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  • 風景と樹木 特別版「庭と人、明日への系譜。」

    2011年2月04日岩手県建設業協会

    風景と樹木 特別版
     平成20年6月から「花林舎動物記」という楽しい動物のお話を読み切りで掲載しています。「花林舎動物記」とは、滝沢村にある(株)野田坂緑研究所発行(所長 野田坂伸也氏)の会員限定情報誌「花林舎ガーデニング便り」の中で最も人気がある連載記事です。
     今回から「花林舎動物記」はふたたびお休みとして、『すこやかな暮らし発見、岩手から。「家と人。」』という雑誌から野田坂伸也氏の記事「風景と樹木」の特別版「庭と人、明日への系譜。」を転載させていただいきます。

    庭と人、明日への系譜。
    風土と個人の個性が体現された場へ
    庭は、家と人にとって、
    もっとも身近な環境であり、
    ランドスケープ。
    四季を映し、家族の記憶を刻み
    植物・虫・鳥たちが相互に関係しあい
    生態系をつくりだす小宇宙でもある。
    庭と人の繋がり―。

    風景と樹木

    庭の大変革期
     現在わが国の庭は、かつて経験したことのない大きな変革の最中にあります。それは、いわゆるガーデニングブームによって引き起こされ、10年余りが過ぎた現在でもまだ続いていて、いつごろ、どのような形で落ち着くのか不明のままです。
     庭の変革とは、一口でいえば「庭の大衆化」ということですが、これは別の表現をすれば「芸術作品としての庭から、生活空間としての庭への変化」ということができますし、さらに違う面から見ると「庭師が造る庭から素人が造る庭への変化」といってもいいでしょう。
     日本庭園を造る庭師の多くは「ガーデニングなんてのは一時の流行ですぐ終わってしまうよ」と考えていたようですが、それは時代の変化を読み取れない希望的観測でした。
     庭がどのような動機から発生したかについて、私は庭園史を詳しく勉強していないので確信を持って述べることはできないのですが、当初は実利的な目的を持って造られたであろうと推測できます。
     記録に残っている最も古い庭は紀元前3000年ころのエジプト王朝の王宮の庭だとされていますが、これは中央に涼しい水をたたえた池があり、周りには緑陰樹が木陰を落とし、果樹や芳香を放つ花が植えられていたようです。
     エジプトは暑い国ですから、涼しさが何よりも求められ、またおいしい果物や香り高い植物のような実益を与えてくれるものがあることが庭の楽しみだったわけです。素朴といえば素朴ですが、これが庭の原点であり終点でもあると私は思います。
     ところが、いつのころからか庭の主要な価値は「美」ということになってしまいました。「美」といっても様々なスタイルがありますが、洋の東西を問わず庭の価値基準は「美しさ」ということになったのです。日本庭園の場合は禅宗の影響が大きかったため、これに加えて、精神性というようなものまで入り込んできました。
     これは庭の造り手が庭師という専門家になったことが大きく影響していると思います。専門家はどうしても自分の作品を造るという意識に捕らわれてしまいます。また所有者も芸術的に価値の高い庭園がよい庭であると考えてきました。
     もちろん芸術作品としての庭が求められる場所もあります。ガーデニングブーム以前の庭はほとんどそういう庭だったといってもいいでしょう。しかし、一般大衆の求める庭はそれとも違うものだったのです。
    庭各種

    「大衆」にとっての庭
     人間社会に階級というものができ、富めるもの、権力をもつものと、支配されるもの、貧しいものとに分かれて以来、庭は長い間富めるもの達だけが所有してきました。苦しい生活にあえぐ庶民は、庭をもつより食べて雨露をしのぐのに精一杯だったのです。
     しかし、わが国では戦後の経済成長のおかげで国民の多くが豊かになり、歴史上初めて大衆が庭を持つことができるようになりました。その時多くの人々が求めた庭が、庭師が作る伝統的な日本庭園ではなくガーデニングだったのはどうしてでしょうか。
     庭が金持ちだけのものだったころ、庭を造る目的は主として体裁を繕うためでした。つまり立派な家を建てたら庭もそれに見合うだけの物を造らなければならないというわけです。なかには本当に庭が好きで造らせた金持ちもいたでしょうが、多くはステータスシンボルとして庭を造ったのです。そのためには芸術性豊かな日本庭園は最適だったといえますが、所有者と庭との関係は希薄でした。
     これまで、庭は庭師が造り庭師が管理するもので、所有者はただ眺めているだけでした。そんな庭は嫌だ、自分で造り自分で世話したいと人々は思うようになったのです。
     ガーデニングブームはある雑誌の記事がきっかけになったといわれていますが、燎原の火のように瞬く間に全国に広まって行ったのは、新しいスタイルの庭への要望が広く強く潜在していたことを示しています。
     ガーデニング以後、庭と所有者との関係は大きく変わりました。自分で造り自分で管理する人が多くなりました。もちろん全ての人が自分で庭つくりができるわけではありませんから、庭師あるいはガーデナーの出番も充分にあるのですが、以前のように何もいわずに庭師に任せる人は少なくなりました。
     知り合いの庭師が「近ごろの客は金は少ししか出さずに、口ばっかり出すからやりにくくてしょうがない」とぼやいていましたが、これは心得違いです。客は口を出すのが当たり前で、それを不満に思うというのは、従来の庭つくりが特殊な状況にあったからです。
    祇陀寺
    アプローチ

    新しい庭の時代
     ガーデニングによって、庭は原点に戻ったのだと私は思います。
     庭の原点の第一は「快適な戸外空間」です。今は、建築の質も上がって室内環境を快適にするための設備も充実していますが、戸外には人工的にコントロールされた環境とは異なる快適さがあります。これは人間が動物である限り変ることのない感覚だろうと思います。ただし、何もしなくても戸外は快適ということではなく、快適な環境は様々な工夫によって造り出されるのです。
     庭の原点の第二は「戸外の楽しい生活空間」ということです。「楽しさ」には、実に様々な内容があって、人によっても違います。植物(樹木、草花、野菜、ハーブ、果樹、芝生など)を育て、手入れをする楽しみは庭の楽しみのなかではもっともポピュラーなものです。
     そして美しい花を見たり、美味しい野菜や果物を収穫して料理して食べたり、ジャムを作ったり、ハーブティーにしたりする楽しみが派生します。それを自分や家族だけではなく、友人を呼んで庭のテーブルで一緒に語らい味わうというのも、従来の堅苦しい庭園ではなかった楽しみです。
     庭のデザインを考え、それを自分の力で造りあげる人も現れてきました。これは、もしかすると究極の庭の楽しみなのかもしれません。専門の造園業者も顔色なしの素晴らしい庭を造ってしまう人もいて、驚嘆します。
     庭を自分で造ったり、手入れをして育てたりすると、他人に見せたくなるようです。これも庭の楽しみの一つになりました。
     ニュージーランドなどの庭の先進国に比べると、わが国の庭愛好家の割合はまだまだ小さいですが、家と庭の両方が生活に欠くことのできないスペースであると考える人が多くなってきたことは、誰の目にも明らかです。
     しかし、庭つくりを職業とする人々の対応はまだかなり遅れた状態にあります。元来庭つくりを担ってきた造園業者の他に、近年はエクステリア業者、園芸業者と3方面の人々が庭つくりに進出していますが、どの分野の人も新しい庭への要求に正面からきちんと応えているとはいい難い状況にあります。それぞれが自分の得意分野をお客さまに強引に押し付けているというのが現状のように思われます。
     庭を生活の場として総合的に把握しながらデザインする力が必要ですし、資材なども各分野のものを一通り知っていなければなりません。草花の名前など素人の人のほうが良く知っている、と自嘲気味に話す業者が多いことなどは、真に嘆かわしいことです。
     一般の人々の庭に関する知識と発言力が増大していくなかで、専門家のなかにもより深い思索と広い知識と革新的なデザイン力を持った人の出現が切望されます。
    園路

    ローカル色豊かな庭
     ガーデニングブームの火付け役になった庭のスタイルはイングリッシュガーデンでしたが、その特徴の一つは宿根草を多用することです。
     宿根草は地下部が越冬して翌年また発芽してくる草ですから、寒冷地では耐寒性の強い種類だけが生き残ります。逆に夏の暑さや梅雨の長雨にも耐えなければなりません。つまり1年を通してその草花が生き残れるような気候の所でないと、宿根草は育つことができないわけです。
     樹木についても同じことがいえます。
     毎年毎年新種が加わってくるほど多種多様の植物を使うガーデニングは、自ずと気候風土の異なる地方ごとに特有の庭ができていくはずです。
     いまはまだイギリスのまねばかりしている人や経験不足の人が多いので、ガーデニングの庭も全国画一の状態ですが、あと10年か20年もすれば、人々もそういうことが分かってくるでしょう。
     庭つくりの材料の一つに石があります。日本庭園では〝銘石〟というものが遠方から運ばれてきて高値で売られたりしていますが、庶民が造る新しい庭では地元で産出する石のなかから自分の庭の雰囲気に合ったものを探せばいいと思います。
     私は採石場を数カ所廻って見て私が造る庭に適した石を見つけました。一つは安山岩で、もう一つは熔岩ですが、どちらも自己主張の少ない控えめな雰囲気の石で、植物の引立て役としてもってこいです。
     岩手県は竹がほとんど自生していませんが、日本庭園ではたいてい竹垣を造ります。私は県内に無数に生育している落葉広葉樹の枝で垣根を造れないだろうかと試してみました。これはなかなか難しくまだ試行錯誤の段階ですが、竹垣とはずい分印象の異なる独特の趣のある垣根ができることがわかりました。
    垣根
     残念なことに、雑誌などの影響やエクステリア材料を売って儲けようとする人々の力が強くて、地道に地域独自の材料を開発しようとする人は稀なのでガーデニングの庭も画一化が進んでいますが、地域ごとのローカル色豊かな庭が広まって欲しいものだと、私は切に願っています。なぜなら、それが地方が元気になるための一つの方法であると考えるからです。
     あらゆる面で、大衆が自ら考え工夫する習慣が広まることが、わが国を救うための基本だと思います。そう考えればガーデニングは意外に意味のある趣味かもしれません。誰でも創意工夫を実践できる場なのですから。


    「風景と樹木」バックナンバー
    第10話「カツラ」
    第9話「ダケカンバ」
    第8話「ベニヤマザクラ」
    第7話「シンジュ」
    第6話「コナラ」
    第5話「ハリギリ」
    第3話「シナノキ」・第4話「カエデ類三種。」
    第1話「ケヤキとサツキの大罪 -その1-」・第2話「ケヤキとサツキの大罪 -その2-」