れたところにある観光地で山羊を飼っているところがあり、そこの社長さんが好運にも知り合いでしたので、頼んで引き取ってもらいました。ちょっとの間ですが育てた山羊達ですから気になって後で見に行ったのですが、他の山羊に苛められている様子もなく、元気でしたので安心しました。
     こうして3年目の冬も2頭でしたので餌も何とか集めることができました。3回目の出産は87年の4月の予定でしたが、このとき悲劇が起こったのです。
     4月5日頃までは何事もなく順調のように見えました。牝山羊は元気で腹が大きくなり、以前の例や日数を計算してみると、もう明日にも生まれるだろう、明朝見たら小さい仔山羊がいるんじゃないか、と思っていたのです。ところが予定日をすぎても生まれず、腹はますます大きくなり、牝山羊は次第に苦しそうな表情になり、元気が無くなって来ました。どんな原因かわかりませんが仔が生まれないのです。これは大変なことになったぞと思い、近所の獣医を呼んで診てもらいました。しかし、彼は自信無さそうに首を振って「何もしないよりはいいか」という感じで注射を1本打っただけで帰ってしまいました。
     その翌朝小屋に行って見ると牝山羊は冷たくなって横たわっていました。こうして、お姫様のようにきれいでおっとりしていた牝山羊は、わが家に来てからたった2年で彼岸の地へ旅立ってしまいました。

    号泣する牡山羊
     死んだ山羊をそのまま小屋に置いておくわけにもいきませんから、運び出して山に埋葬してやりました。仔山羊達もいませんから、広い小屋には牡山羊1頭だけになりました。餌をやると妻子を追い払って独り占めにしていたあの横暴な山羊です。この山羊が牝山羊が死んで、死体を取り除いた直後から、「オー、オー」と昼となく夜となく吠えるようになりました。なんと泣いているのです。
     妻を愛しているようには見えず、暴君そのものの気性の荒い牡山羊がオー、オーと吠え続けるのは全く意外でした。しかし、1日中その声を聞かされる私達は二重の意味で辛く、耐えられなくなってきました。二重の意味とは、暴君山羊の率直な悲しみの声が、私達の心をかきむしる、ということと、もう1つは、ただただうるさい、ということです。私の家族だけならうるさいということは我慢できたのですが、隣近所の人たちにとっては、とても我慢できない騒音だろうと推測されます。
     かわいそうですが処分するしかありません。玉山村の方に山羊を飼育している人がいる、と聞いてその人に頼んで引き取ってもらうことにしました。当日は必死になって抵抗する山羊の角を持って迎えにきた小型トラックに引っ張りあげ、縛りつけて見送りました。私にあんなに反抗的だった牡山羊が、最後の時には「行きたくないよう。ここに居たいよう」と言うように暴れたのです。

     それから数ヵ月後、この人に会って山羊の様子を聞くと淡々と「あの山羊は暴れてばかりいてしようがないから殺してしまったよ」と言いました。何と言うことでしょう。妻に死なれ、飼主に見捨てられて、あの山羊は生きる張り合いを無くしたのでしょう。それにしても、あんなに妻子に対して横暴で利己的に振舞っていた牡山羊が妻の死によってあんなに大きな衝撃を受けるとは、思いもかけないことでした。
     人間にもこういう人がいます。
    kari090819-2.jpg kari090819-4.jpg


    〔付記〕― 高速道の山羊
      この山羊が死んだ年に、高速道の法面の草を山羊に食べてもらってきれいにしているところがあると聞いて見に行きました。栃木県の鹿沼というところで日本道路公団の職員の人が試みにやっていました。柵を造ってその中に山羊を放し、そこの草を食い尽くしたら柵を移動するのです。単調で味気ない法面に白い山羊が数頭いるだけで、そこの風景がまるで生き生きと見えて、私は感動しました。
     柵の移動とか、飲み水の補給とか、草が枯れた冬にどうするのかとか、いくつかのわずらわしいことはあるでしょうが、お役所がこんな試みをするとは楽しいではありませんか。お役所にぐっと親しみを感じます。
     山羊、羊、牛などを雑草管理に使うという試みは、細々とではありますが今も行われています。アイガモ(アヒルとカモの合の仔)を水田に放して雑草と害虫を駆除する農法は日本を発して今や東アジアに広く普及しています。
     猿の害に悩む村で、犬を放して猿を追い払うことも始まりました。
     何でも機械や農薬で片付けてしまうよりも私はこんなやり方が好きです。
    kari090819-4.jpg
           高速道の法面の雑草を食べる山羊達


    第13回山羊を飼う②
    第12回山羊を飼う①
    第11回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その3〉
    第10回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その2〉
    第9回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その1〉
    第8回ウメ太郎は何処に〈その2〉
    第7回ウメ太郎は何処に〈その1〉
    第6回妄想的汚水浄化生態園(2)
    第5回 妄想的汚水浄化生態園(1)
    号外編 原種シクラメン・ヘデリフォリュームの紹介
    第4回 ボーフラとオタマジャクシの知られざる効用
    第3回 哀しきマムシ
    第2回 アオダイショウは可愛い
    第1回 ナメクジ退治

  • 第13回山羊を飼う②

    2009年7月 8日 10:19花林舎

    花林舎動物記
     平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。この「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。今回は第13回「山羊を飼う②」です。

    第13回山羊を飼う②

    手向かう山羊
     日が経つにつれて山羊たちは成長し、仔獣の体形から成獣の体形へと変わってきました。日本で一般に飼われている山羊の体形を長方形とすると、この山羊は正方形といっていいほど体長が短く引き締まった形をしていました。そして前にも書いたように、動作が活発で走るのも速いのです。野生種の血が入っているのではないかと推測されます。
     牝山羊は成熟しても可愛い姿は変わらず、おとなしくてお嬢さん風でしたが、牡山羊はだんだん気性が荒くなってきました。どうもやっぱり野生の血が濃いのではないでしょうか。会社に勤めながらの草集めも大変なので休日などには外の空地へ放して草を食べさせることもありました。夕方になって小屋に入れようとすると、初めの頃は素直に従っていたのですが、だんだん服従しなくなってきました。

    日本で一般的に見られる山羊
    日本で一般的に見られる山羊。


     そして、山羊にこんな芸当ができるとは思ってもいなかったのですが、後脚で立ち上がり前脚を持ち上げて私を威嚇するのです。熊が人を襲う時、後脚で立ち上がるそうですが、それと同じかまえです。
     山羊が立ち上がってもこっちは恐ろしくも何ともありませんが、つけあがらせてはいけませんから横っ面を手でバシンと叩いてやりました。3~4回そんなことがあって、牡山羊もこれは効果が無いとわかったらしく、やらなくなりました。立ち上がる代わりに頭を下げて突進してこられたら私も、対応に困って山羊に白旗を掲げただろうと思います。牡山羊は戦術を間違えました。
     85年の5月に貰ってきた幼い山羊が翌年3月6日にはもう仔を2頭産みました。その上驚いたことに、同じ年の9月14日にもまた生まれました。何と1年に2回も仔山羊が産まれるのです。これは容易ならざることになりました。1年で4頭増えるのです。2年で8頭、3年で12頭。仔山羊もすぐに成長して、こっちも多分同じように産みますから、これはもうどこか広いところに引っ越して牧場をつくらなければなりません。 

    脱走する山羊
     と思っているところに、もう一つ厄介なことが起こりました。小屋から出して外へ放しておいた山羊が初めの内は近くで草を食べていたのですが、少しずつ遠くへ行くようになったのです。86年5月8日の日記を引用します。
    『山羊たちがだんだん傍若無人になって、道路を4頭そろって走ったり駅前広場を一周したりするようになったので放しておけなくなり、囲いをつくらなければ、と思っていたが昨日ときょうの2日かかってようやくできた。山羊小屋と囲いで結局3万円もかかってしまった。昼前にでき10時半頃妻と畑に行って昼まで野菜種をまいたりジャガイモを植えたりして帰り、昼食後昼寝をして起きて行って見ると何と囲いの中には1頭の山羊もいなくて、金網がひしゃげている。これはどうしたことだと探すと谷藤さんのツツジを食べているではないか。あわてて追っ払い、牡山羊をパンで誘って囲いの中に入れて様子を見ていると、顎で金網を押し下げ、ヒョイとまたいでしまった。そこで、また補修してオス、メス2頭を入れたらメスは下をくぐって出てくるではないか。これを補修し、入れたり追っかけたりするうちにとうとう日暮れになってしまい、ほとんど仕事できず。まったく山羊たちには泣かされる。』
     こんなわけで、外へ出すことはできなくなり、小屋の隣に屋根無しの囲いだけのところをつくってつなげ、中の棲息スペースを広げました。これが前号にある写真です。山羊小屋を建てた土地は、借家の敷地の外でしたから土地代として別に年5千円払うことになりました。

    台湾の観光牧場の山羊は茶色の短毛であった。
    台湾の観光牧場の山羊は茶色の短毛であった。
    インドの山岳地帯で見た放牧の山羊。毛が長く柔らかい。
    インドの山岳地帯で見た放牧の山羊。毛が長く柔らかい。

     小屋に閉じ込めることになって、一つの発見をしました。それは牡山羊が実に横暴だということです。なんとなく、牡は妻である牝や仔を守って外敵と雄雄しく闘うもの、というイメージがありますが、現実のわが家の牡山羊・親父山羊はとんでもない暴君でした。餌を投げ与えると牝や仔を追い払って牡山羊が独占して食べるのです。追い払うとき情け容赦なく頭でぶっ飛ばしますから仔山羊はもちろん牡山羊も近寄れません。体格から見て、成獣となった牡山羊の力は牝山羊の2~3倍はありそうですから、全く相手になりません。
     犬達も同様で餌を1ヵ所に置くと、父親の梅太郎が独占してしまいましたから動物はこれが普通の姿なのでしょう。そこで2ヵ所に餌を分けて置くことにしましたが、これも余程離して置かないと2カ所を往復して妻子を蹴散らしてどっちも独占しようとするのですから、全くあきれ返ったものです。


    第12回山羊を飼う①
    第11回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その3〉
    第10回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その2〉
    第9回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その1〉
    第8回ウメ太郎は何処に〈その2〉
    第7回ウメ太郎は何処に〈その1〉
    第6回妄想的汚水浄化生態園(2)
    第5回 妄想的汚水浄化生態園(1)
    号外編 原種シクラメン・ヘデリフォリュームの紹介
    第4回 ボーフラとオタマジャクシの知られざる効用
    第3回 哀しきマムシ
    第2回 アオダイショウは可愛い
    第1回 ナメクジ退治


  • 第12回 山羊を飼う①

    2009年5月26日 18:17花林舎

    花林舎動物記
     平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。この「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。今月は第12回「山羊を飼う①」です。

    第12回山羊を飼う①

     これは今から20年も前、私が小岩井駅前の小さな貸家に住んでいた頃の話です。

    遠路山羊をもらいに行く
     1985年の冬が終わる頃、1通の手紙が届きました。差出人は私が小岩井に来る前に勤めていた職場で世話になった人で「あなたは、いつか山羊を飼ってみたいと言っていたが、私は今年停年退職するので、記念にあなたに山羊をひとつがい贈呈することにした。知り合いの牧場が茨城県にあるので引き取りに行ってもらいたい。その山羊は動物実験用に改良された小型の山羊である」という内容でした。
     私はそんな話をしたということも忘れてしまっていたのですが、飼ってみたい気持ちはありましたし、私の話を覚えていてわざわざ手配をして下さったご厚意に応えるためにもありがたく頂戴することにしました。
     その頃私はまだ会社に勤めていましたので、先方と打ち合わせた結果、5月のゴールデンウィーク後の日曜日に行くことにしました。先方の住所を頼りに地図を調べて見ると、福島県の須賀川で高速道を降りて一般道を3時間ほど行かなければなりません。それまで車では仙台までしか行ったことのない私にとっては、一挙に3倍近い距離を行って帰って来なければならないわけです。
     車を運転するとすぐ眠くなってしまう私が、1日で往復できる距離とは思えません。これは大変なことになった、と内心青くなりましたが、この頃は長女が小学校高学年、次女が2年生くらいで、もっとも父親の威厳を示さなければならない時期ですから、そんな素振りを見せるわけにはいきません。
     さて当日は朝8時に出発しました。普通の人ならもっと早く5時とか6時には出かけるでしょうが、朝寝坊の私はたまに早く起きるとたちまち体調を崩してしまい、2時間も走ると居眠り運転をする可能性がありますので、いつも通り遅く起きて出発しました。当時はトラックは無く、乗用車しか持っていませんでしたので、後部座席を取り外して古い毛布を敷き、そこに仔山羊を乗せることにしました。

    小屋の中で休んでいる山羊たち
    小屋の中で休んでいる山羊たち。
    実験用に改良された小型の山羊で、普通の山羊とは体系が違う。


     私にとっては長い長いドライブでした。途中昼食で1時間休んだだけなのに、牧場に着いたのは3時近くで、車に乗せるまでに1時間かかりましたから向こうを出発したのは4時ごろでした。仔山羊は真白で体長50センチほどの本当に可愛い山羊でしたが、実に活発で走るのが速く、係の人も容易には捕まえられないのです。のそのそと歩く、普通の山羊とはまるで違います。それでもようやく捕まえて乗せますと、不安そうな目をして2頭寄り添ってうずくまったまま動かなくなりました。
     帰りは眠くなるといけないので夕食も食べず、水分を取るために30分休んだだけでしたが、家に着いたのは夜中の12時でした。暗い夜道をひたすら走り続けながら、車というものはこんなに走っても壊れない、たいしたものだ、と思ったことを覚えています。 

    山羊のエサ
     この頃私が住んでいたのはJR田沢湖線の小岩井駅から北へ80メートルほどのところで、盛岡に行くとき電車がホームに入ってくるのを見てから走って行っても間に合うほど近くでした。そしてこんな便利なところなのに、駅と私の棲家との間には家が1軒しかなく、広い空地になっていました。というのは駅前には製材工場があって、木材をストックしておくための場所だったのです。私がここの貸家に入って数年後に製材所は廃業してしまい、広い空地が残ったというわけです。
     家の脇に20坪ほどの土地も借りてそこにビニールハウスを建てました。これは野菜や花の栽培場になったり、鶏小屋になったり、マキ置場になったりしました。山羊小屋は、その中にとりあえず仔山羊2頭を入れるだけの小さいものを、引き取りの前に造っておきました。
     山羊の正しい飼い方、というようなことは知りませんでした。草を食わせておけばいいだろうくらいの考えです。幸い5月の中旬でしたから草はそこら中にたくさんありました。朝出勤前に草刈りをして山羊にやることが日課になりました。
    最初のひとつがいから、仔も生まれた
    最初のひとつがいから、子も生まれた。
    左から、牡山羊、牝山羊、仔山羊2頭。
     飼い始めてわかったことは、山羊は休み無く草を食い続ける動物だということです。与えられればどれだけでも食べるのではないかと思うくらい食べました。もちろんそんなに無制限に与えることは労力的にもできませんし、たぶん山羊の健康にも良くないでしょうからやりませんでしたが。
     しかし、思いのほかたくさん食べるので、近くには山羊が食べる草が無くなってしまいました。そうなるとどこへ行っても道端の草が目につくようになり、軟らかい美味しそうな草がまとまって茂っているところを通りかかると「いい草があるぞ」と目に飛び込んでくるのです。それまで雑草でしかなかったのが〝資源〟として感じられるようになりました。
     これはとても重要なことで、ヨーロッパアルプスとかモンゴルとか、寒さや水分不足のため作物を育てることができない場所では、草を羊や山羊や牛に食べてもらい、その家畜の乳や肉や毛や皮を人間が利用する、という方法で生計の手段を持っています。終戦後の食料が不足していた頃、田舎の住民は山羊、羊、豚、鶏、兎、などを飼ってできるだけで食料を自給する努力をしたものです。山羊、羊、兎はほとんど草や木の葉だけで育ちますから、無料の餌で飼えたわけです。
     ただ、岩手は長い冬があってこの期間は草がなくなってしまいます。妻は「冬は私があちこちから野菜屑をもらってきて養っていたのよ。大変だったんだから」と言います。私はその辺りの記憶はぼんやりしていてよく思い出せないのですが、大根の葉、キャベツの外側の葉などが捨てられるので、それをもらってきて与えていたようです、食パンの耳もよく買ってきていたような気がします。それでも足りなくなり、夏の間に干草を作っておけばよかったと思ったものでした。
    (次号に続く)

    第11回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その3〉
    第10回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その2〉
    第9回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その1〉
    第8回ウメ太郎は何処に〈その2〉
    第7回ウメ太郎は何処に〈その1〉
    第6回妄想的汚水浄化生態園(2)
    第5回 妄想的汚水浄化生態園(1)
    号外編 原種シクラメン・ヘデリフォリュームの紹介
    第4回 ボーフラとオタマジャクシの知られざる効用
    第3回 哀しきマムシ
    第2回 アオダイショウは可愛い
    第1回 ナメクジ退治
  • 第11回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その3〉

    2009年4月28日 09:42花林舎

    花林舎動物記
     平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。この「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。今月は第11回「刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その3〉」です。

    第11回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その3〉

    スズメバチは何を食べるのか
     ミツバチが花の蜜と花粉を主食にしていることはよく知られていますから、ハチはどの種類でも蜜を吸って生きているのだろうと考えている人が多いと思いますが、スズメバチは肉食で他の昆虫を狩って餌とし、幼虫もそれで養っているのです。たいていの昆虫を食べ、虫類の王者のようなカマキリやクモさえもオオスズメバチには簡単に食われてしまうというのですから驚きです。
     虫を狩る時の主たる武器は毒針ではなく強力なアゴだそうです。私を襲ったキイロスズメバチはその強いアゴでしっかりと私の額に噛み付き、払い落されないようにしておいてから毒液を注射したのですから、まことにケンカ慣れしているというか、格闘技の達人のようなところがあります。
     ところで、ふと思ったのですがハチを払い落とさず心ゆくまで刺すに任せておいたらいったい何秒くらい刺しているものなのでしょうか。またその時はどれくらい腫れるものでしょうか。わたしはその動物実験に自分の身体を提供する勇気はありませんが、そんなことを思いついてはかわいそうな動物達に酷い実験を施している医学研究者が世界中に無数にいます。
     思えば、私達は中学や高校でパヴロフの条件反射というものを習って、1つ賢くなったような気になっていたのですが、その真理を見出すために、胃に穴を開けられ苦痛の内に死んでいった犬達のことも同時に教えられなければならなかったのではないでしょうか。

    完成した巣

    完成した巣。




     スズメバチは他の昆虫を餌にするだけでなく自分より弱いほかの種類のハチの巣を襲い、その幼虫や卵を食べてしまいます。これは1ヵ所で大量の餌が得られるのですから、実に効率のいい食料調達法です。同じ習性の生物を餌にするわけですから、いつ頃襲えば最大の量が得られるか、などよくわかっていて都合がいいのでしょう。
     このように同属の生物を餌にするというのは、鳥の世界にもヘビの仲間にも見られ、人間も古今東西あらゆるところで弱者は強者のえじきになってきました。現代日本の格差社会では、それがますます激しくなっています。
     私は残念なことにハチが虫を狩っているところは1度しか見たことがありません。それは畑のキャベツについていた青虫をキイロスズメバチが噛み切って肉団子にしているところでしたが、それからハチを駆除しないで保護することにしたのです。
     しかし、スズメバチもアシナガバチもたくさんいるのに青虫は一向に減りません。害虫を他の虫によって制するというのはそんなに簡単なことではないのです。
     一般の虫についても最盛期に発生する数たるやたいへんなもので、夏の夜に車で帰ってくる途中、水田と森の間の道にさしかかると、ライトの光の中に砂嵐かと見まがうばかりの無数の虫共が浮かび上がり、車のフロントガラスに次々とぶつかってきます。我が家の近くには毎年ヨダカという虫を食う鳥が渡って来ますが、これだけ虫がいればヨダカが100羽いても楽々と生きていけるでしょう。
     スズメバチは肉食ですが甘いものも好きで、蜂蜜や砂糖を溶かした液をペットボトルに入れて小窓をつくって開けておくと、その中に入って出られなくなり死んでしまうため、山林作業の予定地にこのペットボトルをたくさんぶら下げておくとスズメバチを駆除できるそうです。
     2~3年前、秋の終わりに我が家に入り込んだアシナガバチが数匹居間の天井に潜んで生きのび、天気のいい暖かい日の食事時には食卓の上に降りてくるのです。きっと食べ物の匂いが天井に昇っていくので、餌にありつけると思って降りてくるのでしょう。ハチを見つけるとミカンやリンゴを切って皿の上に置いてやるのですが、ハチはすぐにかぶりついて汁を吸い、またゆっくりと天井に舞い上がっていきます。でも越冬はできないのか正月を過ぎるころには降りてくるハチはいなくなり、淋しい思いをしました。皿の上のハチを見ていると、ハチは何10万種とある昆虫の中でも、もっともスタイルの美しいものの1つではないだろうか、という気がしてきます。
     以前小学校の運動会は秋に開催するのが慣例でしたが、このころはスガリ(地蜂・クロスズメバチ)が多くなる時期で、食べているリンゴやミカンジュースにとりついて汁を吸おうとしますので、誤ってハチを飲み込みそうになります。もしハチを飲み込んでノドを刺されたりしたら、ノドが腫れ上がって呼吸困難になるのかもしれず大変危険なのです。
     またよく外に干してある洗濯物に取り付いていて、まだ幼稚園に通っていた下の娘が靴下を履いた途端に足を刺されたことがあります。

    スズメバチ果てて山家に冬が来る
     さてまた休憩室のキイロスズメバチの話に戻ります。
     営巣がいつ頃まで続いたのか、はっきりとはわかりません。9月18日(2005年)に巣から3メートルくらいのところで刺されてから、5メートル以内には近寄らないようにしていましたし、10月には仕事が忙しくて日中家にいることが少なかったせいもあります。多分、9月末あたりがハチの数も1番多く、動きも活発だったのではないかと今は考えています。
     10月中旬頃からハチの数が急速に減ってきました。月末に妻が「スズメバチが幼虫を巣から引き出して捨てている」と言いました。そんな子供殺しをするのだろうか、と信じられなかったのですが、行ってみると確かに丸々と太った白い幼虫が20~30匹ほど巣の下に散らばっています。なぜこういうことをしたのかわかりませんが、もちろんそのようにせざるを得ない事情があったのでしょう。
     11月に入るとハチの数はさらに減って、巣にへばりついているのが1~2匹、巣から飛び立つのも帰ってくるのも1分間に1匹くらいになりました。しかし、時には10匹ほどのハチが巣の外側にくっついていることもありました。もう動く力も無さそうで、ただへばりついているだけです。そして翌朝行ってみるとそのうちの何匹かは死んで下の地面に転がっています。生きているころはあんなに勇ましく猛々しかったハチも死ぬと腰が曲がり、干からびたようにクシャとなってしまうのです。
     こうして日ごとに減っていくハチの最後の生き残りは巣房の入口の中に身を潜めたり、入口の外側に取り付いて、最後まで巣を守ろうとしているようでした。それは落城寸前の城を食べ物も無くなって餓死しそうになりながら、気力だけで守り抜いている兵士のようでした。
     そして11月23日、巣にしがみ付いていた最後の2匹がとうとう死んで落下してしまいました。

    死んで巣の下に落ちていたスズメバチ

    死んで巣の下に落ちていたスズメバチ。

    必死に日当りに出てこようとしているスズメバチ

    巣の下に落ちて、
    必死に日当りに出てこようとしているスズメバチ。
    翌日には死んでいた。


     この年は冬の訪れが早く、11月9日に初雪があり3センチ積もりました。その後月末までに2回雪が降り、12月の初めに根雪になりました。例年より1ヵ月早い真冬の到来です。
     我が家のキイロスズメバチの巣はちょうどラグビーボールくらいの大きさになりましたが、まるで狂気のように、あるいは猛烈社員のように働き続けて完成させた巣は、2ヵ月後には無人の巣になり、どこかで越冬している女王蜂以外のハチは全て死に絶えてしまうのです。巣の下に倒れているハチの数倍か10数倍のハチは、飛んでいった先のどこかで体力が尽きて、再び帰ることはありません。
     ハチの短い一生、働き詰めの一生は何のためなのか、と現代の日本人は考えてしまいますが、つい50年前まで山村の日本人の多くは、ハチと同じような生活をしていたことを60代以上の庶民は想い出します。

    参考文献:中村雅雄「スズメバチ」八坂書房2000年発行


    第10回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その2〉
    第9回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その1〉
    第8回ウメ太郎は何処に〈その2〉
    第7回ウメ太郎は何処に〈その1〉
    第6回妄想的汚水浄化生態園(2)
    第5回 妄想的汚水浄化生態園(1)
    号外編 原種シクラメン・ヘデリフォリュームの紹介
    第4回 ボーフラとオタマジャクシの知られざる効用
    第3回 哀しきマムシ
    第2回 アオダイショウは可愛い
    第1回 ナメクジ退治

  • 第10回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その2〉

    2009年3月28日 14:41花林舎

    花林舎動物記
     平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。この「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。今月は第10回「刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その2〉」です。

    第10回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その2〉

    ついにやられちゃった
     8月になると巣は急速に大きくなり、ハチの数も見えるだけで数十匹に増えましたが、私達は慣れっこになって平気でその下を通って休憩室に出入りし、お茶を飲んだりしていました。もっとも前に書きましたように、休憩室の主な利用者は妻とパートの女性1人でした。
     スズメバチは夏の終わり頃から凶暴性が増す、といわれているのですが、私達の友好関係も8月下旬に突如終止符を打つことになりました。
     8月25日。この日は全員で社内の花苗の手入をしていました。私は自宅で書類を作成していました。
     3時半ごろ妻が家に飛び込んできて「スズメバチに刺されちゃった」と言うのです。そして軟膏を探して刺されたところに塗り付けました。
     休み時間になって5人の作業者がドヤドヤと休憩室に入ったのがハチを刺激したのではないか、というのが妻の考えでした。皆が椅子に座ったところをハチが襲い、妻とパートの女性が刺されたそうです。若い男性2人と女性1人は運良く襲われなかったので、急いで室を飛び出し助かったそうです。
     私は若い3人に「年寄りを助けないで若い者が真っ先に逃げるとは何事だ」と叱るつもりで現場の方に行ってみますと、若者達は巣から10メートル以上離れた所に寄り添って立ち、青い顔をして震えていましたので、叱るのはやめました。

     完成した巣を下から見上げたところ
     完成した巣を下から見上げたところ




     それからハチの状態を見ようと思い、3メートルほどの所に立って眺めていると、5秒もしないうちに2匹のハチが真っ直ぐ私の方に飛んで来て、「しまった」と思う間もなく額を2ヵ所刺されてしまいました。例によって、ガーンと殴られたようなすごい痛みです。あわてて手で払いのけましたが、ハチはしっかりとしがみ付いてなかなか取れません。さらに別のハチがやってくるのが見えましたので、急いで巣から遠ざかりながら、ようやく2匹のハチを払い落としました。
     すぐ家に帰り鏡に顔を映してみますと、小さくポツンと赤く脹れたところが2ヵ所と傷跡が1ヵ所あります。刺されたのは2ヵ所のはずなのに、傷跡らしいところは3ヵ所とはどういうことだろうという疑問が浮かびましたが、とりあえずその3ヵ所に爪を当てて毒を搾り出し、EM・Xをしみ込ませたカット絆を貼り、有機ゲルマニューム剤を3錠飲みました。
     後で林業労働者から聞いたのですが、スズメバチはまず噛み付いて落ちないようにしておいて刺すのだそうです。そうすると傷跡は噛まれた場所だったということになり、疑問は氷解しました。
     2人が刺された後に見に行き、私も刺されたというのは阿呆みたいな話なので黙っているつもりでしたが、だんだん顔が腫れてきたのでばれてしまいました。
     しかし、この日の夜遅くには腫れも引き、翌日はほぼ平常に戻りました。妻はしばらく腫れやかゆみが残ったようです。
     パートの人には、この日は帰って医者に診てもらうようにと話しました。幸い彼女も重症になりませんでした。
     こんなことがあるとさすがにもう休憩室は使えませんので、翌日の夜、ハチ達が眠っている間にテーブルと椅子を外へ運び出し、30メートルほど離れた木の下に移して青空休憩室にしました。
     近づかなければ危ないことはありませんので巣はそのままにしておきました。

    ハチも手抜き工事をする
     9月5日ころ、ハチ達にとって大変なことが起こりました。こんなことがあるのか、とびっくりしましたが、人間だけが失敗するのではない、神が統治している(?)自然界でもこんな失敗があるのだと知って愉快になりました。
     妻が「ハチの巣の中身が落ちてしまったよ」と言うのです。「エッ、どういうこと?」と始めは理解できなかったのですが、このころには直径25センチ近くになっていたスズメバチの巣の中身が何故か抜け落ちてしまい、巣の真下にあるということのようです。
     翌日行って、離れたところから眺めてみると確かに巣の中身が地上に落ちています。それは厚さ10センチ、直径20センチくらいの円盤型をしていて、巣房が3段重ねになっていました。太った白い幼虫がびっしり詰まっていて、いかにも重そうです。下になった層の幼虫は潰れて死んでしまったのでしょうが、上層の巣房の幼虫はまだ生きている可能性があって、働きバチが数匹どうしようかとうろうろ歩き回っています。
     私が見た時は落下後3~4日経っていたと推定されますので、死んだ幼虫はもう腐り出しているのではないかと思いそのままにしておいたのですが、新鮮な蜂の仔なら油でいためて食べたでしょう。もったいないことをしました。
     このころハチの巣は釣鐘型をしていたので、ドンドン数が増えて重量を増す幼虫の重さに、側壁の支えが耐え切れなくなって下部が抜け落ちてしまった、と考えられます。巣の大きさから見ると、落ちたのは3分の1くらいのようでしたが、ハチ達にとっては相当なショックだったに違いありません。

     抜け落ちた巣の中身
     抜け落ちた巣の中身


     これは設計ミスなのか手抜き工事があったのか、詳しく調査しないとわかりませんが、ハチ達は私がこの事故を知った翌日あたりにはもう気を取り直して猛然と働き始めていました。この事故がかえって、ハチ達の結束力を強めたようでした。

    アシナガバチが襲われる
     巣の修復も順調に進み、ハチ達も落ち着いたろうと油断したのがまずく、9月18日にまた刺されました。巣から3メートルほどのところに水道の蛇口があり、そこでジョウロに水を汲んでいたら、いきなり頭にガーンという衝撃を受けてびっくり。このときは不意打ちでしたのであわててしまいなかなかハチを払い落とせず、たっぷりと毒液を注入されてしまいました。
     しかし、この日もEM・Xと有機ゲルマニューム剤が効いたのか、夜遅くにはすっかり楽になり、翌日には腫れも引きました。刺されたことは恥ずかしいので黙っていたのですが、妻には「少し顔がふくれてるけど」とばれてしまいました。
     これより1週間ばかり前、家の台所の前の軒下にあったアシナガバチの巣が破れてボロボロになっているのを、これも妻が発見しました。「きっとスズメバチに襲われたんだよ」と言います。恐怖にかられたアシナガバチが10匹ほど、窓を開けていた妻の部屋に逃げ込んできて出て行かないので、ほうきでようやく追い出したそうです。
     別のグループが十数匹玄関に逃げ込んできてボール状の電灯の傘にしがみ付いたまま、数日経ってもそのままです。水も飲まず、もちろん餌をとる気配もなくほとんど動きません。それにしても吸盤も無い足で、こんなツルツルのガラスにぶら下がっておられるのも不思議です。

     スズメバチに巣を襲われたアシナガバチ
    スズメバチに巣を襲われたアシナガバチは
    我が家の玄関に逃げ込んで、
    数日間も電灯の笠にしがみついていた。


     玄関の戸を開け放しておいてもハチ達は出て行こうとしないので、「そんなに引きこもっていては駄目になるよ」と言ってホウキで追い出してやりました。スズメバチ恐怖症から立ち直ることができたかどうか心配です。
     後の話になりますが、10月31日に車庫を半分解体し、屋根のトタンの波板を剥がしていたら、その下からアシナガバチと思われるハチが数十匹出てきました。越冬状態に入っていたのでしょう。ホウキで払い落していたのですが途中でかわいそうになり15匹ばかり拾い集めて、板を2枚合わせた間の隙間に入れて、別の小屋の隅においてやりました。
     このとき私の首の後に入り込んだハチがいて、首を動かした弾みにチクッと刺したのですが、もう毒も枯れ果てていたらしく、これは蚊に刺されたほどの痛みも無く、1分もしたらかすかなその痛みも跡形も無く消えてしまいました。秋の哀れを感じました。
    (次号に続く)

    第9回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その1〉
    第8回ウメ太郎は何処に〈その2〉
    第7回ウメ太郎は何処に〈その1〉
    第6回妄想的汚水浄化生態園(2)
    第5回 妄想的汚水浄化生態園(1)
    号外編 原種シクラメン・ヘデリフォリュームの紹介
    第4回 ボーフラとオタマジャクシの知られざる効用
    第3回 哀しきマムシ
    第2回 アオダイショウは可愛い
    第1回 ナメクジ退治

  • 第9回 刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その1〉

    2009年2月28日 18:16花林舎

    花林舎動物記
     平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。この「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。今月は第9回「刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その1〉」です。

    第9回刺されても恐れず憎まずスズメバチ〈その1〉

    ハチに刺される
     
    スズメバチに初めて刺されたのは7~8年前のことでした。山道で大きな岩の下にきれいな花が咲いていたので「何だろう」と近寄ってかがみ込んだら、ちょうど頭のところにハチの巣があって、いきなりガーンと殴られたような衝撃を受けました。前にアシナガバチに刺されたときに同じような衝撃を受けたことがありましたので、ハチだということはすぐわかりました。一目散に逃げましたがあまりにも巣の近くにいましたので、頭を3カ所も刺されてしまいました。一緒にいた社員もやはり頭を3カ所刺されました。
     その痛さたるや我慢の限度ぎりぎりです。人目が無かったら泣き出したかもしれません。そのうち痛いだけでなく頭がガンガンして、意識も少しボーとしてきました。それまでにもスガリ(地蜂)などにも刺されたことがあって、蜂毒アレルギーは無いことはわかっていたのですが、この痛さは気が変になりそうです。
     とうとう我慢ができず、病院に行きました。注射をしてもらうとずい分楽になり、医学はこういうことにも役に立つんだ、と見直しました。スズメバチに刺されて死んだ人の記事が毎年新聞に出ますが、アレルギーが無くても10カ所刺されたら痛みと発熱で死んでしまうなあ、とこの時はしみじみと実感しました。
     ところがここ数年は毎年スズメバチに刺されて、少し慣れっこになりました。痛いことはやっぱり猛烈に痛いのですが、対応の仕方もわかってきました。
     まず急いで刺された患部に両側から爪を当てて、毒をできるだけ搾り出します。毒の吸出器というのがあるそうですので、それを買いたいのですが何処で売っているのでしょうか。毒を搾り出したら虫刺されなどに効く軟膏を塗るのですが、私はその代わりに伴創膏にEM・Xをしみ込ませて貼っておきます。さらに、何かあったときに服用することにしているゲルマニューム剤を少し多めに飲みます。
     これでだいたい病院で手当を受けた時と同じくらいの効果があります。昨年社員がお客様のお庭で管理作業をしていてアシナガバチに刺された時は医大に連れて行きましたが、混んでいて1時間以上も放っておかれた上、看護師の対応がまことに冷淡だったので、それ以後は病院に行かないことにしました。
     ハチに刺された痛みは1日くらいで消えるのですが、その後痒くて痒くて、これにも参ってしまいます。やっぱり刺されないのが一番です。といっても秋になるとあちこちに巣があって注意していてもやられることが多いのです。マムシも恐いですが、長靴を履いていればまず噛まれる恐れがないのに対し、ハチは何十倍も襲われる確率が高いのです。

    花林舎敷地内のハチの巣
     花林舎の敷地内には少なくとも4種類のハチが毎年営巣します。本を見るとスズメバチは1度棲みつくと毎年その近くに営巣する習性がある、とありますが、確かにそのようです。ただし、作った巣がどんなに立派でも秋の終わりには放棄し、翌年再利用することはありません。
     花林舎に営巣するスズメバチは図鑑で見るとキイロスズメバチのようです。比較的小型のスズメバチですが、巣はラグビーボールのような大きくて見事なものです。
     この他に、たまにとてつもなく大きなハチが飛んで来ることがあります。体長が4~5センチあって、いつも1匹だけでゆっくり飛んでいます。こんなのに刺されたらたまらないなあと、恐ろしさで立ちすくんでしまいます。
     スズメバチの巣といえば美しい縞模様のある大きなボール状のものが代表的ですが、小屋の羽目板の節穴から盛んに出入りしていたこともありますし、土留めの丸太の間に巣を作っていたこともあります。キイロスズメバチは色々なところに営巣する性質があるそうです。ラグビーボール状の巣が初めて私達の目に入ったのは3年前で、これは社宅の2階の軒下にぶら下がっていましたが、8メートルばかりの高さのところでしたから全く危険はありませんでした。冬になってハチがいなくなると、野鳥がつついて壊してしまいました。多分、蜂の仔が残っていたら食ってやろうと思ってやったのでしょう。
     次の年はそこから50メートルほど離れた薪小屋の屋根裏に作りました。これは気が付かないでいて庭木の剪定枝を投げ込んだため、あっという間に頭と顔を刺されました。蜂毒が薄くなった頭髪をよみがえらせる効果があるなら、1回くらいは刺されてもいいのですが、痛いだけで何の効き目もありませんから刺され損でした。顔も腫れてフランケンシュタインのような容貌になり、2日くらい人に会わないで過ごしました。

    女王蜂が一人で作った巣

    女王蜂が一人で作った巣



    休憩室に作られたスズメバチの巣
     昨年(2005年)は、スズメバチの巣がなんと休憩室―10時と3時の休みにお茶を飲んだり、昼食を食べる場所にしているところの天井に作られました。
     最初に気づいたのは私の妻で「休憩室の天井に蜂が巣を作っているよ」と言うので見に行くと、手を伸ばしてちょっと跳び上がると触れるくらいのところに、まだ直径10センチも無い丸いきれいな形の巣ができていました。
     私と男性社員2人は庭園工事で朝から夕方まで外に出ていますので休憩室を使うことは少なく、会社に残って仕事をしている妻とパートの女性が使うことが多いのです。そのため、妻が発見者になったというわけです。
     こんな近くで、しかもお茶を飲みながらスズメバチの巣づくりを見られる機会はめったにありませんから、まことに幸運です。ハチが出入りしやすいように巣のそばの羽目板を1枚取り外してやり、このまま見守ることにしました。
     本を見ると、最初の巣づくりは女王蜂が一人でやる、と書いてあるのですが、確かにその通りで、発見したのは6月2日でしたが、この時には10センチ弱の巣ができていたのですから、活動開始は5月上旬あたりだったのでしょう。6月末近くまでは出入りするハチは女王蜂と思われる1匹だけでした。もっとも20日ころには女王蜂は中に引きこもってほとんど出てこなくなり、巣の入り口も小さくなりました。
     7月2日に数匹のハチが活動しているのを見かけました。どうやら6月末ころ働きバチが産まれたようです。この最初の働きバチは通常のハチより小型でした。
     7月末になると巣が2倍くらいの大きさになり、スズメバチの巣らしい縞模様もできてきました。
     8月10日ころには急速に巣が大きくなり、常に巣の表面を忙しげに歩き回っているハチが10匹以上いて、その他に休みなく飛び立ったり帰ってきたりするハチがいます。帰ってきて巣の中に飛び込んでいくハチは餌を持ってきて幼虫に与え、また飛び出していくのでしょう。
     巣の表面をせわしなく動いているハチは巣を作っているのでしょうが、それを眺めているとまことに不思議でたまらなくなります。
     ハチたちは職業訓練を受けたわけでもなく、また監督者がいるようにも見えないのにどうしてこんなに巧みに巣づくりができるのでしょう。巣を作るというのは相当難しい作業のように見えます。全体に目配りする監督蜂がいなければあちこち飛び出したり、イビツになったりした巣になってもおかしくないのに、美しい球型の巣ができていくのです。しかもどう見てもハチ達は勝手気ままに動き回っているようにしか見えません。第一、外へ出て餌を取ってくる係、入口にいて外敵に備える係、巣づくりをする係、などというのは誰が決めるのでしょうか。考えれば考えるほど不思議です。
     これをとことんつきとめようと努力する人は自然科学者になり、私のように思考停止型の人間は「やっぱり神様がいるんだろうなあ」と思ってしまうわけです。
    (次号に続く)

    完成した巣。ほとんどハチは死んでしまった。

    完成した巣。ほとんどハチは死んでしまった。



    第8回ウメ太郎は何処に〈その2〉
    第7回ウメ太郎は何処に〈その1〉
    第6回妄想的汚水浄化生態園(2)
    第5回 妄想的汚水浄化生態園(1)
    号外編 原種シクラメン・ヘデリフォリュームの紹介
    第4回 ボーフラとオタマジャクシの知られざる効用
    第3回 哀しきマムシ
    第2回 アオダイショウは可愛い
    第1回 ナメクジ退治
  • 花林舎動物記 第8回ウメ太郎は何処に〈その2〉

    2009年1月29日 17:09花林舎

    花林舎動物記
     平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。この「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。今月は第8回「ウメ太郎は何処に〈その2〉」です。

    第8回ウメ太郎は何処に〈その2〉

    マンサクの失踪
     仔犬達もすっかり成長し、多分人間で言えば20代になった頃、親子5匹の犬を連れて山林内の道を散歩していました。すると突然犬達が一斉に森の中に駆け込んでいきましたが、何事かと思う間もなく、1匹の狐が私のすぐ目の前5メートルくらいのところを、一瞬空を飛んだのかと錯覚したほど素晴らしい跳躍力で道路の上を左から右へ飛び越え、たちまち森の奥へ消えてしまいました。
     と、それに驚いている暇もなく、今度は我が家の犬達がドヤドヤと現れて、吐く息も荒々しく狐の後を追って突進していきました。
     しかし、毎日「食っちゃ寝」で過ごしている犬達の走力は狐にはとうてい及ばず、しばらくするとハーハー言いながら戻ってきたのですが、スピッツのような華奢な身体をしていたマンサクだけは、いつまでも戻ってこなかったのです。私は狡猾な狐の策略にはまって逆に餌食にされてしまったのではないかと想像しているのですが、真相は調べようもありません。

    初めは5匹いた犬も、今は2匹だけになってしまいました
    初めは5匹いた犬も、今は2匹だけになってしまいました。




    ツバキの突然死

     それからまた数年経ち、ツバキとウメ太郎は10才近くになりました。人間でいえば50代に相当する年齢です。この2匹はフィラリアに感染していて、ウメ太郎は走るとゼーゼー咳をしますし、ツバキはドンドン痩せていきました。
     ツバキはこの頃孤独を好むようになり、食事の時に呼ぶと現れるのですが、それ以外の時は何処にいるのか姿を見せないような生活をしていました。といっても遠くに行くのではなく、その辺にいるようなのですが、何処で寝ているのかもわかりません。
     そしてある日の夕方、私が仕事から帰って来ると家の前の麦畑の中で死んでいました。外傷は無く、苦しんだ様子も見えませんでした。フィラリアに罹った犬は、重くなると突然死することがある、と聞いていましたのできっとそれが死因だろう、ということにしました。

     昼寝の時も、父親のウメ太郎はいばっていました。
    昼寝の時も、父親のウメ太郎はいばっていました。
     


    犬達との散歩
     こうして5匹の犬は3匹になってしまいました。ウメ太郎は連れ合いを亡くして悲嘆に暮れるかと心配したのですが、晩年は実質別居生活でしたから、さほど落ち込んだ様子もありませんでした。
     ウメ太郎は散歩が好きで、私が家に居ると必ず夕方4時ごろにはやってきて散歩に行こうと催促するのです。
     事務所に入ってきて「もう散歩の時間ですよ」、という目付きで私の顔をじっと見つめます。知らん顔しているとじれてヒョイヒョイと踊るようなしぐさをします。それでも動かないと、クーンと悲痛な声を出します。
     ここまでやられると飼い主としては無視できなくなります。「散歩行くか」と言って立ち上がると、もう嬉しくてたまりません。5~6メートルの円を描いて駆け巡った後、頭を下げて上目づかいに私をにらんでワンと叫ぶのです。
     そこで私が外へ出て「さんぽー」と大声で呼ぶと、スグリとタンポポがしぶしぶやって来ます。ウメ太郎は嬉しくてたまりませんから、ここでものぐさ息子のスグリをひと噛みして親父の威厳を示そうとします。スグリも毎度のことですからこの時ばかりはパッと逃げますが、ウメ太郎はしつこく追いかけて、それからやっと散歩が始まります。タンポポはあまり親父に従順なのでいじめ甲斐が無いらしく、ウメ太郎は相手にしません。
     こうして山の中の道を往復2~3キロ歩いてくるのですが、犬達は私には感じられない何かの気配を察知して時々森の中へ駆け込みます。たいていはすぐ戻ってくるのですが、ドンドンいってしまいすぐには戻ってこないこともあります。こんな時は私は散歩を止めて先に家に帰るのですが、犬達もたいてい30分もすれば帰ってきます。

    私が子どもの頃、家で飼っていた犬は、不思議なことにウメ太郎にそっくりでした
     私が子どもの頃、家で飼っていた犬は、
    不思議なことにウメ太郎にそっくりでした。


    ウメ太郎は何処に

     ところが去年の6月10日ウメ太郎は散歩の途中で姿が見えなくなり、そのまま消えてしまいました。夕方散歩に行ってスグリとタンポポは一緒に帰ってきたのに、ウメ太郎は1時間経っても2時間経っても戻らず、とうとう真っ暗になってしまったのに帰ってきません。こんなことは一度もありませんでしたから、私にはウメ太郎の身に何かが起こって、もう戻らないということはすぐにわかりました。
     実は散歩の時ちょっと気になったことが1つありました。犬達は健脚ですから私が歩く限り何キロでも一緒に来ます。犬達の方から、「疲れたからもう散歩を止めて帰りましょう」というしぐさをすることは、ものぐさスグリ以外には無かったのです。
     ところがこの日、ウメ太郎は家から1.5キロほど行ったカラマツ林の端で突然立ち止まり、私を振り返りジッと私の目を見つめました。それは、「もう戻りましょう」と言っているように私には思えたのです。
     それで、その日の散歩はそこでやめて帰ったのですが、ウメ太郎がどうしてあそこで戻ろうとしたのか気になっていたのです。何か身体に異変を感じて歩くのがおっくうになったのかも知れません。ウメ太郎は帰り道の途中ひとりでトコトコと森の中に入って行ったのですが、そんなことはどの犬もしょっちゅうやっていることですから、私は気にもとめず帰ってきました。あの時ウメ太郎がどっちに行くのかしばらく見ていれば良かった、と後で思ったのですが。
     次の日、その辺りの山の中を探してみたのですが、見つかるわけはありません。翌日と翌々日、また20日くらい経ってからウメ太郎がひょっこりと帰ってきた夢を見ましたが、その後は一度も現れません。もうすっかりあの世に行ってしまったのでしょう。
     そして仏様に別の犬に生まれ変わってまたあの山の中の家で暮したい、とお願いしている、と私は信じています。


     雪と遊ぶウメ太郎
    雪と遊ぶウメ太郎

     タンポポ(左)とスグリ(右)。今はこの2匹と暮らしています。
    タンポポ(左)とスグリ(右)。
    今はこの2匹と暮らしています。



    第7回ウメ太郎は何処に〈その1〉
    第6回妄想的汚水浄化生態園(2)
    第5回 妄想的汚水浄化生態園(1)
    号外編 原種シクラメン・ヘデリフォリュームの紹介
    第4回 ボーフラとオタマジャクシの知られざる効用
    第3回 哀しきマムシ
    第2回 アオダイショウは可愛い
    第1回 ナメクジ退治
  • 花林舎動物記 第7回ウメ太郎は何処に〈その1〉

    2008年12月30日 11:54花林舎

    花林舎動物記
     6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。この「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。今月は第7回「ウメ太郎は何処に〈その1〉」です。

    第7回ウメ太郎は何処に〈その1〉

    犬を飼う
     
    ある作家が愛犬について書いたエッセーを読んだことがあります。家の中で飼っている犬の話で、筆者にとっては可愛いでしょうが、取り立てて変わったエピソードも無く、空虚な内容を文章のうまさでカバーしただけのつまらないエッセーでした。これを読んだ時、我が家の犬達のことを書けば100倍もおもしろいエッセーになるのだが、と思いました。
     我が家では山の中の現在地に移るとき、番犬が欲しくなり保健所の野犬収容所に行ってオスの仔犬を1匹もらってきました。大きくなる犬を希望したのですが、貰ってきた犬は成長しても柴犬くらいにしかなりませんでした。そして不思議なことに、私が子どもの頃に飼っていた犬にそっくりでした。
     1匹で済ませる予定だったのですが、知り合いから仔犬が生まれたから貰ってくれないか、と頼まれてメスの仔犬を1匹引き取り、都合2匹になりました。
     娘たちがオスには「梅太郎」、メスには「椿」と命名しました。ツバキはすぐに大きくなり、ウメ太郎の1.5倍くらいの大きさになりました。ウメ太郎はツバキと一緒に居たがりましたが、ツバキはウメ太郎を好きではないのか、ウーッと唸って近寄せないことが多かったのです。身体の大きいツバキの方が圧倒的に強かったのでウメ太郎は悲しそうな表情をして引き下がるしかありませんでした。
     ウメ太郎は本当に表情の豊かな犬で、喜怒哀楽が良くわかりました。私が出張から帰ってきた時など、嬉しくてたまらないという顔で踊るようなしぐさで走ってやってくるのです。また、ウメ太郎の犬語は私には時々わかりました。そういう吠え方をする利口な犬でした。

    ウメ太郎とツバキ 
    ウメ太郎(左)とツバキ。

    仔犬の誕生
     
    現在地に引っ越してきた翌年の12月に突然ツバキが消えてしまいました。呼んでも答えず、全く姿を見ることもなく3日経って諦めかけた時、思いもかけない所で見つかりました。
     薪にするためにカラマツの丸太を2メートルの長さに切って、家の前に大量に積んでいたのですが、ツバキはその下に穴を掘って潜み、仔を産んでいたのです。野生動物と同じ行為に驚きました。
     腹ばいになって覗いて見ると暗がりの中にネズミほどの大きさの仔犬達がかすかに見えますが、ツバキが唸って威嚇しますので、手を入れることはできません。
     ツバキは飲まず食わずで出産し、仔を守っていたようなので、入口に水と食べ物を置いて静観する日が何日か続きました。数日すると仔犬達が時々入口まで出て来るようになり、3匹いることがわかりました。そして母犬が排便のために外に出た隙に仔犬を穴から取り出してみました。両手にすっぽり入るくらいの大きさで、クークーと鳴いている仔犬達の可愛さといったらありません。いつまでも小さいままでいてくれたら、と思いましたが、見る見る大きくなりそれから数年間、私の苦労が続きますが、これは省略。

    仔犬達
    仔犬達。左からスグリ、タンポポ、マンサク。

    雑種×雑種=千差万別

     ウメ太郎は茶と白のブチで、姿はとても可愛い犬でした。犬種はわかりませんが耳が立っていませんでしたから日本犬ではなかったと思います。毛が短く寒がりでした。ツバキは汚れた黒褐色で毛が長く、一目で雑種とわかる姿の、耐寒性の強い犬でした。この2匹の間に生まれた3匹の仔犬達は、とても兄弟だとは思われないほど違う外見をしていて、遺伝学者でなくても彼等(すべてオスでした)を見たら遺伝のおもしろさに興味をそそられずにはいないと思います。
     一番不思議なのはマンサクでした。この仔犬は小型で毛がふさふさしていてスピッツそっくりでした。両親のどちらにも似ていません。両親の形質が組み合わさってできたのではなく、何代か前の先祖の血がいきなり現れたのではないか、と推察しました。
     スグリは体形は精悍な狼型で、大きさと毛の長さは両親の中間で色は全身が薄茶色です。食欲旺盛で太っていて、散歩に行くのがおっくうな、ものぐさです。
     タンポポは体形はスグリと似ていますが、白と黒のブチです。気が弱く父親のウメ太郎が恐くてたまらず、いつもゴマをすっていました。しかし野生の能力は1番です。
     ウメ太郎はどれくらいの期間かわかりませんが野良犬でしたので、多分そのせいだろうと考えられる習癖がありました。それは食べ物を守る、ということです。ウメ太郎が餌を食べている時うっかり近づくと、唸り声を出して警告し、それに気づかず手を出したりするといきなりガブリと噛みつくのです。きっと野良犬の頃生命がけで食べ物を確保していた生活の名残だろうと推察しました。
    イタチを前にすごむウメ太郎 
    どこかで拾ってきたイタチを前において
    「ワシの獲物に手を出すな」
    とすごむウメ太郎。
     その反面、初めて会った人にも愛想よく尻尾を振って近寄っていくのでお客さまには人気があったのですが、いつ変身してガブリとやるかわかりませんので「手を出さないで下さい」と急いで叫ぶのが常でした。

    〈次号に続く〉


    第6回妄想的汚水浄化生態園(2)
    第5回 妄想的汚水浄化生態園(1)
    号外編 原種シクラメン・ヘデリフォリュームの紹介
    第4回 ボーフラとオタマジャクシの知られざる効用
    第3回 哀しきマムシ
    第2回 アオダイショウは可愛い
    第1回 ナメクジ退治
  • 花林舎動物記 第6回妄想的汚水浄化生態園(2)

    2008年11月28日 18:04花林舎

     6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。この「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。今月は第6回「妄想的汚水浄化生態園(2)」です。

    第6回妄想的汚水浄化生態園(2)

    清澄な水になるまでの長旅

    ≪第4ゾーン≫
     第4ゾーンは大きな池で、この汚水浄化生態園の中心です。いろいろな条件の場所を造ってあり、様々な動物が棲息できるようにしてあります。前号に書きましたが再掲載します。
    a―昆虫など...ボーフラ、ユスリカ幼虫、ヤゴ(トンボの幼虫)、ホタルの幼虫、イトミミズ、ミジンコ
    b―貝類...タニシ、カワニナ、モノアライガイ、カラスガイ、ジャンボタニシ
    c―両棲類...オタマジャクシ(カエル、サンショウウオ)
    d―エビ類...ヌマエビ
    e―魚類...メダカ、グッピー、カダヤシ、金魚、フナ、ドジョウ
     この他たくさんの動物が棲息できると思いますが、よくわかりませんので省略します。
    汚水浄化生態圏

     棲息条件としては次のようなものがあります。
    ①水深...5~50センチ
    ②護岸材料...土(草地)、砂利、石、松杭など
    ③地形...緩斜面、急斜面、垂直面
    ④底...大半は土、一部砂利、石
    ⑤岸の形...直線、凸面、凹面、小さい凹凸(石を並べたところ)
    ⑥その他...草の生えた島、大石、倒木、水中の石
     それぞれの動物は、これらの複雑な条件の中から自分の好きな棲息地を選べばいいわけです。池の周囲は広い草地になっていて、木も少し生えています。蚊、ユスリカ、トンボ、ホタル、カエル、サンショウウオは水中だけでなく、陸上で生活する時期がありますから、陸地も必要なのです。
     汚水浄化を微生物だけで処理する場合は、最終生成物として汚泥(微生物の身体、死骸)ができ、これを取り除かなければなりませんが、この浄化生態園では汚物は動物、植物の身体になるわけです。
     動物の場合は蚊、ユスリカ、ホタル、カエルのように自分で水から出て陸上に上がってもらうものと、魚、エビ、貝のように水から出られないものがあります。
     後者は増えすぎたら人手で捕らえて出します。蚊やユスリカがあまり大発生するのも困りますから、トンボやコウモリなどにせっせと捕食してもらいます。
     汚物が分解して水中の栄養分になってしまったものは動物は直接吸収できませんから、植物に吸収させて、その植物を動物に食べてもらいます。

    ≪第5ゾーン≫
     第5ゾーンは単純な構造になっています。池があって中島が2つあるだけです。ここにはアヒルが少数放してあり、第4ゾーンから流れてくるウキクサ、ウォーターレタス、ホテイアオイなどの水草を食べます。餌は原則としてやりません。餌をやると糞が多くなって、また水が汚れてしまうからです。
     池の中にはタニシ、ドジョウ、ヌマエビ、グッピー、メダカ、金魚、ミジンコ、ユスリカ、オタマジャクシ、ボーフラなどが棲んでいて、アヒルの糞を餌にしています。

    汚水浄化生態圏

    ≪第6ゾーン≫
     最終の第6ゾーンは南向きの緩斜面です。斜面の上部に穴が開いた管が地下20センチの深さに埋めてあります。すでにかなりきれいになった水がこの管から地中に染み出して行きます。この斜面は深さ30センチ以下が粘土地盤になっているため、水は下には浸透せず、斜面に沿ってゆっくりと流下します。
     斜面にはコンフリー、フキ、牧草類、クサソテツ、ヤマドリゼンマイ、その他湿った土地を好む草が密生していて、栄養豊富な水を吸って旺盛な成長をします。草が伸びてくるとアヒルが食べますが、食べきれない時は山羊や羊を放します。
     草が吸収し切れなかった水は、斜面下部の集水管で集めて湧出させます。土の中を通ってきた水は飲めるほどに清澄な水になっています。

     汚水の長い旅はこれで終わりです。


    第5回 妄想的汚水浄化生態園(1)
    号外編 原種シクラメン・ヘデリフォリュームの紹介
    第4回 ボーフラとオタマジャクシの知られざる効用
    第3回 哀しきマムシ
    第2回 アオダイショウは可愛い
    第1回 ナメクジ退治

  • 花林舎動物記 第5回 妄想的汚水浄化生態園(1)

    2008年10月31日 13:55花林舎

     6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。この「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。今月は第5回「妄想的汚水浄化生態園(1)」です。


    第5回 妄想的汚水浄化生態園(1)

     前回で述べたように、ボーフラやオタマジャクシは汚水を浄化する力を持っていますが、その他にもこういう働きをする生物はたくさんいるはずです。
     こういう目に見える動物や植物を使って汚水を浄化するようにすれば、微生物を使う活性汚泥法などより効率は劣るでしょうが、面白くて生態学の勉強もできる施設ができるでしょう。
     いくつか克服しなければならない課題もありますので、今のところは〝妄想的汚水浄化生態園〟としておきましょう。

    汚水浄化を担う動物
     汚水浄化作用にかかわる生物は動物を主体としますが植物も利用します。微生物は自然に発生してくるもので十分でしょう。酸素を吹き込む、などの補助的な手段は自然エネルギーを利用できる範囲で使うこともあります。年間通して汚水が発生する場合は暖房が必要となりますが、これは最近岩手県で開発された木材チップストーブを使うことにします。
     汚水浄化に活躍してもらう動物としては次のようなものを考えていますが、研究が進めばまだまだ多くのものが現れるでしょう。
    a―昆虫・他...ハエ(ウジ)、ハナアブ(尾長ウジ)、蚊(ボーフラ)、ユスリカ、トンボ(ヤゴ)、ホタル、イトミミズ
    b―貝類...タニシ、カワニナ、モノアラガイ、カラスガイ、ジャンボタニシ
    c―両棲類...カエル(オタマジャクシ)、サンショウウオ(オタマジャクシ)
    d―エビ類...ヌマエビ、手長エビ
    e―魚類...メダカ、グッピー、カダヤシ、金魚、フナ、ドジョウ
    f―鳥類...アヒル、アイガモ、スズメ
    g―コウモリ
    h―哺乳類...豚、山羊、羊
     植物は水面に浮かぶタイプのものを主としますが、動物の隠れ家をつくるためには水辺や水中に生えているものも必要になるでしょう。

    動物たちの連係プレー
     さて、この汚水浄化生態園(以下「浄化園」と略す)は、全体が透明なプラスチックのドームで覆われています。これは動物を逃さないようにするためと保温のためです。
     汚水源は一般家庭とします。つまり、水洗便所、台所、風呂などからの汚水が流入してきます。浄化園は汚水を自然の力で流すため、できれば南面の緩い勾配のある土地を選びます。

    ≪第1ゾーン≫
     ここはやや深い溜池で、流れてきた汚物はまだ原形を保ったままここにたどり着きます。ウンチなどというのは思いのほか頑丈なもので、数百メートル流れてきても壊れずにプカプカ浮いています。野菜屑なんかも混じっていますから、オエーッというような光景です。臭気もひどいですから、この溜池には半透明の蓋をしてあります。
     まあしかし、見学者の方には蓋を持ち上げてお見せすることにしましょう。おお、すごいですねえ。こんなにドロドロの汚物の中で気持ちよさそうに泳いでいる虫がいます。長い尾のついた白いウジです。ハナアブという昆虫の子供です。こんな光景を見ると、「神はこの世をあまねく生命で満たした」ということが実感されます。
     池の緑の少し乾いた汚物の中には、ハエのウジもうごめいています。目には見えませんが、様々の嫌気性微生物も活動しているに違いありません。この池は急速にヘドロが溜まりますので、底に配管して暖かい空気をブクブクと吹き出させ、ヘドロを分解させてやる必要があります。
    ≪第2ゾーン≫
     溜池から流れ出した水は、浅いコンクリートのU字溝の水路の中を流れていきます。底に石を敷き詰めてあるのですが、その上に黄灰白色の綿のようなものがびっしりと生えているので、石は見えません。これはミズワタ(水綿)といって一種の微生物です。汚い水が流れる場所に発生します。ここもドブの臭いがします。
     しかし、気をつけて見て下さい。この水路の始めの辺りと、200メートル流れてきた終端の辺りでは、ミズワタの量がずい分違うでしょう。終わり付近はミズワタはほとんどありません。それだけ水はきれいになっているのです。
    ≪第3ゾーン≫
     第3ゾーンも水路ですが、第2ゾーンより幅が広くなり、底は土で出来ています。水深は浅いところで10センチ、深いところは30センチですが、浅いところが約80%です。浅い方が浄化力が高いからですが、いろいろな生物の棲家が必要なので深いところも造っておきます。
     この水路の始まりの辺りの底を見ると、泥の中に糸のように細い赤いミミズが半身を埋めて、上半身をユラユラと動かしているのが見えます。イトミミズです。この小型のミミズは金魚やメダカやエビの大好物で、私は小学生の頃、毎日採って来ては金魚にやっていたのですが、その連想からソーメンを食べられなくなってしまいました。イトミミズもかなり汚れた水域に棲んでいます。
     この辺りから、様々な生物が姿を見せます。オタマジャクシもボーフラもタニシもドジョウもいます。
    kari081031-1.jpg

    ボーフラの親の栄養源
     ところで、ボーフラの親である蚊のメスは動物の血を吸わないと卵が出来ません。これはどうしたらいいでしょう。
     実は浄化園の中央は小高くなっていて、しゃれた小さい温室のような建物があります。外から地下道を通って入れるようになっています。周囲はガラス張りですから、浄化園の全体が見渡せてなかなかいい眺めです。
     ここに1週間に1回、夕方になると数人の人がやってきて酒盛りします。日本酒もビールもウィスキーもワインもたくさんあり、ツマミも豊富で好きなだけ飲んだり食べたりしていいようです。
     全員、大の酒好きでしかもしばらく酒を断っていたらしく、狂ったように呑んでいるのですが、中には何故か必死にこらえて水ばかり飲んでいる人もいます。
     温室は暑いらしく、皆だんだん衣服を脱いでステテコだけになっています。3時間たち、4時間たつと、さすがの酒豪たちも泥酔して熟睡してしまいました。すると、音もなく四方の窓が開き、そこから雲霞のごとき蚊の大群が侵入してきて、いっせいに酒豪たちから血を吸い始めました。血ぶくれの蚊達は、ヨロヨロと外へ飛び出していきます。こうしてまた大量のボーフラが誕生するのです。
     この酒豪たちは、実は酒飲み運転で殺人を犯した囚人たちで、これは恐怖の「蚊責刑」だったというわけです。(続く)

    第4回 ボーフラとオタマジャクシの知られざる効用
    第3回 哀しきマムシ
    第2回 アオダイショウは可愛い
    第1回 ナメクジ退治

  • 花林舎動物記 号外編 原種シクラメン・ヘデリフォリュームの紹介

    2008年10月 2日 16:28花林舎

     いわけんブログに「花林舎動物記」を掲載いただいている滝沢村にある(株)野田坂緑研究所の所長 野田坂伸也氏から「原種シクラメン・ヘデリフォリューム」の紹介記事を頂きましたのでご紹介いたします。

    岩手の庭でも越冬できる、耐寒性抜群のシクラメン

     冬の花の王者はなんと言ってもシクラメンです。この美しい花が庭で育ったらと思ったことはありませんか。我国ではまだあまり知られていませんが、シクラメンの野生種(原種)は15種以上もあり、その中には耐寒性の強い種類がいくつかあります。
     そのなかでもシクラメン・ヘデリフォリュ-ムはとても丈夫で育てやすく、盛岡で数箇所の庭に植えてみましたが、何年もそのままで元気に育っています。もちろん鉢植で育てても良く、「シクラメン・ヘデリフォリュームの性質と育て方」に述べる注意点を守っていただければ何年でも生育を続け、年々大きくなり多数の花を咲かせて見事です。是非この可愛らしい花を育てることをお勧めします。 

    kari081002-1.jpg kari081002-2.jpg
    (要 約)
    ・ シクラメン・ヘデリフォリュームは野草のような可憐な花が咲きます。
    ・ シクラメン・ヘデリフォリュームは耐寒性がとても強く、岩手の庭で越冬できます。
    ・ 排水良好な土に植え、潅水と肥料を少なめにするのがコツです。
    ・ 6月から7月の2ヶ月は葉が消えて9月から10月の花芽が伸びてきて開花、その後で葉が出てきて6月はじめまで葉がついています。
    ・ 球根は上に土が3、4cm載るように植えてください。

    シクラメン・ヘデリフォリュームの性質と育て方

    kari081002-3.jpg1.シクラメン・ヘデリフォリュームの原産地は地中海沿岸です。この地方は冬に雨が多く夏には極めて少ないので、このシクラメンは6月~8月には葉が枯れてしまうと言う性質(夏眠という)を持っています。この時期には潅水しないで下さい。植替えはこの時期が適しています。
      花は早いものは7月頃に咲くものもありますが、(この場合潅水します)多くは9月から10月に咲きます。1ヵ月以上咲き続けます。花は園芸種のように豪華ではありませんが、可憐でいかにも野生種といった風情があります。

    2.土は透水性良好で、ややアルカリ性に適しています。ここで売っているシクラメンの栽培用土は次のような混合になっています。これが最良かどうかは分かりませんが、順調に育っています。1000倍くらいに薄めた液肥を月に2回くらいやると花つきが良くなるという人もいますが、水も肥料も少なめにやるのがコツです。鉢植の場合、水は土の表面が乾いたらさらに1~2日経ってからやります。鉢底から水が出てくるまでやるのは普通の植物と同じです。ひんぱんに潅水したり、肥料を多くやると球根が腐ってしまいます。地植えの場合は全く潅水しなくても大丈夫です。
      十和田砂 5  、 クン炭(灰混じり) 1 、 バーク堆肥 1
      ヨウリン 0.01

    kari081002-4.jpg3.日陰にかなり耐えますが、真夏以外は日の当る場所のほうが生育良好のようです。真夏にはできれば直射光を避けてください。この時期には葉が出ていないことが多いので、球根のあるあたりに十和田砂を3cmくらいかけておいてもいいでしょう。
      耐寒性が強いとは言っても、岩手では冬には鉢植のまま外に置くのは危ないので、凍らない程度のところに置いて下さい。
      地植えの場合は、球根が4~5cmもぐるように植え、冬が近づいたら前記の栽培用土をさらに3cmくらいかけてください。次の年の冬からは減った分だけ補ってください。

    4.花は横に花柄が伸びてから立ち上がる性質があり、大玉になると開花期の1株の直径が40~50cmにもなりますから鉢植の場合は1年ごとに植え替えて、少しずつ大きな鉢にしてやると見事になります。

    5.増やしてみたい人は、6月に熟す種を取って前記栽培用土に1cmくらいの深さに埋め込んで乾かない程度に水をやって半日陰に置くと、9月から10月ころ小さい葉が出てきます。2年間は冬も凍らないところで育てるのが間違いないでしょう。小さい間は夏も葉が付いている事が多いので潅水を続けます。混み合って来たら植え広げます。3年くらいで開花します。

    「シクラメン・ヘデリフォリュームの性質と育て方」→PDFファイル
  • 花林舎動物記 第4回 ボーフラとオタマジャクシの知られざる効用

    2008年9月30日 19:54花林舎

     6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。この「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。今月は第4回「ボーフラとオタマジャクシの知られざる効用」です。


    ボーフラとオタマジャクシの共通点
     
    近ごろの子どもでもオタマジャクシ(以下オタマ)は知っているでしょうが、ボーフラは知らない子がほとんどではないでしょうか。
     ボーフラは頭を下にして水面に浮いていますが、人が近づく気配を察すると底に沈んで隠れてしまいます。しかし、空気呼吸するのでやがて息苦しさに耐えかねてまた水面に浮いてきます。それを小皿などでパッとすくいとって集めては、金魚の餌としてやったものです。
     憎い蚊の幼虫ですが、ノロマでユーモラスで必死になって隠れようとする姿がいじらしくてかわいい生きものです。
     オタマも、頭でっかちで泥土の上を這いずり廻っている姿が、まことに単純でかわいく、子ども達の人気の的です。魚と違って子どもでも容易に捕らえられるのが楽しいのでしょう。
     ある時、山登りの途中で小さく浅い水溜りに底が黒く見えるほどオタマがいたので、一休みしながらしばらく見ていたのですが、気がつくと小さい蛇が1匹やってきてパクリ、パクリとオタマを食い始めました。オタマは水溜りから出られませんから、逃げようがありません。私はいたたまれなくなってそこを去りましたが、あれほどいたオタマもきっと全滅したのではないでしょうか。
     大きい蛇は蛙を食べ、小さい蛇はオタマを食う。なんとむごいことでしょう。もっとも大きいガマガエルが小さい蛇を呑み込むこともたまにはあるそうですが。
     話が脱線してしまいました。ボーフラもオタマも幼生期には水中で過ごし、成長すると水から出るという点が共通しています。また、幼生期の姿と成長後の姿がまるで似ていない点も同じです。

    ボーフラの食物
     ボーフラは泳ぐ力は弱いので流水には棲めませんが、溜まり水であればあらゆるところにいます。これまでに一番驚いたのは、トンテンカンテンと農具を作る鍛冶屋さんが、真っ赤になった鉄をジュッと冷やすための水桶の中の水に浮かんでいたボーフラを見たときです。ゆだってしまわないのだろうか、いったい何を食べて生きているのだろうか、と誠に不思議に思いました。
     ボーフラが水溜りにいることは知っていても、何を食べて生きているのだろうとまでは考えない人がほとんどではないでしょうか。
     ボーフラを透明なコップなどに入れてそこに金魚の餌を落としてやると、ボーフラは時々沈んでいってこれを食べます。倍率の高い虫メガネで見るとボーフラの口が見えるでしょう。私は肉眼でしか観察したことがありませんが、子どもの夏休みの研究としてなかなか面白いテーマだと思います。
     私の推論では、ボーフラは水の中の汚物を食べているのです。水の中に浮かんで漂っている汚れ、底に沈んだ汚物(必ずしも〝汚いもの〟とは限りませんが)を小さな口でチョンチョンと突っついているのです。

    雲霞のごときボーフラの群れ
     我が家の台所、風呂、洗面所、水洗トイレの排水は小さい溜池に流し込まれ、ゆっくりと流れていく間に浄化されます。この池は冬も凍らないよう屋根をかけてあります。
     今は、敷地の端に細い流れにしてありますが、以前は全体が正方形で、その中を仕切り板で区切り、曲がりくねって長い距離を流れるようにしてありました。ここに、夏になるとものすごい数のボーフラが発生しました。ちょっと見ると水が黒くなったように見えるのですが、私が近づいて黒雲のようなものが一斉に沈んで透明な水に変わるのです。何万匹か何十万匹かのボーフラが浮いているのです。まさしく〝雲霞のごとし〟という形容がぴったりです。
     そして、ボーフラの大群が現れると、汚水池の水は急速にきれいになるのでした。これはボーフラが水中の汚れ物質を食べてくれたからだと解釈するのが妥当でしょう。1匹1匹は小さくても、これだけの数になりますと汚水浄化にかなりの力を発揮するのです。「神はこの世に無用なものは作らなかった」という言葉がふと浮かびました。
     こうして我が家の汚水処理池は夏になると本当に透明な澄んだ水になったのです。水中に棲んでいますが、ボーフラは水面に浮き上がって空気呼吸するので、かなり汚れた水でも生きていけるのです。
     はるかに汚れて、汚物がドロドロしているようなところには、ハエの幼虫(ウジ)やハナアブの幼虫(尻尾のあるウジ)がうごめいています。抗菌グッズでないと受け付けない近ごろの清潔好きの若者が見たら卒倒しそうな光景ですが、「ハエのウジを使って汚物を食べさせ、そのハエをきれいに洗ってから人間の食料に・・・(あ、いや、もうやめましょう)」という研究をしている国がある、と何かの雑誌で見て、私はひどく感心したのです。さすがの私もそこまでは思いつかなかったものですから。
     話は再び脱線しますが、傷口が化膿した時、ハエのウジに膿を食べてもらって傷を治すという方法が外国の医術としてはかなり普及していて、最近日本でも研究が始まったと、これは大新聞で読みましたので、記憶しておられる方もいらっしゃるでしょう。

    オタマジャクシも汚れを食べる
     我が家の最初の汚水浄化池は素掘りの池でした。つまり、地面に穴を掘っただけのところに汚水を流し込んでいたのです。出口はありません。火山灰土の黒土層を直径3メートル、深さ80センチほど掘っただけですから、初めは水がドンドン染み込んで無くなりましたが、しだいに漏らなくなり、50センチくらいの深さの池になりました。底には軟らかい黒いヘドロが溜まっています。
     この汚水の中に、夏になると大きなオタマがたくさん泳いでいるのです。毎年早春の雪解けの清澄な水の中に、蛙の卵が産み出されているのを見ていましたので、オタマは春早く生まれ、きれいな水の中で育つと思い込んでいたのですが、蛙の種類によっていろいろなようです。
     それにしてもこんな汚水の中でオタマが平気で生きている、ということにびっくりしました。何しろ初めは透明度が5センチも無く、何かが時々浮き上がってきては反転して、水中に潜っていくことがわかるのですが、その姿はほとんど見えないくらい水が濁っているのです。ドジョウもこういう行動をしますが、こんな所に自然発生するはずがありませんからオタマであろう、という推測はつくものの、半信半疑でいました。
     それが、だんだん水が澄んできて夏の終わり頃には水深50センチの底まですっかり見えるようになり、間違いなく多数のオタマが棲息しているのです。かなり大きいオタマで多分トノサマガエルの子どもでしょう。
     オタマが水をきれいにする力を持っていることは前から知っていましたが、これほどの力を持っていた、というのは驚きでした。当時は我が家は親子5人で生活していましたが、夏の間だけとはいえ、汚水が全く透明になってしまったのですから。
     オタマの汚水浄化力をなんとか活用できないものでしょうか。次号では私の「空想(あるいは妄想)汚水浄化生物園」の話をしたいと思います。乞う御期待。
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    第3回 哀しきマムシ
    第2回 アオダイショウは可愛い
    第1回 ナメクジ退治

  • 花林舎動物記 第3回 哀しきマムシ

    2008年8月28日 18:43花林舎

     6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。この「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。今月は第3回「哀しきマムシ」です。

    「哀しきマムシ」
      ニョロニョロ嫌いの方には申し訳ありませんが、前回のアオダイショウに続いて、今回はマムシのお話です。

    うー、危なかった
     
    この地で初めてマムシに会ったのは、移ってきて2年目の秋でした。まだカラマツの大きな切り株がたくさん転がっていて、畑作りの邪魔になるので、手伝いの若者数人と肩で押して、敷地の端の方へ移動させていた時のことです。
     ごろりと転がった切り株から、何かがボタッと落ちて少し動きました。「あれ、蛇のようだな」と思って近寄って見ると、やっぱり蛇、それもマムシです。ギョッとして「近寄るなよー」と叫んだのですが、わずかに左右に身をくねらすだけであまり動きません。晩秋でしたから冬眠に入りかけていたのでしょう。長い木の枝ですくい取って隣の林の中に捨てました。
     この時はちょっと驚いただけでしたが、後で思い出すと全くゾッとするような出来事でした。誰かの首筋の間近にこのマムシは潜んでいたのです。手でぐっと押してしまったかもしれません。何事もなくてすんだのは全く好運でした。
     また別の年の夏。社員と2人で石積用の石を運んでいた時のことです。
     40キロくらいの石を2人で「ヨーイショ」と持ち上げたら、下から大きなマムシがのっそり出てきました。怒った様子はありませんでしたが、2人をジロリと見てから、気だるそうにゆっくりと隣の石の間に潜りこんでいきました。私がそれまでに見たうち、最も大きいマムシでした。
     腹が異常に太く、ひところ秘境動物マニアを夢中にさせた"ツチノコ"という蛇にそっくりでした。あのゆっくりした動作と、膨れた腹から推測すると、鼠でも飲み込んだばかりだったのではないでしょうか。空腹のマムシだったら、どんなことになっただろうか、と今でも時々考えることがあります。

    マムシに噛まれた犬
     
    犬を5匹飼っていましたが、その内の1匹が数年前のある日の夕方、顔をパンパンに膨れ上がらせて、よろめきながらやってきました。そして、私の前で口から泡を吹いて倒れ、動かなくなってしまいました。
     花林舎の敷地では、毎年スズメバチが繁殖しますので、てっきり蜂に刺されたのだろうと思ったのですが、そうではなかったようです。
     そのまま死ぬかと思った犬は、2~3分後に力をふりしぼるように立ち上がって、よろめきながら草むらの中に姿を消してしまいました。"象の墓場"へ去っていく象のような感じで、私は引き止めることもできずにそのまま見送ってしまったのですが、2~3日後に腫れが引いて、以前のようにハンサムな顔をして何事もなかったかのように現れたのには驚きました。犬はマムシ毒に耐性を持っているのでしょうか。
     しかし、それ以降、この犬は蛇をみつけると異常に興奮して吠えかかるようになりました。
     我が家の犬はどれも蛇が嫌いで怖いらしく、私が蛇を見つけて「蛇だぞー」と叫ぶと、犬達は何事かと一度は近寄ってくるのですが、すぐに逃げていってしまいます(噛まれた犬だけは近くで吠えている)。しかし父親犬は「蛇だぞー」という言葉が聞こえなかったふりをして、あらぬ方を眺めていて、近寄ってこないのです。蛇を見て逃げるのは、プライドが傷つくのでしょう。

    kari080828-1.jpgマムシの誤算
     
    マムシは花林舎周辺にはあまり多くは棲息していないらしく、1年に1回くらいしか見かけませんが、それでも10回近く遭遇しているうちに、これは一般に考えられているような恐ろしい生物ではなく、むしろ哀しい存在ではないのか、と思うようになりました。
     マムシは人間と出くわした時、他の蛇のように急いで逃げるよりも、開き直って人を威嚇することが多いのです。なまじ猛毒を持っているために、脅かしたら相手は逃げるだろうと思うのでしょう。
     しかし、マムシを恐がる人間だけではないのです。マムシを見つけると目を輝かせて喜ぶ人も大勢います。特に赤マムシなどが現れたら、欣喜雀躍です。その辺の木の枝をY字型に切り取って、たちまちマムシの首根っこを押さえて生け捕りにしてしまいます。
     そして喉を押さえて口を開き、手ぬぐいを噛ませてぐいとひっぱると牙が折れてしまいますから、もう危険はありません。袋に入れて持ち帰り、水を入れた一升瓶に1ヵ月閉じ込めておくのです。マムシは水から首だけ出して生き続けますが、こうして腹の中の糞を排出させるわけです。
     1ヵ月水中にある、というのも耐えがたい苦しみだと思うのですが、この後別のビンに移され、頭から濃い焼酎を注がれて七転八倒して死ぬのです。これがマムシ酒の作り方です。
     マムシを捕らえると、ただちに首のところで皮を切って引き剥いてしまい、小さい肝臓をペロリと呑みこんでしまう人もいます。つい30年くらい前までは、マムシと人の関係はこれが普通でした。妻の実家は岐阜県の山の中ですが、子供のころ囲炉裏の上には乾燥させたマムシがぶらさがっていて、時々食べさせてもらったそうです。

    生命の供養
     ある年、家の近くで2日続けてマムシに出くわしたので、こんなことでは安心して歩くこともできない、と思い、1匹殺してしまったことがあります。しかし、殺してから後悔の念が湧き起こり、私の手で消滅させた一つの生命を無にしないためにどうしたらいいだろうと考えたあげく、食べてやるのが一番の供養になるのではないかという結論に達しました。
     マムシの生命力はすごいものです。首を切り落とされた胴体が、1時間あまりも動いているのです。
     ようやく動かなくなった後に、皮を剥いて、身をぶつ切りにし、金網にのせて遠火で焦げないように焼きました。これに醤油をたらして食べてみると、いや実にうまいのです。
     マムシ君、もう私の前に姿を見せてはいけません。

    哀しきマムシ
     時代劇の小説などを読むと、"マムシのような"悪漢がよく出てきます。冷酷で血も涙もなく、危険で人を殺すことなどなんとも思わないような男です。
     しかし実際のマムシは、確かに猛毒をもっているために人間に恐れられ嫌われる一方、酒や食料や薬にされるために他の蛇より圧倒的多数が人間に捕らえられ、殺されているのです。人間を殺すために持った毒ではないのになまじ猛毒を持ったために嫌われ、殺されるマムシは何と哀しい生物でしょう。マムシの側から見れば人間は悪鬼のような生物です。
     時代劇作家へ。"マムシのような"という表現は考え直しましょう。

    第2回 アオダイショウは可愛い
    第1回 ナメクジ退治

  • 花林舎動物記 第2回 アオダイショウは可愛い

    2008年7月31日 20:00花林舎

     6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。 この「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。今月は第2回「アオダイショウは可愛い」です。


    蛇の出没する職場
     花林舎の敷地には、相当数の蛇が棲みついているようです。"1匹の野生動物を見かけたら、そのあたりに10匹はいると考えられる"そうですが、それが正しいなら、およそ80匹のアオダイショウ、15匹のマムシ、5匹のシマヘビが花林舎周辺の1ヘクタールに潜んでいることになります。
     先年まで我が社に勤めていた女子社員は蛇が大嫌いで―まあ、男でも女でも蛇が好き、という人にはまだ会ったことはありませんが―大きな蛇に出くわすと、へなへなと腰を抜かして歩けなくなりましたが、彼女のいうところでは、蛇が近くを移動している時はズー、ズーとすべる音がするので、それが聞こえると背筋が寒くなるのだそうです。
     私は蛇が好き、というわけではありませんが、後で述べるような理由で今では「アオダイショウは結構可愛い奴だなあ、なんとか手なずけられないかな」なんて考えています。
     花林舎界隈に出没する蛇の大半がアオダイショウですから、今回はアオダイショウについてお話しすることにしましょう。

    美しい緑色の蛇
     1年に1から2回ですが我が家のあたりで緑色に光る美しい蛇を見かけることがありました。長さは初めて現れた頃は1メートルくらいでしたが、数年たつうちに1.5メートル近くになっていました。大きさ、太さ、頭の形などから見てアオダイショウの色変わりだろうと判断しました。濃い緑色で本当に美しく、時々見かけるのが楽しみでした。
     ところがある年、女子社員とパートの女性がこの蛇に出会って震え上がってしまいました。私にはこの上なく美しく感じられる緑色が、2人には不気味で気持ち悪くて耐えられないのだそうです。そして、「社長は責任を持ってあの蛇を殺してくれ」と恐ろしいことを言い張るのです。
     それまで1年に1回か2回しか出くわすことのなかった緑蛇が、慣れてきたのかその年は度々出没したのが悲劇の源でした。
     彼女達の強硬な要請を請けた翌日、私はこの緑蛇が堆肥製造所のところをウロウロしているのを見つけ、簡単に捕まえてしまったのです。しかし殺すのは嫌なので2キロメートルほど離れた山林に放してやりました。「いつか戻ってこいよ」と、こっそり言い聞かせながら。
     彼女達には、遠くに捨ててきたからもう大丈夫と説明して安心させました。
     ところがその次の日、なんとまた緑蛇が現れたのです。女子社員は「蛇は捨てられても戻ってくるっていうけど、私があまり殺してというから私を恨んで帰ってきたんだわ」とうわごとのように言って真っ青になり、今にも卒倒しそうになりました。
     この時「その通りだよ。だから蛇はそっとしておいてやろうよ」と言えば、少なくとも1匹の緑蛇はまだ花林舎の近くに棲みついていたはずなのです。私は馬鹿なことに、というより彼女が本当に卒倒してしまったら大変だと恐ろしくなって、「犬や猫なら2キロメートルくらい簡単に戻って来れるけど、蛇が帰ってくるはずはないよ。もう1匹いたんだよ」と彼女を慰めてその蛇も捕まえて捨ててきました。
     それから緑蛇が出てくることはなくなりましたが、今考えると実にもったいないことをしたと後悔しています。あんなに美しい蛇を見ることはもうないでしょう。アオダイショウがあんな色になるのはどれくらいの確率なのでしょう。かなり貴重な蛇だったのではないでしょうか。女子社員は1年後には我が社を辞めてしまいましたから、緑蛇を見つけても捕まえずに追い払うくらいにしておけばよかったのです。
     もしかしたらあの2匹は夫婦で、捕まえないでおけばその子供の緑蛇がたくさん増えて、野田坂緑研究所は「緑蛇研究所」になったかもしれません。かえすがえすも残念です。
    kari080728-1.jpg
    堆肥と蛇
     蛇は堆肥が好きなようです。軟らかくて暖かいし、堆肥所には屋根がかかっていて乾いているのも快いのでしょう。
     花林舎のビニールハウスの中に2メートル四方の木枠を作り、ススキや沿道の雑草を刈ってきて積み込み、堆肥を作っているところがありました。堆肥の上には乾燥防止のために麻袋をかけてありますが、その下に春から夏にかけてアオダイショウが集まってきて、気持ち良さそうにまどろんでいます。
     一番多い時は8匹いましたが、ボス達の特等席になっているのかどれも大物で、ぬけ殻を測ってみたら最短120センチ、最長170センチでした。8匹もいてケンカもせずじっとしています。
     野外で人が蛇に近付いていくと、マムシや大きいシマヘビは逃げないで人を威嚇することがありますが、ほとんどの蛇はするすると藪の中へ姿を消してしまいます。
     しかし我が社の堆肥製造所にやってくる蛇は、私がよほど近くまで行かないと逃げようとしません。こんな居心地のいいところを去るのは嫌だ、と思っているのでしょう。また、蛇が集まってくるころになると私以外は堆肥所に近付かなくなりますし、私は蛇をいじめませんからアオダイショウ達は安心しているのでしょう。
     私が近付いていくのをいつも堆肥所の隅で麻袋からちょっと頭を出して見ているアオダイショウがいました。私と視線が合うと「しまった、見つかった」というように急いで麻袋の下に隠れてしまいます。
     それが実に可愛くて、私はそれが契機になってだんだんアオダイショウが好きになってきました。それまでは灰緑色の肌の色が汚いので嫌だったのですが、こうして毎日のように会っていると、この蛇はまことにおとなしく温和な性質で、決して人には歯向かってくることがないということがわかってきました。
     アオダイショウが口を開けて歯向かうのを1度だけ見たのですが、それは我が家の犬がその蛇を噛み殺そうとしたので、やむなく必死になって抵抗したのです。推測ですが、これだけアオダイショウがいると、マムシなど他の蛇は追い払われてしまうのではないでしょうか。アオダイショウがマムシ除けになっているのではないかと思うのです。なんといってもアオダイショウは身体の大きさでは日本の蛇では1番ですから、毒蛇のマムシもかなわないのではないでしょうか。暖地では2メートル以上にもなるそうですが、これまでのところ花林舎では最大で1.7メートルです。しかし、こうして人間と平和共存していますので、もっと大きくなるでしょう。そのうち花林舎の入口に「大蛇が出ますので注意して下さい」という看板を立てなければならなくなるかもしれません。

    ぬけ殻
     晩春の頃、堆肥製造所あたりでは、あっちにもこっちにもアオダイショウのぬけ殻が落ちています。セロファン紙のような薄い皮が、よくこのように破れもしないで、蛇の形を保って抜けるものだと感心します。目の形もきれいに丸く残っています。
     口のところだけ皮が破れていますから、大きく口を開けておいて、そこから抜け出てくるのでしょう。脱ぐ皮がひっかかるようにザラザラした板などがあるところがいいようです。
     昨日は見つけたぬけ殻を全部とっておいたら10本ほど集まりました。もっとも、よほど丁寧にとらないとちぎれてしまいますので、満足な形のものは少なかったのですが。
     蛇のぬけ殻を財布に入れておくと金持ちになる、という言い伝えがあります。こういうことを信じる人が増えれば、私は金持ちになれます。アオダイショウのぬけ殻、長さ10センチで1000円。どうですか。買いませんか。


    花林舎動物記 第1回 ナメクジ退治
  • 花林舎動物記 第1回 ナメクジ退治 (「花林舎ガーデニング便り」より)

    2008年6月26日 13:29花林舎

    「花林舎動物記」の掲載について
     今月から数回にわたり「花林舎動物記」という楽しい動物の話を読み切りで掲載いたします。
     この「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。
     このほど、執筆者である(株)野田坂研究所所長の野田坂伸也さんに深いご理解を頂き、ご厚意で転載を了承して頂きました。
     とても面白い内容となっておりますので、是非お読みください。


    中庭への侵入者
     花林舎主人の自宅の中央は、屋根から地面までぶっ通しの空間があり、中庭になっています。庭造りを仕事にしているため、中庭というのをどうしても作ってみたかったのです。中庭の屋根は透明なアクリル板なので光が入りますが、あまりにも縦長すぎるため、底まで充分な光量が届かず、希望に反してよほど耐陰性の強い植物しか育たない中庭になってしまいました。
     もっとも、建物内部に光をとり入れるという役割は充分果たしていますから、まるっきり無駄になったわけではありません。広さは2.5メートル×2.5メートルです(図参照)。
    kari080626-1.jpg この家に住み2年くらいたったころ、中庭に植えた植物が光量不足で生育不良になるばかりでなく、どうも虫に喰われているようだと気が付きました。
     四方から囲われたこんなところに、どこから虫が入ってきたのだろう、何の虫だろうと思って葉の裏表を調べてみたのですが、1匹の虫も見つかりません。昼は隠れていて夜に出てくる夜盗虫かもしれない、とも考えたのですが、被害の状況が合いません。そのうち地面の上に銀色の筋がついているのに気付いて、ナメクジかな、と思い当たりました。ナメクジも夜行性の動物です。
     早速、その日の夜10時頃だったでしょうか。パッと壁面の電灯をつけて地面を見たとたん、「ウギャー!」と思わず叫びそうになりました。
     どうしてそれまで気がつかなかったのでしょう。何を食べてこんなに増えたのでしょう。中庭の土の上には足の踏み場もないどころか、片足で確実に10匹は踏みつぶせるほどのナメクジの大群がうごめいていたのです。
     いやはや、その気味の悪いこと。中国の暴君が意に従わない女性を投げ込んだという拷問室のようです。しばし呆然としてしまいましたが、敵の正体が分かりましたから対策も立てられる、ということになります。

    無敵の宇宙人?
     翌日、農薬の店に行ってナメクジ退治の薬を求めると、"ナメクジコロリ"だったか"ナメダウン"だったか忘れましたが、いかにもたちまちナメクジが全滅しそうな名の薬を売ってくれました。これをまいておくと夜の間にナメクジが食べて死んでしまうのだそうです。
     この薬をナメクジにたらふく御馳走しようと、片足の下に10粒は転がっているくらいたくさんまきました。
     翌朝見ると、確かにかなりの数のナメクジが死んでいました。しかし、あのおびただしい数に比べるとどうも少ない。ナメクジも休日で、土の中で寝ていて出てこなかったのがいるのかもしれません。
     その夜、またパッと電灯をつけてみました。すると、いるわ、いるわ、かなり死んだと思ったのがウソのように、まだたくさんのナメクジがうごめいています。気味悪いのを我慢して、その夜動いているナメクジを観察すると、毒エサはまだ無数にあるのに、どのナメクジも食べようとしません。
     試しに、1匹の大きいナメクジの回りを毒エサですっかり取り囲んでみました。どっちに移動するにしろ毒エサにぶつかりますから、食べざるを得ない・・・でしょう。
     ところがこのナメクジは、毒エサの輪にぶつかると、まったく食べずに、それを乗り越えて外へ出てしまったのです。こんなものは絶対に食べないぞ、と言っているのです。この時ハッと、昔読んだ少年科学読物の記事を思い出しました。「ナメクジは宇宙人が化けているのだ」という説です。私の脊髄に入り込んで私を支配してしまおうと考えているのではないでしょうか。あぁ、恐ろしい。
     まあ、宇宙人ナメクジではなかったとしても、どうして半分のナメクジは食べて死に、残りのナメクジは絶対に食べないのでしょう。私達には聞こえない声で「ウーン、やられた。これは毒だから食べるな」と叫んで死んでいったのでしょうか。
     それとも単に好き嫌いだけのことで、「嫌いだから食べないよ」と言っているだけなのでしょうか。そうだとすると、食べ物の好き嫌いは生命に関わる大問題ということになります。世の親達は子供に「ニンジンも食べなきゃだめ」と無理やり食べさせますが、これは正しいことなのでしょうか。ナメクジ達は嫌いなものは食べない、という行動によって生き延びたのですから。
     こうして第1回ナメクジ退治は失敗してしまいました。毒エサは次第にカビが生えて消えてしまいました。

    必殺・南京豆殻作戦
     次に取った手段は、もっと直接的で暴力的なものでした。塩をかけたり、木酢液をかけたり、熱湯をかけたりしたのです。これは確実に死ぬのですが、ナメクジがのたうちまわり死んでいく姿を見続けていると、自分がとんでもなく酷薄非道な人間のように思えてだんだん嫌になり、全滅させられないうちにやめてしまいました。しかし、ナメクジ退治をあきらめたわけではありません。
     ナメクジは、じめじめ湿ったところを好むようです。それなら、乾燥し、ナメクジが移動するにつれて、体が乾いてきてどうも住みにくくて困る、というような環境にしてやればいいのではないか、と思いつきました。
     そこで、殻付きの南京豆を買ってきて、せっせと豆を食べては殻を中庭にまき散らしました。冬の間豆を食べ続けましたので、春には中庭の地表がすっかり南京豆の殻で埋めつくされました。
     雨が当たらないので殻は乾燥したままですし、凹凸がある上にグラグラ動くのでナメクジはいかにも歩きにくそうです。
     結論から申し上げますと、この作戦は見事に成功しました。1年くらい豆殻を絶やさないようにしていたら、いつの間にかナメクジは消滅していました。もっとも、エサになるような植物ももう植えませんでしたから、餓えて死んだのかもしれません。それでも1年か2年はたまに銀色の歩行跡を見かけましたが、今はまったく見ることがありませんし、夜遅く電灯をつけてみてもナメクジの姿は見当たらないのです。



     イギリスの庭の本を読んでいると、イギリスにはハリネズミという動物がいて、これがナメクジを食べてくれるので、ガーデニング愛好者はハリネズミを大切に守っているという話が出てきます。
     私の家の中庭にも、実はネズミが出没するのです。小さい可愛い野ネズミと、大きくて憎たらしい家ネズミがいて、どっちかが現れます。
     ハリネズミがナメクジを食うなら、野ネズミや家ネズミもナメクジを食うかもしれません。南京豆の殻で絶滅させたと思っていたのは間違いで、実はネズミの力でいなくなった可能性も否定できません。ただし、食べつくして絶滅させるというのは、なかなか難しいのではないでしょうか。例えば、川の魚を釣りや投網で取り続けてもなかなか絶滅しませんが、河川改修をして魚の棲めない川にしてしまうと、あっけなく全滅します。
     わが家の中庭のナメクジも、やっぱり南京豆の殻によって絶滅したのだと思います。


    「花林舎ガーデニング便り」より 花林舎動物記 第1回 ナメクジ退治
     花林舎(かりんしゃ)ガーデニング便り
      発 行 (株)野田坂緑研究所(岩手県滝沢村篠木)
      発行人 野田坂伸也