いわけんブログ
東日本大震災から4カ月、陸前高田市のガレキ撤去状況。
2011年7月13日千厩支部
千厩支部では陸前高田市のガレキ撤去作業の応援要請を受け、4月25日より陸前高田市内のガレキ撤去作業を行っております。東日本大震災から4カ月が経過した陸前高田市内のガレキ撤去状況を確認してきました。
市内中心部はかなり片付いる印象を受けました。反比例してガレキの仮集積場はかなり積み上がっています。
市内中心部では建設機械の数も減り、本当に何も無くなってしまったことを実感しました。
千厩支部会員の多くは、市内中心部から移動して小友地区で作業を行っているとのことでした。広田地区に入っている会員も少数ですがいるようです。
ガレキの撤去が進み、土砂撤去のためにフォーク(ハサミ)から通常のバケットに付け替えたバックホウが増えています。堆積している土砂はかなりの量です。
奥に残る鉄筋コンクリートの建物も全て破壊されています。解体撤去になるものと思われます。
殺風景になった風景を見ていると、何もかも流されてしまったことを痛感します。
作業しているバックホウの横に長い棒などを持った警察の方々がいました。未だに遺体捜索が続いています。
ショッピングセンター「リプル」があった場所がガレキ仮集積場の一つになっています。中では人手による分別作業が始まっていました。重機やダンプなどとの接触事故が危惧されます。
小友地区での作業です。未だに多くのガレキが残っています。"ぬかるみ"での作業のため、クローラダンプで運搬作業を行っています。
予定より2ヵ月早く、7月10日に開通した気仙大橋の仮橋です。この開通により国道45号線は全線が通れるようになりました。気仙沼市と陸前高田市を結ぶ大動脈であり、流通の迅速化が期待されます。
迂回路となっていた国道343号線の渋滞が緩和したそうです。また、国道45号線では信号機が動いていました。気仙大橋の仮橋開通により、交通量が増えた為だと思われます。
左に見えるのが3月11日の津波により落橋した気仙大橋の橋脚です。
橋の歩道から反対側の海を眺めると一本松が見えました。高田松原に7万本あった松林のうち、奇跡的に1本だけ残った松です。この穏やかな海が、丈夫な橋をも飲み込む程に荒れたことが今でも信じられません。
奥に見えるのが高田松原野外活動センターと道の駅付近のガレキ仮集積場です。膨大な量のガレキが積まれています。以前は多くのダンプがガレキを運び込んでいましたが、飽和状態なのかガレキの搬入は行われていませんでした。
国道45号線を南下して、途中一部供用している三陸自動車道を通り、気仙沼市内に向かいました。気仙沼市内に入ると、交通量がかなり増えます。気仙沼市は海岸沿いを除いては被害を免れた地区も多いため、多くのお店が早くから再開していました。日常が戻りつつあるようです。
陸前高田市と気仙沼市は地図上は隣接していますが被災状況にはそれぞれ特徴があり、一律の復興策が通用しないことが分かります。現場を見ることの大切さを改めて実感しました。
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