いわけんブログ
- 東日本大震災 一覧
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第18回)
2014年7月24日 10:56東日本大震災
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
(第16回より、内陸からの後方支援を掲載します)
第18回は遠野市の松田重機工業(株)重機部長 菊池隆悦さんです。松田重機工業(株)重機部長 菊池隆悦さん(48歳:震災当時)
《職種》重機オペレーター
《啓開作業時の作業内容》重機オペレーター
「人間はコミュニケーションが一番大事だと思いました」―震災発生時は遠野の現場にいたのですか
遠野の現場で作業中でした。会社に戻るのが一番遅かったので、会社では誰にも会えず、その日は家に帰りました。電話が通じないので連絡を取ることも出来ませんでした。
―啓開作業の指示を受けたのはいつでしたか
12日の朝に出勤したところ、社長から「重機1台をトレーラーに積み、ダンプ2台と遠野運動公園で待機」と指示がありました。午後から笛吹峠を越えて、釜石市の鵜住居方面に向かいました。途中、県の職員から一旦帰って連絡を待つよう指示を受け、その日は遠野に戻りました。
―啓開作業に入れたのはいつですか
13日の朝5時に会社に集合して、今度は大槌町に向かいました。立丸峠から宮古市を通り、土坂峠を抜けて大槌町に入るルートです。少し雪があり、狭い道で、対向車も来るので5時間ほどかけて大槌北小学校付近に着きました。
―被害状況を見て感じたことはありますか
停電で状況が把握できず、津波がどの様なものか、実感がありませんでした。崩れた道路を復旧に行くものだと思っていました。海から1km以上手前で、河川等に車や家がひっくり返っていても、状況が理解できません。更に進むと、家が無くなり平らになっています。頭の中は真っ白でした。国道45号線で車を降りて、初めて状況を把握しました。「これが津波なんだ」と・・・。
―作業はどこから始めたのですか
国道45号線を釜石市方面に向かって作業を進めました。1週間程度は着いた場所から作業を始め、その後は集合場所で朝礼をするようになりました。
―作業上、気を付けたことはありますか
中に人がいるかもしれないので、傷をつけないように作業を進めました。重機が先に進んで、ご遺体を見つけた時には自衛隊に知らせました。最初は戸惑いましたが、だんだん見つかって良かったと思えるようになりました。そう思わないと自分がやりきれなくなるので。
最初は余震が多く、高台に避難することもありました。重機に乗っていると気付ない時もありましたが、周りの人が教えてくれました。―気持ちが落ち込むことはありませんでしたか
正直、現場に向かうのはつらい気持ちもありました。同僚と冗談を言い合って気持ちを紛らわせることもありましたね。3、4カ月経ってからですが、地元の被災者と話をすることが増え、食べ物や飲み物を貰うこともありました。明るく話す姿に逆に励まされましたことを覚えています。
―作業を振り返ってみて、教訓はありますか
初めからもっと住民の人たちと会話を交わすべきだったと、後悔しています。地元の人たちも話をしたかったのだと思います。地元の人の声を聞けば、優先して進めて欲しい場所など、情報が早く得られたと思います。やっぱり人間はコミュニケーションが一番大事だと思いました。
―終わってみての思いは
ガレキが片付いてきれいにはなりましたが、今後はどうなるのだろうという気持ちでした。
今でも仮設住宅に入っている人がいっぱいいます。地盤沈下で水が入ってくる場所もあります。今、大槌で仕事をしていますが、まだまだ終わっていないというのが実感です。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/03/04_1755.html">第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/02/21_1742.html">第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第17回)
2014年7月13日 11:13東日本大震災
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
(第16回より、内陸からの後方支援を掲載します)
第17回は遠野市の佐藤工業(株)飯森清幸さんです。佐藤工業(株) 飯森清幸さん(51 歳:震災当時)
《職種》重機オペレーター
《啓開作業時の作業内容》オペレーター兼移動用バス運転
「先の心配よりも、今取り組むべきことに」
―釜石に対する支援の話を聞いたのはいつですか。
11 日夕方の5時から6時ぐらいだったと思います。細かい内容は覚えていませんが、翌朝会社に集合して重機とオペレーターを釜石まで運搬する指示を受けたと記憶しています。
その時点では釜石の詳細な状況も分かりませんから、特に不安を感じることもなく「指示を受けた以上は行くしかないな」という思いでした。―翌朝、釜石ではどの場所から作業に入ったのですか。
国道283 号を使って釜石駅前まで入りましたが、そこからは先に進めませんでした。駅前を見る限り被害は意外と小さいかなとも思いましたが、海側に進むに従い状況はひどくなる一方で、どこから手を付けたらよいのか途方に暮れました。
12 日の時点では自衛隊が先行して、一人が通れる程度の道路を開けていました。私たちはその後から道を広げる役割でしたので、実質的には待機に近い状態で、実際に現場で重機が動いたのは13 日から。釜石港に船が入るということで、駅前から国道45 号を経由して埠頭に向けて道を開いていきました。―作業をする上で気を付けたことは。
私たちが作業をしているすぐ側を被災した人たちが歩くんですが、ほかに歩ける場所も無いのでやむを得ません。作業の際には重機の周辺に十分注意し、被災した人との接触事故を起こさないよう徹底しました。
―作業を進める上での困りごとは。
基本的には指示通りに動いていたので、現場で困ったことや判断に迷うようなことはありませんでした。ただし各社ともに、ダンプやローダーのパンクは結構あったと思います。
ダンプはスペアタイヤがあるからよいのですが、ローダーがパンクした場合、遠野から修理屋さんを連れて行って対応してもらわなければなりませんでした。―精神的に辛いことも多かったのではないですか。
今になってみると、辛いとか大変だとかの思いがあったどうか、よく覚えていないんですよね。ただし、海水と泥、生ゴミが混ざったような臭いが、日時の経過とともにひどくなっていたことは覚えています。
精神的な疲れというよりも、しばらくすると道路の渋滞が始まり、10 分、20 分と車が動かないことも度々だったので、通勤疲れはありましたね。―途中から大槌方面にも入られたと聞いていますが。
1カ月ほど経過してから、1階が浸水した家から出された家財道具などを撤去する仕事をしました。道路はだいぶ片付いていたのですが、市街地では火災の跡も生々しく「本当に多くの建物が燃えてしまったんだな」と思いました。
―作業の中で気付いたことや、将来への教訓などがあれば。
いや、そんなに先々のことを心配しながら仕事をしていたわけではないですから。とにかく淡々というか、今取り組むべき課題に一生懸命に取り組むという感じでしたね。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第15回)
2014年6月10日 19:01東日本大震災
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
第15回は野田村の(株)晴山石材建設 上川 寿隆さんです。(株)晴山石材建設 上川 寿隆さん(36歳:震災当時)
《職種》現場監督
《啓開作業時の作業内容》指示係兼オペレーター
「小さい村だからこそ、顔が見える関係で」―最初に作業に入ったのはどの辺りですか。
国道45号から市街地に入れない状態だったので、山側を通って久慈市に抜けるルートを確保するため、冬期間は通行止めになっている久慈市の宇部地区と村内を通る県道をつなぐ林道を除雪することにしました。ほかの会社の人が担当したのですが、翌12 日の午前中には通行を確保できたと記憶しています。
会社も津波で流され、社長が家族の方と一緒に小学校の体育館に避難していました。体育館は寒かったので、被災していない私の自宅に半ば無理矢理来てもらいました。―野田村は市街地も大きな被害を受けました。
久慈方面からの応援部隊を受け入れるため道路啓開と駐車スペースの確保が必要ですから、当日の深夜12時ごろから愛宕神社の鳥居付近でがれきの撤去を始めました。ところが、撤去作業を始めてすぐにご遺体が見つかったんです。
その時点では行方不明者数も分からないし、暗い中での作業で万が一にも生存者を傷付けるようなことがないよう、作業を一時ストップして明朝5時から再開しました。―道路啓開やがれき撤去の進め方は。
役場前を拠点に、国道45 号に向かって放射状に道路を啓開していく方法を取りました。グラップルが若干不足気味でしたが、重機類は津波被害を受けていないバックホウやタイヤショベルがありましたし、内陸部からもご支援いただき、さほど苦労はしませんでした。
すべての重機に番号を割り振って、オペレーターは重機に専属としました。これに県外などから応援に来た消防、警察、自衛隊の関係者が20人ほど付いて、がれきの撤去と行方不明者の捜索を進めました。―作業を進める上で、困りごとはありましたか。
啓開作業の現場では、関係機関の方と口論になることもありました。言い方一つで気持ちの行き違いが生じたり、指揮命令系統が錯綜して現場が混乱することがあったのも事実です。
指揮系統を一本化するため、うちの社長に役場に常駐して全体を統括することをお願いして、うちの社長と晴山組の社長さんが全体の指示を出す仕組みを作ってもらいました。確か14日か15日あたりだったと思います。―一連の作業が終わって、どのような思いを持たれましたか。
個人的には、被災地におけるモラルやボランティアのあり方などについても色々と考えさせられました。私たち自身についても、間違いの無い行動には気を付けていました。
それでも野田村は行方不明者の捜索やがれきの撤去などは、比較的早く終了したと自負しています。最後の行方不明者は若い女性でしたが、確か震災からちょうど1カ月目にご遺体が見つかったと記憶しています。小さい村だからこそ、誰と連絡が取れないとか、流された家が誰のものかなど、お互いの顔が見える関係の中で作業できたことや、がれきの処理を引き受けてくれた自治体のおかげも大きかったと思います。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第14回)
2014年5月29日 11:06東日本大震災
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
第14回は野田村の(株)晴山組 山田 勉さんです。(株)晴山組 山田 勉さん(43歳:震災当時)
《職種》土工(オペレーター等)
《啓開作業時の作業内容》オペレーター
「「やらなければ」というスイッチが入ったのか、無理だとか出来ないとは思わなかったです」―震災発生時は
林道の改良工事現場で作業中でした。監督と相談して、全員が自宅に一度向かうことにしました。
―いつから啓開作業に入りましたか
深夜12時ごろ、久慈市内の自宅に社長が訪ねてきました。安否確認と道路啓開の指示がありました。12日の朝4時半ごろ、前日に作業していた現場に行き、1時間半ほど掛けて野田村の野田橋付近までバックホウを移動しました。
社長からは「野田橋から野田村役場に向かって、とにかく道路を開けるように」との指示でした。森林組合のグラップル付きバックホウと一緒に作業を進めました。―社長から指示を受けた時の思いは
テレビも映らなかったので「野田が無くなった」という言葉を聞いて信じられませんでした。指示を受けても「ピンと来なかった」というのが正直なところです。
―実際に現場を見た時はどうでしたか
国道を超えて町に入った瞬間、この世のものとは思えませんでした。想像を超えていました。
―その現場を見てひるむことはなかったのですか
「やらなければ」というスイッチが入ったのか、無理だとか出来ないとは思わなかったです。「自分がやらなければ」と自分で自分に思わせたのかもしれません。あれこれ考えていれば出来なかったと思います。
―最初のころの作業はどうでしたか
当初2日間は、指示系統が確立していませんでした。ガレキの上にバックホウで上がらなければならない時、行方不明者がいるかもしれないので最も気を使いました。上がっていいものか、悪いものか、当初は自分の判断でしかありませんでした。
その後も行方不明者が全員見つかるまでは、間違って傷つけないように慎重に作業を進めました。
家が流されたばかりで、ガレキとは言えないものでした。持ち主の方から「服を取りたい」、「そのままにして」と言われることもありました。とても思い切って壊すことはできませんでした。―作業の上で気を付けたことは
余震の時にはバックホウを置いて、走って高台に逃げました。サイレンや津波警報の放送が鳴ることもありました。プロパンガス、電線などの危険物にも気を付けて作業をしました。
―他の機関との連携は
最初は地元の消防団と一緒に、3日目くらいからは全国から応援に来ていた消防や警察、自衛隊と一緒に作業を進めました。重機が無いと作業が進まないので、先に行くのが私たちでした。後から消防や自衛隊が入って手作業で捜索をするという流れでした。
久慈の業者から多くの応援が入って来たので、比較的重機が充実していたと思います。1カ月ほどで行方不明者が全員見つかり、その後の作業を早く進めることが出来ました。―終わってみての思いは
最初に現場を見たときは、どうなるのだろうと思いました。「ガレキが全部なくなるのだろうか」と。今、なくなったあとを見ると、あの時のことが薄れて行った気もします。もう少し丁寧にやれば良かったのだろうかと思うこともあります。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/03/04_1755.html">第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/02/21_1742.html">第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第13回)
2014年5月20日 10:11東日本大震災
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
第13回は久慈市の兼田建設(株) 大尻明男さんです。兼田建設(株) 大尻明男さん(47歳:震災当時)
《職種》現場監督
《啓開作業時の作業内容》指示係兼オペレーター
「自分の被災を意識する余裕もなく、作業に集中の毎日」
―震災当日はどこにいらっしゃいましたか。
芦が沢にある国道45号の現場でした。私の家が久慈市内の海沿いにあるので、家族の安否を確認し高台に避難させてから現場に帰りました。そこから現場中止を掛けて、午後4時ごろまでには現場を撤収しました。
私は再度家に戻りましたが、会社の方は、震災直後からバリケードの設置や幹線道路の規制などに当たっていました。これは災害協定ではなく、県の道路維持業務の一環です。―立ち入ったことを聞いて恐縮ですが、ご自宅は無事だったのですか。
家は津波被害を受けていました。その日は親戚の家、翌日からは弟の家に世話になりながら、一週間程度は人力で自宅周辺のがれき撤去をしていました。会社側も私の事情を汲んで、理解してくれました。
―現場の作業に復帰したのは、どの段階からですか。
野田村の新山地区でがれきの撤去作業に、17日から入りました。まずはライフラインを確保するため、道路を通すことが一番の課題でした。
―現場に入られて、どのような思いをもたれましたか。
野田村が壊滅状態にあるという話は聞いていたのですが、やはり現場を見たときは唖然としました。幸いなことに親戚は無事だったのですが、十府ケ浦にある母の実家は被災しました。
もっとも一旦仕事に入ってしまえば、自分や親戚の被災などを意識している余裕はなかったですね。とにかくこの現場を一日も早く片付け、次の現場に入ろうという意識しかなかったと思います。―現場での作業体制は。また作業を進める上で、どのような課題がありましたか。
機械類はショベル、4トンダンプ、バックホウなど。人員は7~8人ぐらいで、オペレーターと作業員、誘導員は兼務という形を取りました。現地は道幅が狭い割には交通量が多かったので、大型車や重機の接触など車両系の事故には細心の注意を払いました。
―野田村の現場が一段落した後は、どの現場に入ったのですか。
久慈市平沢のがれき集積所で指示役と現場作業を担当しました。集積所には未選別のがれきが運ばれてきますから、一体どれぐらいの量があるんだろうと不安になりましたね。
―集積所でのご苦労も多かったのでは。
臭いや粉じんの対策にも苦労しましたが、がれきの中にどんな有害物質が入っているか分からず、常に気を遣いました。また沿岸南部でがれきから火災が発生したという話を聞いて、神経質になりましたね。ガス抜きのパイプを挿すなどの対策を取りました。
―一連の震災対応を通して、改めて思うことはありますか。
昭和58年の久慈大火を体験していることもあり、災害は起きるものという意識を持っていました。私自身は、現場に出ている間は仕事に集中できたのですが、その分家族には負担を掛けたのかなという思いはあります。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/03/04_1755.html">第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/02/21_1742.html">第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第12回)
2014年4月14日 19:54東日本大震災
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
第12回は田野畑村の佐藤建設(株)常務取締役 片座康行さんです。佐藤建設(株)常務取締役 片座康行さん(58歳:震災当時)
《職種》土木工事の積算、現場全体のマネジメント
《啓開作業時の作業内容》指示役
「公共事業を請け負う者の役割として」―震災当日の様子を教えてください。
その時は協会支部の事務所にいて、事務所の建物が倒壊するのではと思うぐらいの激しい揺れでした。揺れが収まった後は道路パトロールのため、会社に寄らずに直接海側に向かいました。
―当日中に海の近くまで入れたのですか。
村役場前から平井賀に下りる村道のS字カーブから、平井賀の集落を津波が襲い家が流されている様子が目に入りました。本当に恐ろしく、心臓が締め付けられるような感覚でした。そこから先は消防団に止められて進めず、現地入りしたのは翌朝早くです。
現地では、横倒しになったダンプやさっぱ船が山の中腹まで打ち上げられていました。バックホウだけでは対応できないと直感してグラップル1台を現地近くまで運びましたが、勝手な判断で動かせないので、指示を仰ぐため役場に出向きました。―その場で、出動依頼が出たのですか。
役場から出動の指示が出たのは数日後です。役場と消防団が行方不明者の捜索をしていたのですが、がれきに阻まれ現地の状況が分からないので、建設会社を呼ぼうということになったようです。
うちの会社が役場に一番近いので、私が全体の連絡調整係を担当しました。島越、平井賀、羅賀など大きく5現場に割り振って、各現場で判断が付かない課題を吸い上げ、役場と協議して伝達する形を取りました。現場では機械1台に対して最低でも消防2人と警察1人が付いて被災者の捜索と道路啓開を同時並行で進めました。―現場に入った時の思いは。
良いも悪いも、怖いも怖くないも、とにかくやるしかないなと。災害時に最前線で動くのが、公共事業を受注する建設業の役割だから、至極当然のことだと受け止めました。
―重機などは確保できたのですか。
グラップルは台数が少なかったですね。林業関係者が村内だけではなく葛巻町からも都合を付けて、最終的に16 台を集めました。ダンプ不足も深刻でしたが、盛岡支部の斡旋で2社から応援をいただき何とか間に合わせることができました。
―田野畑では被災した人たちも作業を手伝ったんですよね。
被災した方にはプラスチックやナイロンの片付けなど軽作業を手伝っていただきました。救援物資の中には作業服やヘルメット、マスクなどがあったので、どの地区から作業に来てくれた人なのか、一目で確認できるようにしました。
―作業を終えて、どのような思いを持ちましたか。
田野畑は、他市町村と比べて作業を比較的早く進めることができました。これは行政と業界、または業界の中などそれぞれのチームワークが良かった結果だと思っています。
チームワークと言えば、田野畑には米軍も入っていましたが、トップの指示でしか動かないんですね。融通が利かない半面、トップの号令一つで迅速に行動するのはさすがだなと思いました。余談ですが、米軍が入る地区にトイレを事前に設置するなど米軍の後方支援をしたのは、私たち建設会社なんですよ。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/03/04_1755.html">第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/02/21_1742.html">第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第11回)
2014年3月31日 17:54東日本大震災
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
第11回は山田町の富山建設(有)代表取締役 富山由光さんです。富山建設(有)代表取締役(専務取締役:当時)富山由光さん(46歳:震災当時)
《職種》経営者
《啓開作業時の作業内容》指示役兼オペレーター
「一刻も早く、道路を開けて応援を呼ぶルートを確保することだけに頭が働いていました」―震災発生直後の対応は
当日午後4時半ごろから国道45号線の通行止めに向かいました。夜11時頃からは山田町役場職員と業者が豊間根公民館に集まり、動ける重機の確保や被害状況などについて情報交換を行いました。町内や横断道路の状況を総合的に判断して、国道45号線を山田病院側と大沢側から啓開することを提案しました。町の中心部に応援が入れるようになると判断したからです。
―啓開作業の状況は
山田病院付近への進入路を確保するため、12日午前0時過ぎから午前3時頃まで林道を除雪しました。午前5時過ぎ、山田病院側と大沢側から国道45号線の啓開作業を始めました。バックホウとホイルローダーで道路上のガレキや土砂を道路両脇に寄せる作業です。
建物上部や高台に避難していた人がいたので、避難用に付けていた車両で緊急搬送しました。ご遺体を発見した際には警察に伝えながらの作業でした。夕方までには作業区間を2車線(一部1.5車線)で確保することが出来ました。
13日からは国道45号線の陸中山田駅から宝来橋の区間を自社3チームで入り、その後、町道の啓開を行いました。―連絡方法は
3チームで中心部に入った際には徒歩で私1人が連絡役として動きました。伝わらずに何かがあったら困る現場なので、ずれがあればその場で修正しました。状況を分かっている人間が1人で直接伝達すれば、情報にずれがないと思います。ルート選定と避難路を考え、作業員には絶対に怪我をさせないよう気を使いました。
―判断が早いと思いますが
日頃の工事を通じて、地元の地理を知っていることは大きいと思います。また、いつか災害は起きるものと日頃から想定したり、他地域で起きた災害について対応を考えたりしていました。
―当初はどの様な気持ちで作業をしていましたか
2ヵ月で会社はつぶれると思っていました。2ヵ月だけは給料を払って、オペレーターと機械で頑張ろうという覚悟でした。
―教訓はありますか
意味のある防災協定を行政と結ぶ必要があると感じました。ソフト的な面は行政が強いですが、ハード的な作業には建設業者が必要です。民間業者が柔軟に対応出来る体制が必要だと思います。
他県から役場に来ていた応援職員には、何かの際には応援に行くと伝えました。人命を考えれば、とにかくスピードです。施工能力があり、現場を歩けて、ルート選定ができるのは地元建設業者であり、そのサポート体制を築いておいて欲しいと伝えました。―振り返ってみて、今の思いは
12日の朝、山田病院の近くまで行きましたが病院には声を掛けませんでした。一刻も早く、道路を開けて応援を呼ぶルートを確保することだけに頭が働いていました。極限の中で非情になれたから、1日で道路を通すことが出来たと言えるかもしれません。いまだに、なぜ病院の人に声を掛けなかったのだろうと思います。どっちが正しかったのか、答えが出ていません。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/03/04_1755.html">第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/02/21_1742.html">第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第10回)
2014年3月21日 11:58東日本大震災
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
第10回は三好建設(株)土木部次長の小川司さんです。三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん(46歳:震災当時)
《職種》現場技術者、現場代理人
《啓開作業時の作業内容》指示役
「地域とのコミュニケ―ションが大事だと感じました」
―震災発生直後の対応は
国交省との災害協定にもとづき、国道45号線金浜地区の閉鎖作業に向かいました。車が混んでいるなどしたため、なかなか現地に辿り着けませんでした。やっと到着した時には既に金浜地区が津波に飲み込まれ、近くの人たちが宮古道路に避難していました。倒壊した家から救助される人の姿を目の当たりにしました。
その状況を見たときは、正直、宮古・三陸は終わったなと思いました。―その後の対応は
震災2日後、県道重茂半島線里地区で、橋梁が流された現場の仮復旧に向かいました。橋の代わりに仮設盛土で道路を通す作業です。山田町側の浜川目も被災していたため、沿線の千鶏、石浜地区が完全に孤立していました。
小さい川でしたが、川に渡した丸太をつたって救援物資を運んでいる状態でした。自衛隊が大勢入っていて、横並びになって物資を手渡しで運んだことがありました。
「病院に早く行きたい」という高齢者の方もいて、一刻も早く通してあげたい気持ちでした。1週間で開通に至り、その後は重茂の里地区でガレキ撤去作業に入りました。―つらかったことはありますか
倒壊した家であっても生活感が残っていて、気を使いながら作業を進めました。「その下に大事なものがあるので見たい」など、家主の方から声を掛けられるので、出来る限り要望に応えました。
被災した同僚は家族を親せきに預け、取引先のリース会社の敷地に3坪ハウスを借りて現場に通っていました。その姿を見て、自分も頑張ろうという強い気持ちが生まれました。―厳しい状況の中でも作業が進められた要因は
地元の方に助けられました。余震が頻繁に来ていた時には避難する場所を教えてもらったり、逃げろと声を掛けられたりしました。漁協のスタンドから優先して燃料の供給を受け、食料が不足している時には炊き出しを譲って頂いたこともありました。まだまだ使えそうな漁具が散乱していましたが、作業優先で撤去するよう指示を頂きました。経路の段取りや地主さんへの声掛けもして頂きました。
「作業をしなければ次に進めないから」と前向きな言葉をいただきました。地元の協力があったからこそ、現場の裁量で作業を進めることが出来たと思っています。
今も重茂で災害復旧工事を行っていますが、顔を知っているので工事を進めやすいです。地域とのコミュニケ―ションが大事だと改めて感じました。―振り返ってみて、どの様な思いがありますか
孤立した地区に通じる仮設道路が開通する日、地域の人たちが待ち構えていました。車が絶え間なく通って、車の中のほっとした表情を見たとき、喜びが込み上げて来ました。自分達の仕事に誇りが持てました。
我々建設業は復興に向けてなくてはならない職業ですが、高齢化が進んでいます。若い人たちが誇りを持って頑張れるような職場にしたいです。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/03/04_1755.html">第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/02/21_1742.html">第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第9回)
2014年3月10日 18:08東日本大震災
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
"『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~"では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
第9回は大崎建設(株)の橘 良友さんです。
大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん(57歳:震災当時)
《職種》測量、現場管理
《啓開作業時の作業内容》指示役
「いまも残る、もやもやとした思い」―震災当日はどこで仕事をしていましたか。
その時間は宮古市磯鶏の現場にいました。地震の後の引き波で水位が50cmぐらいまで下がり、あとはあっという間。警備員さんたちと現場付近の法面に逃げて、最終的には海からの高さ20mぐらいまで避難したと思います。
組立歩道の下請け現場でしたが、あと三日で完成するはずの現場が津波で全部さらわれてしまいました。周りがすべて海になって、ガスと油と泥が混ざった臭いと、倒れた電信柱に引っ張られて電線が震える音がすごかったです。とにかく見ているだけで精一杯でした。―その日のうちに、田野畑まで戻れたのですか。
山側の道路を使って戻りましたが、途中、田老の市街地で火災が発生している様子が見えました。田野畑に着いたのは深夜の2時頃。会社に連絡してから仮眠を取って、はぐれた人を探すために翌朝4時には宮古に向かいました。
磯鶏のまち中では大きな船や家が道路の真ん中をふさぎ、沖の方には無人の船が漂っていました。改めて津波の恐ろしさを実感しました。田老の知人の様子も確認に行ったのですが、田老駅から先は道路がふさがっていて進むことができませんでした。―田野畑の啓開作業に入ったのはいつからですか。
確か3日目ぐらいだったと思います。私が入った現場は島の越、松前沢、島の沢などで、5社が共同で作業を進めました。
全体の指示役は佐藤建設常務の片座康行さんが務め、私は現地で作業をする人への指示や安全管理などを担当しました。役場の中だけで決定できないこともあるので、現地で確認した上で片座さんが役所と協議して現場に伝える形を取りました。―作業を進める上では、被災者への配慮も多かったのでは。
現金や貴重品は役所や警察に、また思い出の写真や記念の品などの大切なものは役場の窓口に届けました。ほかにも箱に入れて道ばたに置くなどして、心当たりがある人が持ち帰れるようにしましたが、いま思えばもっと残せる物があったかもしれません。
知人も多く被災しました。片付け難いという気持ちはありませんでしたが、位牌を探すときには一緒に手伝いました。これは重機というわけにはいきませんから、すべて手作業です。―つらかったことも多かったと思います。
知り合いではないのですが、若い夫婦が建てたばかりの家を解体するときは心が痛みました。被災された方と話すときには、傷付けることがないよう、明るくユーモアを持って話すように心掛けましたが、相手の心情を考えると難しいですよね。
―一連の作業が終わった時、どのような思いを持ちましたか。
私たちがしたことはがれきの片付けであり、ものづくりとは違います。確かに震災直後と比べればきれいになりましたが、心の中には空しさというか、もやもやとした思いが残っています。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/03/04_1755.html">第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/02/21_1742.html">第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第7回)
2014年2月17日 18:43東日本大震災
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
"『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~"では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
第7回は刈屋建設(株)五十嵐 和朗さんです。刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん(61 歳:震災当時)
《職種》現場管理
《啓開作業時の作業内容》指示役、重機オペレーター
「『がれき』と割り切れない人々の暮らした家」―震災直後にはどのような作業に携わったのですか
普段は現場管理を担当していますが、この時は緊急的にオペレーターとして道路啓開に当たりました。担当は市街地で国道106 号と45 号が交差する部分の周辺と、金浜地区です。
―実際の現場に入られたときの思いは
状況が理解できなかったです。想像を超えるというより、考えが及ばない状態。何がどうなっているのか飲み込めませんでした。
市役所の周辺では家屋が内陸側に流されていたので、バックホウで土砂をよける作業が中心でした。土砂で何も見えない中、行方不明者の生存を前提に動くので、万が一にも傷つけたりしないよう、細心の注意を払いながらの作業になります。悪いことばかりが頭をよぎり、一気に片付けるという訳にはいきませんでした。―余震も多かったですが、市街地の中の作業で、避難場所はどのようにしていたのですか
NTTの建物を避難場所に借りていましたので、何かあった場合はそこまで徒歩で移動することを決めていました。
―作業を進める上で苦労したことは
消防関係者の方が、事前に車や建物をチェックしてくれていましたが、車をどける時には中に残された人がいないか、細心の注意を払いました。
被災された方から「この車で家族が逃げたから、中に人がいるはずだ」と訴えられ、確認しても車内には誰もいないんです。それでも軽々しく「誰もいませんよ」とは言えませんから、本当につらかったですね。このようなことは何度もありましたし、実際にご遺体も見つけました。あとはやはり燃料の問題。これは本当に大変でした。―金浜方面にも入られたのですよね
市街地が予想以上に早くめどが付いたので、金浜の現場でも道路啓開に当たったのですが、こちらは本当に家屋が多かったです。道路も分からない状態で、またヘドロもひどかったですね。
家屋を解体しながら進めば良かったのでしょうが、許可がその日は下りませんでしたから、海側の堤防との間を何とか通りながら山田町側から迂回して現場に入りました。人が暮らしていた家がそのままの形で残っていて、とても「がれき」と割り切ることはできませんでした。―休みもなかったと思いますが、疲れはなかったですか
疲れたという感覚はなかったですね。これを使命感と言っていいのかどうかは分かりませんが、気が張っていたのだと思います。幸い食事については会社の方で炊き出しをして、社員が作業ポイントまでおにぎりを毎日届けに来てくれたので、困ることはなかったです。
―がれきが片付いたときに、どのような思いを持ちましたか
「道路は通った。しかし今後は一体どうなるのだろう」という思いでした。この先どのように地域を復活させていくのか心配が先に立ち、安堵感などは持てませんでした。これは今も変わっていません。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/03/04_1755.html">第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/02/21_1742.html">第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第6回)
2014年2月 6日 18:56東日本大震災
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
"『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~"では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
第6回は(株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格 さんです。(株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格 さん(46歳:震災当時)
《職種》経営者
《啓開作業時の作業内容》指示役およびオペレーター
「自分以外の苦しんでいる人のために」―震災発生時はどちらにいたのですか。
その時は社内にいました。水位が上がってきたので、屋根に上って海に飛び込む覚悟もしましたが、船や建物がものすごい勢いで流れてきて、とても飛び込める状況ではありませんでした。
タンクローリーは横転し、プロパンが爆発して火災が発生するなど、現実の世界とは思えない光景が広がっていました。津波が引いた隙を見て、途中泳いだりしながら自宅のある赤崎に帰れたのは深夜になってからです。―翌日から道路啓開に入ったのですか。
後ノ入川上流の治山工事現場が無事だったので、翌朝徒歩で向かい重機を確保しました。バックホウ3台のうち2台は社員が持ち出して自主的に作業に入っており、県道の大船渡綾里三陸線を社員は赤崎小学校の付近から太平洋セメント方面に、私は蛸の浦方面に向かって道路啓開を進めました。
体力的には相当消耗していたのですが、半日で人が往来し車1台がなんとか通れる程度の道を開けることができました。建物や船が道路をふさぎ、学校のグラウンドもめちゃくちゃになっており、作業中はただ悲しかったことを覚えています。―会社としてはどのような動きを。
気仙光陵支援学校付近にダンプや重機を置いている場所があり、そこに避難していた社員が市役所職員から道路啓開への協力を依頼されたそうです。そこから弊社と熊谷技工さんの社員が、一緒に市内のがれき撤去に向かいました。震災直後の主な作業場所は、国道45号沿いの加茂神社から大船渡駅裏までの区間です。
―会社を続けていくことに迷いは無かったのですか。
正直言って、会社の継続は無理だと思っていました。会社を続けることを決意したきっかけの一つは、社員が無事だったこと。そして地元がこのような状況のときにこそ、自分たちの力が必要とされていると考えたことです。最初はお金や将来の心配よりも、ただ無我夢中でしたね。
―震災を経て、社員さんたちに変化は見られましたか。
変な言い方かもしれませんが「真面目になった」という感じでしょうか。被災したり自宅を失った社員も多かったのですが、自分以外の苦しんでいる人のため何かをしなければならないという気持ちが強くなっていると思いますし、それが従来にも増して丁寧な仕事ぶりにもつながっているように見えます。
私たちは以前から地域社会の一員として取り組んできた自負はありますが、今回の震災を経て、自分たちのまちは自分たちが責任を持って復興させるという思いを強くしています。地域住民の方も、これまで以上に親しみを持って接してくれるようになったと感じています。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/03/04_1755.html">第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/02/21_1742.html">第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第5回)
2014年1月17日 15:43東日本大震災
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
"『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~"では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
第5回は(株)青紀土木の萬 寛さんです。(株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん(40歳:震災当時)
《職種》指示役、作業員、重機オペレーター
《啓開作業時の作業内容》作業指揮者、指示役
「こういう職業だったので、私たちがやらなければという気持ちでした」―震災が起きた時の気持ちはどのようなものでしたか
津波を見たときは、もうだめかと思いました。「内陸で仕事をするようになるのでは」とも思いました。最初はどうしようもないという気持ちがありました。
本社が被災して、会社の重機もほとんど流されましたが、「会社をやりますから」と声が掛かりました。会社が動くのが早かったです。正直、半信半疑の気持ちもありましたが、4日目くらいから会社付近の片づけを始めました。―啓開等作業はどのような作業を行いましたか
1週間後に市民文化会館付近に入りました。既に片付いていた幹線道路の枝線を、移動しながらガレキ撤去の作業を行いました。道路が通ったあとは平田方面に移りました。
―作業を始めた時、どの様な思いが湧いてきましたか
こういう職業だったので、私たちがやらなければという気持ちでした。道路が寸断され、移動手段が徒歩しかなかったので一生懸命やるしかないと思いました。その反面、自分の家を含めて生まれ育ったところが津波に流されたので、そこを片付けたい気持ちもありました。
―作業するうえで、注意したことはありますか
毎日、作業場所の状況によって危険予知活動で対策を実施していました。電気が通った電線に接触しないよう、重機が作業員や一般車と接触しないよう気を配りました。
破傷風の心配から釘を踏まないよう、指示もありました。後に鉄板が入った靴が配られました。―余震のときの対応はどうでしたか
朝礼の時に逃げる場所を決めていました。余震で津波注意報が出た時には高台に逃げました。被災した時の経験上、車が渋滞すると逃げるのが大変なので、歩いて逃げました。とにかく高いところに逃げた方が間違いないと思います。被災時に現場にいましたが、現場の人たちを高いところに逃がして、幸いにも全員が無事でした。
―道路の場所はわかりましたか
釜石は建物が比較的残っていましたし、土地勘と記憶でだいたい分かりました。
―食事は取れていましたか
避難所から通っていたので食事はそちらから出ていました。
―疲れはありませんでしたか
疲れを感じないほど、一生懸命になっていました。地元の人たちに喜んでもらえるのが支えになりました。名前を覚えてもらったり、感謝の言葉を掛けられたりすることもありました。
―つらかったことはありますか
自分の家族を探している人に声を掛けられるときがありました。ご遺体が出てくることもありましたので、傷つけないように慎重に作業を進めていました。
―作業を振り返っての思いはありますか
片付いたときには達成感がありました。もし、他でこういうことがあったら、作業に携わりたい気持ちがあります。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/03/04_1755.html">第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/02/21_1742.html">第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第4回)
2014年1月 9日 15:16東日本大震災
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
"『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~"では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
第4回は佐野建設(株)の八重樫充さんです。
佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん(49 歳:震災当時)
《職種》現場主任・オペレーター
《啓開作業時の作業内容》指示役・オペレーター
「震災体験者として 記憶を伝えていく責任も」
―八重樫さんは、震災後どの段階から作業に入られたのですか。
当日は国道283 号で崖崩れが発生し通行止めになっていたため、土砂の撤去作業に当たりました。12 日から市街地のがれき撤去の準備に入り、本格的な現地作業は3~4日後。大渡町の「釜石のぞみ病院」付近から撤去を始め、途中から松原町周辺にも入りました。
―当初は情報伝達の手段も不十分な中、各自が判断を迫られる場面もあったのではないですか。
各自の勝手な判断で事故などを起こさないよう、一度作業を中断し、本部と相談しました。ある程度期間が経てば各自が判断できるようになりましたし、市役所の連絡員の方が建物の所有者と連絡を取りながら対応しました。
―道路なども、がれきに埋まっていたと思いますが。
私たちは地元の人間ですから土地勘もありますし、釜石の場合は鉄筋コンクリート造のビルや鉄橋などが残っていたので、それらを目印に作業を進めました。私の場合は地図を見るのが趣味ということもあり、被災前の道路の状況がある程度は頭の中に入っていたので、道路を探し出すのは難しいとは感じませんでした。
―余震も続きましたが、二次災害防止などに注意したことは。
作業前に避難場所を確認し、余震があった場合には重機・機械類を現場に置いて高台に避難するなどのルールを決めていました。重機に乗っていると小さい地震には気付き難いので、ラジオや携帯で災害情報をチェックし、実際に避難したこともあります。
3月末か4月の初めに、かなり大きな余震があり、一帯で作業している人や地元の人たちみんなで三陸鉄道の鉄橋の上まで避難しました。また建物を解体している際の余震で建物が崩れ、怖い思いをしたこともあります。解体作業中に屋根の瓦が落ちて重機のガラスを壊したり、建物が急に倒壊するケースもありました。
―精神的にも肉体的にも大変な時期が続いたのでは。
最初はとにかく気が張っていたので、精神的な疲れと緊張が先に立っていました。体の疲れはあまり感じませんでしたが、5月の連休時期を過ぎた辺りからは、作業に慣れてきたためか、体の疲れが一気に出てきました。
崩れた建物の中からご遺体を見つけた時も非常につらかったのですが、ご遺族の方からは感謝の言葉をかけていただきました。
消防団の方で、周りの人を避難誘導させている間に犠牲になられたそうです。ご遺族の方の中には、つらい記憶を忘れてしまいたいという思いがあるのかもしれません。しかし私自身は震災を体験した一人として、記憶の一部でも後世に伝えていく責任があるのかなと思っています。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第3回)
2013年12月20日 09:19東日本大震災
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
"『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~"では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
第3回は新光建設(株)工事課長 中村 明 さんです。
新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明 さん(51 歳:震災当時)
《職種》現場代理人統括
《啓開作業時の作業内容》指示役および全体の世話役
「家族が無事だったからこそ頑張らないと」
―震災発生直後の状況は。
3月11日は現場を担当していた奥州市胆沢区に出張中でした。地震の直後から4時頃までは携帯電話やメールがある程度使えたのですが、「釜石が大変なことになっている」という以上の状況は把握できませんでした。
当日中に釜石に帰りたかったのですが、道路が寸断されて通行できないとの情報があり、旧仙人道路経由で釜石に入ったのは3日後の14 日。支部事務所の先にある五ノ橋から先は自動車が通行止めでしたから、近くの空き地に車を止めさせてもらい、会社のある平田まで歩いて向かいました。
写真提供 新光建設(株)
―釜石入り後は、どのような業務に当たったのですか。
私は主に災害対策本部で全体の世話役を担当しました。お互いの状況把握と県から情報提供や指示の円滑な伝達のため、しっかりとした指示系統が必要でしたので、まずは各社の保有機械や人員の確認・分析をした上で、4月末には支部長をトップにする組織を立ち上げました。
クラスや企業ごとにそれぞれ人や機械の状況は異なるため、私を含み各地区から選任した世話役4人が全体的な課題の分析に当たり、各ブロックではブロック長が統括する形を取りました。私自身は、警察や県との打ち合わせがメインで、問題が出た場合に即時連絡できるよう、各ブロック長に加えて現場連絡員を配置しました。
―指示を出す際には、どのような点に留意されましたか。
行方不明者がまだ多くいたので、万が一にもご遺体を傷つけることがないよう、慎重に作業を進めてほしいということ。また作業場所の周辺にいる被災者の方に絶対に怪我をさせないよう注意しました。
お年寄りが重い荷物を持ちがれきの上を歩くような状況でしたから、道路がなければ食料や物資が避難所まで届けられません。とにかく一刻でも早く道路を啓開し、最低でも車1台分が通過できるルートを確保しようというのが一番でした。
―ご家族は心配されたのでは。
私の家族は全員無事だったので、安心して仕事に専念することができました。家族が行方不明という人が大勢いる中、家族が無事ということはそれだけで幸せなこと。だからこそ自分が頑張らないといけないと思っていました。
それでも避難所を回って行方不明の家族を探している人や、倒壊した家の前で泣いている人を見るのは、つらかったですね。私たちには道路を啓開するという明快な目標があったのですが、被災者の方の中には、魂が抜けたように町をさまよい歩いている人もいました。作業員の中には同じような境遇の人もおり、だからこそ「俺たちが何とかしなければならないな」という思いが強かったと思います。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第2回)
2013年12月 4日 18:07東日本大震災
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
"『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~"では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
第2回は(株)中澤組の霜山隆さんです。
(株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん(56歳:震災当時)
≪職種≫重機オペレーター、大型運転手
≪啓開等作業時の作業内容≫重機オペレーター
「こういう時こそ、土木業者の力を発揮して頑張らなければと思いました」
―震災発生直後にどのような業務に当たりましたか
会社が被災し、重機や車両も流されました。震災翌日から啓開作業に出ていた熊谷技工さんから「オペレーターが足りない」という話があり、13日から応援に入りました。国道45号線、県道大船渡綾里三陸線、その後には枝道に入りました。とにかく車を通すことを最優先にしました。
―作業に行く時の思いを教えてください
震災前は衰退の一途でしたが、こういう時こそ、土木業者の力を発揮して頑張らなければと思いました。幸いなことに家が流されなかった私が、最初に行きました。家族からは「頑張って下さい」と励まされました。「今までお世話になった分、みんなに返しなさい」と親には言われました。家族のため、山水を汲んで食料を準備してから現場に出ました。息子たちも歩いて買い出しに行ってくれました。家族の支えが大きかったです。
―作業時に気を付けたことはありますか
ガレキの下に知り合いがいたらと思うと、重機で上を歩くことはできなかったです。最初は生存者の捜索が行われていましたので、かなり慎重に作業を進めました。
一軒の家から3人のご遺体が出てきたことがありました。普段から知っている人たちでした。収容時の様子を聞かせて欲しいとご家族から頼まれ、感謝の言葉を頂きました。
―つらかったことはありますか
「婆ちゃんがコタツで死んでいるから出してくれ」と言われましたが、道路が優先だったので出来る範囲でしか手伝えずに辛かったです。他にも家族を探す人から、多くの声を掛けられました。
また、人間の良い面を沢山見ましたが、人間の嫌な面も随分見ました。自分の家ではないところをウロウロしている人や重機で家をよけたときに寄って来る人たちもいました。
―困ったことはありましたか
余震で津波警報が出る時が頻繁にあり、サイレンが聞こえるように常に窓を開けていました。連絡方法がなかったので、日頃から無線機を持っていた方が良いと思いました。
食料がなく、一口程のおにぎりが配られました。人数分が足りない時、市役所の若い職員が「私たちは見ているだけですから、重機の方が食べてください」と言われました。作業についても一生懸命勉強していました。市役所の若い人の態度を見て、これから先、希望が持てると思いました。
―これまでを振り返っての教訓や思いはありますか
仕事で行った山古志での経験が生かされました。会社の専務がガレキの処理方法について提案しました。岸壁を仮置き場にしたことでガレキ処理が比較的スムーズに進みました。
建設関係の人たちはガレキ処理から休みなく一生懸命働いてきました。みんな疲労がたまっていても復興のために頑張っています。若い人が足りないので、魅力ある職業になるよう皆さんから応援して欲しいです。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/03/04_1755.html">第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/02/21_1742.html">第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第1回)
2013年11月25日 18:46東日本大震災
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
"『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~"では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
第1回は大船渡支部の(有)熊谷技工 専務取締役 熊谷芳男さんです。
(有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん(47歳:震災当時)
≪職種≫現場管理、重機オペレーター、現場作業
≪啓開等作業時の作業内容≫指示役、重機オペレーター
「地元の人間が働いている市役所と、日頃からのコミュニケーションが大切だと思います」
―震災発生直後にどのような業務に当たりましたか
従業員の安否は当日午後10時頃までに確認しました。その後、午前0時頃に市役所の方が私の自宅にきて、「朝6時から道路のガレキ撤去に出てほしい」と言われました。午前2時頃から、被災していない従業員の家に直接行って、朝から作業に出て欲しいと伝えました。午前3時頃からは山の方に置いていたバックホウの移動を始めました。
会社は被災しましたが、残っていた重機と、被災を免れた従業員と私の7人体制で朝から啓開作業を始めました。他社を含め12、3人で国道45号線の茶屋前から野野田付近までの作業に当たりました。その後、県道などに移動して1カ月くらいは連日作業を行いました。
―どの様なことに注意して作業を行いましたか
余震がありましたので、常に逃げる方向を確認しながら慎重に作業を行いました。1日目、2日目は余震のたびに重機を退避させました。市役所職員の退避命令に従いましたので、動きやすかったと思います。
津波の波打ち際付近には、ガレキの下に数人のご遺体がありました。特に家や車両を撤去する際には十分注意をして慎重に作業を行いました。ご遺体を見つけた際には、作業を止めて警察が確認します。作業には時間を要しましたが、2日間で1車線だけでも車両が通れるようにしました。
―どの様な思いで作業を行いましたか
必死でした。とにかくガレキをよけて車両を通すことだけを考えていました。「子供がいるので高田方面に行きたい」、「末崎方面に物資を運びたい」という声を聞きましたので、一刻も早く通してあげたかったです。
―困ったこと、辛かったことはありますか
当初、従業員の朝食や昼食のことは全く頭にありませんでした。金野支部長にお願いして、炊き出しからおにぎりを持ってきてもらいました。
我々は現場に出ているので、炊き出しや支援物資の受け取りに行けませんでした。家に残した女性と子供だけでは、貰いに行くことは困難でした。従業員には大変な迷惑を掛けました。お昼に配ったおにぎりを家族のために持ち帰る従業員もいました。
被災した会社には、1、2週間は行けずに気になっていました。女性事務員がガレキの中を会社まで歩いて行き、書類等を持ってきた際には大変感動しました。
家を流された従業員や親せきの手伝いに行けなかったことも辛い経験でした。
―作業を振り返って教訓として伝えたいことはありますか
日頃から、維持工事などで市役所とコミュニケーションが取れていました。その人のためなら動けるというお互いの信頼関係がありました。人と人とのつながり、地元の人間が働いている市役所と日頃からのコミュニケーションが大切だと思います。
道路が2日目で開通した時、住民の表情が変わっていました。道路の大切さを感じ、本当に人の役に立ったということを実感しました。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/03/04_1755.html">第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/02/21_1742.html">第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(9) ―7月3日 陸前高田市にて―
2013年7月 9日 10:24東日本大震災
東日本大震災から2 年が経過した今、復興はいまだ道半ばです。復旧・復興事業がようやく形を見せ始めたの現状です。
一方、都市部などでは震災の記憶が風化しつつあります。今だからこそ、被災地の「いま」をお伝えします。
日刊岩手建設工業新聞社の協力により、数回にわたり不定期に掲載します。
第9回は7月3日から陸前高田市で始まった奇跡の一本松のライトアップです。「奇跡の一本松」のライトアップが7月3日から始まりました。時間は午後6時半から9時半まで。期間は約1年間の予定です。
幹を照らす電球色の光が「鎮魂」、葉の部分に当てる白い光が「希望」をイメージしています。加えて、科学技術と自然との共生も意識した光のデザインになっているようです。
設置は、県電気工事業工業組合青年部がボランティアで担当。建設産業界の仲間が復興のシンボルを明るく照らしてくれています。
被災地の「いま」を伝える写真を募集しております。
協力 日刊岩手建設工業新聞社
バックナンバー震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(8) ―6月17日 野田村にて―
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(7) ―5月29日 田野畑村にて―
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(6) ―5月2日 陸前高田市にて―
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(5) ―4月30日 釜石市にて―
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(4) ―5月2日 宮古市田老にて―
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(3) ―4月22日 大槌町にて―
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(8) ―6月17日 野田村にて―
2013年6月18日 09:20東日本大震災
東日本大震災から2 年が経過した今、復興はいまだ道半ばです。復旧・復興事業がようやく形を見せ始めたの現状です。
一方、都市部などでは震災の記憶が風化しつつあります。今だからこそ、被災地の「いま」をお伝えします。
日刊岩手建設工業新聞社の協力により、数回にわたり不定期に掲載します。
第8回は野田村です。
災害廃棄物処理現場災害廃棄物の破砕・選別プラント。野田村の災害廃棄物の処理率は4月末現在、31.6%です。
野田漁港野田漁港の防波堤工事。この日はやませの影響で霧の濃い一日でした。
陸中野田駅三陸鉄道北リアス線「陸中野田駅」。2番線を宮古側に向かって撮影。残念ながら列車は出発した後でした。NHK連続テレビ小説「あまちゃん」 の舞台となった久慈から二駅目の駅です。
愛宕神社野田村市街地のシンボル。愛宕神社の赤い鳥居です。震災直後はここまで災害廃棄物が流れてきました。
野田村の街中旧市街地の現在の様子。陸前高田市や大槌町などと比べて報道される機会の少ない野田村ですが、中心市街地は壊滅的な被害を受けています。雑草が生え、街があった面影が分からなくなってきています。
村民プールのオープンの張り紙村民プールのオープンのお知らせ。夏がそこまで来ています。
被災地の「いま」を伝える写真を募集しております。
協力 日刊岩手建設工業新聞社
バックナンバー
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(7) ―5月29日 田野畑村にて―
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(6) ―5月2日 陸前高田市にて―
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(5) ―4月30日 釜石市にて―
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(4) ―5月2日 宮古市田老にて―
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(3) ―4月22日 大槌町にて―
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(7) ―5月29日 田野畑村にて―
2013年5月30日 14:44東日本大震災
東日本大震災から2 年が経過した今、復興はいまだ道半ばです。復旧・復興事業がようやく形を見せ始めたの現状です。
一方、都市部などでは震災の記憶が風化しつつあります。今だからこそ、被災地の「いま」をお伝えします。
日刊岩手建設工業新聞社の協力により、数回にわたり不定期に掲載します。
第7回は田野畑村です。
三陸鉄道北リアス線では、復旧工事が進められています。現在運休中の小本 - 田野畑間は平成26年4月に運転再開を予定しています。
高台移転(田野畑地区)の造成工事。比較的県内でも早いほうでしょうか。
2012年11月に再開した「ホテル羅賀荘」。田野畑村の復興に向けた推進役として期待されています。
明戸海岸の防潮堤。復旧工事は今年7月ごろの発注予定とのこと。
29日から稼働開始した三陸アスコン共同企業体のアスファルトプラント。円滑な道路工事への力強い味方です。
被災地の「いま」を伝える写真を募集しております。
協力 日刊岩手建設工業新聞社
バックナンバー
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(6) ―5月2日 陸前高田市にて―震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(5) ―4月30日 釜石市にて―
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(4) ―5月2日 宮古市田老にて―
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(3) ―4月22日 大槌町にて―
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(6) ―5月2日 陸前高田市にて―
2013年5月17日 16:44東日本大震災
東日本大震災から2 年が経過した今、復興はいまだ道半ばです。復旧・復興事業がようやく形を見せ始めたの現状です。
一方、都市部などでは震災の記憶が風化しつつあります。今だからこそ、被災地の「いま」をお伝えします。
日刊岩手建設工業新聞社の協力により、数回にわたり不定期に掲載します。
第6回は陸前高田市です。
市街地に残る数少ない建物です。屋上の塔屋に「津波到達水位」の文字が。
陸前高田駅前通りがあった場所を駅側から撮影。道路の両脇に商店が立ち並ぶ商店街でしたが何も残っていません。
「奇跡の一本松」保存工事の様子。撮影時から2週間ほど経過しており、現地の様子はかなり変わっているのでしょうか。背後のユースホステルが一本松を守る防波堤代わりになったとも言われています。
被災地の「いま」を伝える写真を募集しております。
協力 日刊岩手建設工業新聞社
バックナンバー震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(5) ―4月30日 釜石市にて―
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(4) ―5月2日 宮古市田老にて―
震災から2年 被災地の「いま」を訪ねます(3) ―4月22日 大槌町にて―
月別アーカイブ
- 2025年
- 2024年
- 2023年
- 2022年
- 2021年
- 2020年
- 2019年
- 2018年
- 2017年
- 2016年
- 2015年
- 2014年
- 2013年
- 2012年
- 2011年
- 2010年
- 2009年
- 2008年
- 2007年
- 2006年