いわけんブログ
- 東日本大震災 一覧
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(5) ―4月30日 釜石市にて―
2013年5月 9日 09:07東日本大震災
東日本大震災から2 年が経過した今、復興はいまだ道半ばです。復旧・復興事業がようやく形を見せ始めたの現状です。
一方、都市部などでは震災の記憶が風化しつつあります。今だからこそ、被災地の「いま」をお伝えします。
日刊岩手建設工業新聞社の協力により、数回にわたり不定期に掲載します。
第5回は釜石市です。
鵜住居地区防災センター
多くの市民の方が犠牲になった鵜住居地区防災センター。被災調査委員会で再検証が行われています。
鵜住居のまちなか
鵜住居の市街地があった場所。夏には草に覆われてしまいます。
唐丹漁港の復旧工事
唐丹漁港(花露辺地区)での復旧工事。浜ごとに漁港があり、人々の暮らしがあることが実感されます。
小白浜漁港
小白浜漁港で倒壊した防潮堤。
被災地の「いま」を伝える写真を募集しております。
協力 日刊岩手建設工業新聞社
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震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(4) ―5月2日 宮古市田老にて―
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(3) ―4月22日 大槌町にて―
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(4) ―5月2日 宮古市田老にて―
2013年5月 7日 17:08東日本大震災
東日本大震災から2 年が経過した今、復興はいまだ道半ばです。復旧・復興事業がようやく形を見せ始めたの現状です。
一方、都市部などでは震災の記憶が風化しつつあります。今だからこそ、被災地の「いま」をお伝えします。
日刊岩手建設工業新聞社の協力により、数回にわたり不定期に掲載します。
第4回は宮古市田老です。
田老漁港のかさ上げした場所
新しいコンクリートを打った様子が分かります。地盤沈下の復旧でしょうか。
X型防潮堤上から
「万里の長城」と言われたX型防潮堤。写真の右側に当たる東方向の海側防潮堤が破壊されました。震災直後からさまざまな議論の対象となっている巨大防潮堤ですが、住民の命を守るためにはハード施設と避難のどちらも欠かせません。
市街地
市街地だった場所をX型防潮堤の上から北側に向かって撮影。
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協力 日刊岩手建設工業新聞社バックナンバー
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(3) ―4月22日 大槌町にて―
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(3) ―4月22日 大槌町にて―
2013年4月24日 08:58東日本大震災
東日本大震災から2 年が経過した今、復興はいまだ道半ばです。復旧・復興事業がようやく形を見せ始めたの現状です。
一方、都市部などでは震災の記憶が風化しつつあります。今だからこそ、被災地の「いま」をお伝えします。日刊岩手建設工業新聞社の協力により、数回にわたり不定期に掲載します。
第3回は前回に続き、大槌町です。
橋桁が津波で流出したJR山田線の大槌川橋梁。奥に見えるのが小鎚川の水門です。
大槌漁港の防潮堤、写真手前は陸側です。復旧・復興への道程の長さを実感します。
吉里吉里の集落に、たくさんの鯉のぼりがたなびいていました。もうすぐ端午の節句。
被災地の「いま」を伝える写真を募集しております。
協力 日刊岩手建設工業新聞社
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震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(2) ―3月30日 大槌町にて―
2013年4月17日 18:26東日本大震災
東日本大震災から2 年が経過した今、復興はいまだ道半ばです。復旧・復興事業がようやく形を見せ始めたの現状です。
一方、都市部などでは震災の記憶が風化しつつあります。今だからこそ、被災地の「いま」をお伝えします。日刊岩手建設工業新聞社の協力により、数回にわたり不定期に掲載します。
第2回は大槌町です。
城山公園の高台から見た大槌町市街地です。
前町長など多くの職員も命を落とした大槌町役場。庁舎の一部は震災遺構として保存が決まったようです。この日も多くの観光バスが停まり、研修や観光に訪れた人たちが祭壇に手を合わせていました。(撮影日 3月30日)
被災地の「いま」を伝える写真を募集しております。
協力 日刊岩手建設工業新聞社震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(1) ―3月30日 山田町にて―
2013年4月13日 09:36東日本大震災
東日本大震災から2 年が経過した今、復興はいまだ道半ばです。復旧・復興事業がようやく形を見せ始めたの現状です。
被災地の「いま」を伝える写真を募集しております。
一方、都市部などでは震災の記憶が風化しつつあります。今だからこそ、被災地の「いま」をお伝えします。
日刊岩手建設工業新聞社の協力により、数回にわたり不定期に掲載します。
第1回は山田町です。
山田町の大沢漁港では復旧工事が進められています。平成25年度内の完了予定とのこと。
漁港ではワカメのボイル作業も進められています。立ち上る湯気が復興に向けた力強い思いを感じさせます。
山田町の南側に位置する船越漁港の復旧工事の様子です。クレーン船の赤と青空のコントラストが鮮やかです。
未だ壊れたままになっている防潮堤も...。
協力 日刊岩手建設工業新聞社IHI重機株式会社よりトラックローダがとどいた。
2011年8月 3日 11:51東日本大震災
第3回高田市へのボランティア活動
2011年7月14日 18:31東日本大震災
今回第3回目(前回6月11,12日の2回活動)となる高田市へのガレキ処理ボランティア活動を当支部と一関市水道工事業協同組合の2団体で約170名が参加活動いたしました。前回含め延べ520名が活動
作業場所は、高田市米崎町国道45号線沿いのすでにガレキ処理をした平坦地の田畑で、主に草刈り作業です。
また草刈り作業周辺のガレキ収集も行ないました。
各社草刈機、燃料他持込、各班にわかれ作業。
作業区域は全体はどの位の広さでしょう? 結構な広さです。
気温 32度超? どこも暑いです。
午後には、にわか雨にしては強い雨が降りました。
背丈ほどまで草が伸びているところもありました。
川沿い周辺も作業
一輪車でのガレキ運搬作業
草刈り終了後です。
東日本大震災から4カ月、陸前高田市のガレキ撤去状況。
2011年7月13日 14:39東日本大震災
千厩支部では陸前高田市のガレキ撤去作業の応援要請を受け、4月25日より陸前高田市内のガレキ撤去作業を行っております。東日本大震災から4カ月が経過した陸前高田市内のガレキ撤去状況を確認してきました。
市内中心部はかなり片付いる印象を受けました。反比例してガレキの仮集積場はかなり積み上がっています。
市内中心部では建設機械の数も減り、本当に何も無くなってしまったことを実感しました。
千厩支部会員の多くは、市内中心部から移動して小友地区で作業を行っているとのことでした。広田地区に入っている会員も少数ですがいるようです。
ガレキの撤去が進み、土砂撤去のためにフォーク(ハサミ)から通常のバケットに付け替えたバックホウが増えています。堆積している土砂はかなりの量です。
奥に残る鉄筋コンクリートの建物も全て破壊されています。解体撤去になるものと思われます。
殺風景になった風景を見ていると、何もかも流されてしまったことを痛感します。
作業しているバックホウの横に長い棒などを持った警察の方々がいました。未だに遺体捜索が続いています。
ショッピングセンター「リプル」があった場所がガレキ仮集積場の一つになっています。中では人手による分別作業が始まっていました。重機やダンプなどとの接触事故が危惧されます。
小友地区での作業です。未だに多くのガレキが残っています。"ぬかるみ"での作業のため、クローラダンプで運搬作業を行っています。
予定より2ヵ月早く、7月10日に開通した気仙大橋の仮橋です。この開通により国道45号線は全線が通れるようになりました。気仙沼市と陸前高田市を結ぶ大動脈であり、流通の迅速化が期待されます。
迂回路となっていた国道343号線の渋滞が緩和したそうです。また、国道45号線では信号機が動いていました。気仙大橋の仮橋開通により、交通量が増えた為だと思われます。
左に見えるのが3月11日の津波により落橋した気仙大橋の橋脚です。
橋の歩道から反対側の海を眺めると一本松が見えました。高田松原に7万本あった松林のうち、奇跡的に1本だけ残った松です。この穏やかな海が、丈夫な橋をも飲み込む程に荒れたことが今でも信じられません。
奥に見えるのが高田松原野外活動センターと道の駅付近のガレキ仮集積場です。膨大な量のガレキが積まれています。以前は多くのダンプがガレキを運び込んでいましたが、飽和状態なのかガレキの搬入は行われていませんでした。
国道45号線を南下して、途中一部供用している三陸自動車道を通り、気仙沼市内に向かいました。気仙沼市内に入ると、交通量がかなり増えます。気仙沼市は海岸沿いを除いては被害を免れた地区も多いため、多くのお店が早くから再開していました。日常が戻りつつあるようです。
陸前高田市と気仙沼市は地図上は隣接していますが被災状況にはそれぞれ特徴があり、一律の復興策が通用しないことが分かります。現場を見ることの大切さを改めて実感しました。
宮古よりガレキ搬入
2011年7月11日 16:16東日本大震災
震災から4カ月!
2011年7月11日 14:03東日本大震災
破傷風の予防接種
2011年6月27日 10:30東日本大震災
東日本大震災をふりかえって
2011年6月25日 18:10東日本大震災
平成23年3月11日の東日本大震災により、当然のごとく釜石もライフラインがストップした。
後の調査で会員企業の事務所は19社被災され、流失した重機はリースも含め139台にもなっていた。
翌日、携帯電話も通じないこの様な状態の中、翌日には会員数社が土木部に 集合し、まずは、生き残った重機を一か所に集め、復旧の段取りをした。
鵜住居地区の会員数社は、連絡し合い翌日には、地域道路の復旧を開始してくれていた。
沿岸広域振興局の要請で、近隣の遠野支部復旧支援チームも駆け付けてくれた。
釜石のスタンド半数以上が流失し、重機の燃料が手に入らず、遠野チーム用の給油ローリーより分けて頂く事が出来て助かった。 数日後には、釜石支部優先のガソリンスタンドを確保し、一か所にダンプを並べ、ローリーで給油した。その後、現場を回って重機にも給油するようにしたが、それでもまだ遠野チーム の燃料を必要とした。3月21日からは、オイルターミナルより2台のローリーで給油出来る事となり、現場の案内役として2名を貼り付け、5月14日まで給油して回り、それ以降は各社での給油をお願いした。
釜石港の津波の様子
津波が去った後の釜石
翌日から沿岸広域振興局での復旧対策会議
6月15日より 土木部の縦覧室を借りて釜石支部の災害対策本部を置いた。 (釜石支部事務所はライフラインがストップしていたが、振興局には発電装置が有り、衛星電話当の連絡手段も有った。)
3月29日 釜石支部事務所に災害対策本部を移動し、支部独自に又土木部及び釜石市との対策会議等行っている。
朝礼並びにラジオ体操
河川のガレキ撤去作業
道路等のガレキ撤去作業
ガレキ置き場の様子
釜石のメイン通りは、ガレキ撤去修了済。 (港から駅方面)
市役所通り ・ 大型船
東日本大震災支援
2011年5月31日 11:35東日本大震災
「東日本大震災への取組」を掲載しました。
2011年5月23日 11:42東日本大震災
復興祈念鯉のぼり掲揚事業
2011年5月12日 08:41東日本大震災
震災から2ヵ月、陸前高田市のガレキ撤去作業を視察
2011年5月11日 18:26東日本大震災
千厩支部では陸前高田市のガレキ撤去作業の応援要請を受け、4月25日より陸前高田市内のガレキ撤去作業にあたっています。
5月11日で東日本大震災から2ヵ月となり、ガレキ撤去作業の進捗状況確認のために千厩支部長と陸前高田市へ向かいました。
一関市大東町から国道343号で国道340号線に入り、陸前高田市内の主に千厩支部会員が担当している区域と仮のガレキ置き場を視察しました。その後、広田方面を周ってから、国道340号線に戻り竹駒町に迂回、気仙町から国道45号線に入り気仙沼を抜けて帰路に着きました。
竹駒町付近、市内、気仙町付近等は徐々に片付いて来た印象を受けましたが、広大な被災地域とガレキの量からも今後更に時間を要するものと思われます。仮のガレキ置き場も許容量を超えるのは時間の問題と思われ、早急な対応が必要だと思います。
作業環境面からは砂ぼこりや粉じんが舞う中での作業であり、健康被害対策の徹底が必要不可欠です。また、余震により津波が発生した際の避難手順を確認しておく必要があります。陸前高田市内は平地が多く、海岸近くから高台にはかなりの距離があります。
国道45号線から市内中心部。
全てが流されています。
左には県立高田病院が見えます。
奥に陸前高田市役所が見えます。
市内中心部です。
市役所付近でのガレキ撤去作業。
市内中心部にも多くのガレキがあります。
陸前高田市消防署付近。
道の駅高田松原、仮ガレキ置き場。
分別作業が行われています。
凄まじいガレキの量です。
多くの大型ダンプが行き交います。
震災から2カ月!
2011年5月11日 17:27東日本大震災
陸前高田市への支援物資として作業着を寄贈しました。
2011年5月11日 16:52東日本大震災
本日、一関市大東支所を通じて陸前高田市へ作業着を寄贈しました。
一関市大東支所は陸前高田市に隣接している土地柄から旧大東町の時代から交流があり、東日本大震災発生当初から支援を続けているそうです。
バス送迎により町内の大原公民館でお風呂を提供し、炊き出しも行ったそうです。お風呂に入りに来た陸前高田市の方からは、衣類は足りて来ているが片付け作業でのスコップや長靴が不足しているとの話を聞き、即座に提供した経緯もあるそうです。
今回、被災した方々がガレキ片づけ作業の際に着る作業着が不足していることから、一関市大東支所より千厩支部へ作業着の提供について要請がありました。この事を受け、会員企業に作業着の提供を呼び掛け、多くの作業着を寄贈することが出来ました。
日常の衣類などは全国からの善意で足りて来ているものの、片付け作業が本格化した今、作業に必要なものが不足しているとのことで、状況の変化に応じた支援が必要であると実感いたしました。ニーズの把握と適切な情報提供が大切です。震災から一カ月半
2011年4月28日 17:20東日本大震災
東日本大震災のつめ跡
2011年4月27日 16:44東日本大震災
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