いわけんブログ
東日本大震災3月20日現在
2011年3月23日遠野支部
3月20日 釜石支部に炊き出し用プロパンガスを届けた。
釜石支部では、本間事務長と茂庭さんが休日に関わらず、災害対応の業務に励んでおりました。被災状況は報道されているとおり、ガレキのやまでした。釜石の電気、水道は概ね回復しているようでしたが、奥の方は良く分かりません。ガスは都市ガスとプロパンに分かれており、都市ガスが復旧できなく、まだ一部では大変なようです。釜石支部を後に復興の兆しを見てまいりました。まず、リース会社に建設機械がいませんでした。街中を走りますと地元の建設会社の姿が見えました。少しずつ、地域の皆様が自主的に復興にむけ行動されているようでした。
釜石駅を左折し、大渡橋を渡り商店街に入りました。
上の写真より少し進むとここに洋服店がありました。商店前はガレキです。
これは、奥側にある建物が元の釜石市民病院です。手前もガレキです。
釜石の青葉通り付近です。
青葉道り交差点を過ぎたあたりに、釜石支部会員のダンプカーが見えました。重機械の音もしておりました。被災者がいるかもしれません?慎重でした。
この先国道45号線です。その手前の建物です。
左折し国道45号にでました。この先に左右に釜石市役所があります。
45号線を北に向かい左側の釜石市の庁舎です。このまま進むと、トンネルです。トンネルを抜けると5日開通したばかりの釜石山田道路の入り口があります。そして釜石市両石町の港湾が望めます。
建設には欠かせない生コン工場がありました。ここも被災しておりました。大変と思います。
三陸のうみです。穏やかです。先の津波がうそのようです。綺麗ですが、拡大してみますと、定置網漁の船がひっくり返って浮かんでいます。
上記の写真は一部ですが、一段目の左の写真漁師の加工場が消失しております。
一段目の右の写真 防波堤が決壊してありません。
二段目の左の写真 国道45号線(旧道)がありません。
二段目の右の写真 太平洋から両石漁港を取ったものです。
三段目の左の写真 港湾内の岸壁が破壊されております。
三段目の右の写真 港湾の左奥の白く長い防波堤がが40mぐらいなくなりました。岸壁も破壊されております。
港湾の一部の写真ですが、港湾整備には、莫大な投資が必要であり、そこに住む人々の生活環境の整備についても速やかな復興と対策が望まれます。
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