いわけんブログ
風景と樹木 第6話「コナラ」
2010年5月28日花林舎
風景と樹木
平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しておりましたが、3月から数回は趣向を変え、植物の観点からのお話を掲載いたします。
『すこやかな暮らし発見、岩手から。「家と人。」』という雑誌から「花林舎動物記」の作者である(株)野田坂緑研究所 所長 野田坂伸也氏の記事「風景と樹木」を抜粋し、転載させていただきます。
今回は、第6話「コナラ」です。コナラ
滋味ある美しさ
コナラは景観木として見る場合、若齢のコナラ林(あるいはいわゆる雑木林の中に混じって生育しているコナラの若木)の風景と、大木になった孤立木の姿とは、区別して考えるのがよいと思う。
四十年ほど前までコナラは木炭や薪の原料として育成され、純林に近いコナラ林も広く成立していた。
コナラ林は二十年~三十年くらいの伐期で伐採され、切株から発生した新梢が伸びてまたコナラ林になるということの繰り返しで維持されてきた。その名残のコナラ林が、県内にはまだところどころに残っている。もっとも、そのような森林ではコナラは、今では樹齢六十年くらいの壮齢木になっている。
こんな雑木林の初冬の風景が、私は好きである。葉は落ち尽くして林内は明るい。まだ新しい清潔な落葉が踏むたびに乾いた音をたてる。この時期は森を訪れる人もなく、立ち止まると、たまに遠くで鳴く鳥の声のみ。
そして、斜めに差し込んだ弱い冬の日を浴びてコナラの灰色の幹が鈍く光っているのを見る時、私はその美しさに強く心を揺さぶられるのである。
美しい、と言ってもそれは若い女性の華やかさや、ハンサムな青年の整った美などとは全く異なるもので、例えば辛い人生を純真な心で耐え抜いてまっすぐに生きてきた人が、老年になって皺の寄った顔にふとよぎらせるような滋味ある美しさである。
人々はその美しさに容易には気付かない。しかし、ある時不意にそれを発見し、サクラやバラの美とは異質の美に感動するのである。
それは〝美しい〟という表現では説明できないような気もする。穏やかで、安心でき、癒されて、懐かしい―そういった感じである。そして、何度見ても飽きない。
コナラは春にはまた違った姿を見せる。
コナラの新緑は遅い。色も他の樹木とは違い、白っぽいので遠くから見てもコナラの山は区別がつく。宮澤賢治は〝ナラの林が煙る時...〟と表現したが、光るような、煙るようなコナラ林の新緑は、普段服装に無頓着な男がおしゃれをしたようで、なにかおかしい。
芽吹いたばかりの緑の中でベニヤマザクラの紅い花が咲いて散り、入れ代わりにカスミザクラの白い花が咲いて散る頃、コナラの新緑が灰白緑色にけぶり、岩手は春たけなわとなる。秋の葉の色づきもコナラは遅い。他の木々の落葉が散り敷いた後、コナラの褐色の葉は樹上に長く残っている。褐色といっても、晴れた日には陽光を反映して明るい。全山コナラで覆われた山は、このころ膨れ上がって大きくなったように見える。モミジほどの美しさはないが、かなりどぎつい色である。
大木になるコナラ
コナラは〝小楢〟で、大木にはならない、と思っている人が多いようであるが、実際には樹高二十メートル以上の大木になる。幹径も一メートル近くに達する。ただ、長く薪炭林として扱われてきて、若木のうちに伐られるものが大半だったため、大木になるものが少なかったのである。
イギリスではオーク(ナラ、カシワの類)が尊重され、町や村にその大木がよく見られる。オークの木は無骨な農夫の節くれだった手のようにゴツゴツした姿をしていて、スマートさとは対極にある。しかし、だからこそ崇拝されるのであろう。
コナラの大木は、イギリスのオークに比べるとずっとスマートですっきりした樹姿である。とはいえ、ケヤキのような繊細な美しさではなく、素朴で飾り気がなく、いかにも田舎者です、という風情である。
ただし、この田舎者はただ者ではない。実に堂々としていて風格がある。浮ついたところがない。
小岩井農場(岩手県雫石町)の古い牛舎のそばに、コナラの大木が立っている。一本のように見えるが近寄って目をこらすと二本が寄り添っているのがわかる。樹冠は整った球状である。これほど端正な樹形のコナラもまずないだろう。
何人かの識者に聞いてみたが、少なくとも容易に見ることのできる場所にあるコナラでは、日本で最大のものではないか、と言っていた(詳しく調査したわけではないから真偽のほどは不明)。
県指定の天然記念物くらいの価値はあると思うのだが、その前にサクラの木を植えて、この素晴らしい大木が見えにくいようにしている。呆れ返ったものであるが、日本人の一般的な通念―サクラは美しい、コナラなんて見る対象ではない―が明瞭に反映されている。
このコナラほど大きくはないが、自然形の味わい深い樹形のコナラが十本近く点在している牧草地が近くにある。大樹と草地との取り合わせが、まことに美しい風景を構成している。「日本ではなかなか見ることのできない風景です」とある大学の造園学の教授が感嘆していたが、ヤドリギがついているためか年々コナラが衰弱してきているので心配である。
人間は図体が大きいだけで尊敬されることはないが、木は大きければ、それだけで我々を感動させる。また、大きくなるほどそれぞれの樹種の特徴が明らかになってくる。
コナラはあまりにありふれた木のため、景観木としての価値は軽視されてきたが、その大木の風格はこれからのふるさとづくりなどでシンボルとして生かされるべきである、と考える。
バックナンバー
第5話「ハリギリ」
第3話「シナノキ」・第4話「カエデ類三種。」
第1話「ケヤキとサツキの大罪 -その1-」・第2話「ケヤキとサツキの大罪 -その2-」
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