いわけんブログ
震災から1年が過ぎた陸前高田市内。
2012年3月13日千厩支部
11日に東日本大震災から1年が経過しました。本日、千厩支部会員企業が昨年8月までガレキ撤去作業に従事しました陸前高田市に行ってきましたので、市内の様子を紹介いたします
民地等のガレキ撤去がかなり進んでいます。基礎の撤去がされ、更地になったところを多く見ることが出来ました。こうしてみると、本当に何もなくなってしまったことを実感しました。
11日には震災1年を迎え、市内の至る所に花が供えられていました。改めて震災の悲惨を感じ、悲痛な思いを抱きました。
以前は買い物をする場所もなかったのですが、高台には仮設店舗が増え、市民生活が少しだけですが戻りつつありました。
市内には鉄筋コンクリートの建物が無残な姿でなお残っています。今後、残った建物の解体撤去が行われると思います。
高田市役所の建物です。市職員も多くの方が亡くなりました。
高田市役所屋上のギリギリまで津波が迫り、建物は壊滅状態です。
県立高田高校の校舎もそのままの状態で残っています。周りにあったガレキは全て撤去されていました。
震災発生当初からガレキの仮置き場となった野外活動センター付近です。分別作業が行われていました。
ショッピングセンターリプル跡地付近のガレキ仮置き場です。発酵したと思われるガレキからは蒸気があがっていました。手作業による仕分けも行われています。
写真は撮れませんでしたが、ここから国道45号線を少し北上すると右手には中間処理が稼働していました。こちらでは多くの作業員が手作業で仕分けを行っているのが車から確認出来ました。大変な作業だと思われます。
木材やタイヤなどが分別され、重ねられています。
反対側にまわると、膨大なガレキの山が分かります。
千厩支部会員が撤収直前に作業を行っていた小友地区です。当時はガレキが散乱していましたが、かなりきれいになっていました。
小友浦にもガレキが集積場があり、かなりの重機が入っていました。こちらも膨大なガレキの山です。
少し離れてみると、ガレキの量の多さに驚きます。
奥に見えるのは本当の山ですが写真中央付近の左右に広がるのがガレキの山です。
気仙大橋からみた気仙町のガレキ集積場です。こちらも膨大です。
分別作業にはまだ時間を要すると思われます。分別が終っていても運び出し先がないと、分別も遅れるのだと思います。
市内中心部のガレキ集積場です。かつての市内中心部だった場所にも膨大なガレキが置かれています。
ここが市内中心部だったことは、この写真からは知る由もありません。
JR大船渡線陸前高田駅のホームです。左がガレキ集積場です。
土ぼこりをあげてダンプや車両が行き交う後ろがガレキ集積場です。ダンプや重機が小さく見えます。手前は更地になっていますが、この辺りはかつての中心地です。
陸前高田市内はかなり片付いたように見えますが、市内に数カ所にあるガレキ集積場には膨大な量のガレキが積み重ねられています。急ピッチで分別と運搬が行われているようですが、かなりの時間を要するものと思われます。この処理が進まなければ、復興事業の進行が遅れます。処理を早めるためには多方面への運び出しが必要だと改めて実感いたしました。
復興に向けての第一歩が少しでも早く踏み出せることを願ってやみません。
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