東日本大震災 一覧

 一般社団法人岩手県建設業協会では、これまで平成24年と平成25年に東日本大震災の記録誌を発刊致しました。本年3月に震災から5年を迎えますが、同月に3刊目の記録誌発刊を予定しております。記録誌では建設業の声だけではなく、地域の方の声を掲載します。復興に向けて頑張っている地域の姿や思いを各方面にお伝えすることを目指しています。

 発刊に向けて編集を進めている中から、地域の方の声を先行してブログで紹介致します。最後にインタビューの動画もご覧下さい。

 インタビュー記事の編集は日刊岩手建設工業新聞社です。


浜の歴史に感謝し、未来に海を紡ぐ ―岩手の漁業全体を盛り上げる「恋し浜ブランド」
  綾里漁業協同組合 小石浜養殖組合 ホタテ部長 佐々木淳さん

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「食べる側の人との関わりがいかに大切か。震災を通して改めて実感しましたね」

 「恋し浜」の名で全国に知られ、築地で最高値を付けたこともあるホタテを、東日本大震災は容赦なく奪い去った。大小合わせて50隻以上あった船も、残ったのは陸に打ち上げられた小舟を含む4隻のみ。明治と昭和の津波で被害を免れた家屋も流され、川沿いの作業場は10棟全てが流出した。

 「何年かかっても構わないから復活してほしい」。消費者や取引先から届く温かい声。ボランティアで現地を訪れていたオール・ハンズ・アジア代表理事の北濱哲さんが呼び掛けた寄附金によって、荷さばき施設も復旧した。「食べる側の人が私たちを心配し、元気づけたいという思いを感じることができました」。佐々木さんは振り返る。

 震災後、漁協の素早い対応もあり、11年12月に養殖施設の約7割が回復した。北海道から半成貝を調達して養殖を再開し、12年から出荷をスタート。14年以降は稚貝から育てた2年貝の出荷を再開。一人当たりの出荷量は震災前の水準にまで復活した。

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 15年からは、生産者と消費者とつなぐ新しい動きも始まった。海中がれき撤去のボランティアを行っていたダイバーの佐藤寛志さんが中心となり、三陸鉄道恋し浜駅前に「恋し浜ホタテデッキ」を8月オープン。この土地を訪れた人たちとの交流スペースとして、小石浜の土地や漁業のファンを増やし、新たな需要創出にも結びついている。

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 また、9月には「綾里漁協食べる通信」が創刊。創刊のきっかけは、「東北食べる通信」で紹介された恋し浜ホタテ。漁協職員が編集長を務め、綾里地区にある6漁港の生産者らにスポットを当て、漁業の魅力を発信しながら、食べる側と直接つながるツールとして年4回の発行を目指している。佐々木さんも「綾里がモデルケースとなり、各地の浜で交流人口が増え、活気づくきっかけになれば」と期待を込める。

 「自分たちだけが良ければという考えでは続きません」。佐々木さんは常に岩手全体のブランド化、活性化を視界に入れる。「恋し浜ホタテがブランド化すれば、恋し浜のある岩手が付加価値になり、岩手には美味しいものがまだまだ沢山あることを知ってもらえます。だから私たちは、狭い世界の中での足の引っ張り合いはしない。他人を蹴落とすのではなく、お互いが高みを目指し岩手全体が盛り上がってこそ、初めて自分たちに返ってくると思っています」

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 恋し浜ブランドの基盤をつくったのは、先代の漁業者たち。漁場の能力を把握した上で数量制限に取り組み、量ではなく質を追求したことが、現在の姿に結実している。

 佐々木さんは、この連綿と続いてきた浜の歴史に感謝しながら、次世代につないでいくことの責任を訴える。「食材のファンになってくれた人が、その土地のファン、漁業のファンになってくれる。そこから交流が生まれ、漁業を志す人や将来的に移住してくれる人が出てくるなど、新しい化学変化が起きる可能性だってある。それが海を未来へと紡いでいくことになると思います」

おわり


インタビューの動画です。

小石浜養殖組合ホタテ部長 佐々木 淳氏インタビュー(2016.1.7小石浜漁港にて)
聞き手 日刊岩手建設工業新聞社
撮影・編集 一般社団法人岩手県建設業協会

東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集

 東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。

 地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。

 『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。

 第38回(最終回)は(株)山千(大槌町) 山崎 真さんです。

(株)山千 山崎 真さん(40 歳:震災当時)
《職種》代表取締役
《啓開作業時の作業内容》指示役・ダンプ運転手

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「残った人たちが力を合わせて」

―震災当日はどこにいらっしゃったのですか

 弊社はブロック製造もしているので、当日はJIS関係の講習で仙台市にいました。信号は止まっていましたが、仙台市内の渋滞はさほどではなかったです。ラジオの情報は入ってくるのですが、肝心の大槌の状況が全く分からず、焦りだけが大きくなりました。

 盛岡市経由で土坂峠を抜けて大槌に向かう途中、中学生ぐらいの男の子を金沢付近で拾ったんですね。その子が「町が壊滅状態だ」と言っていたのですが、その時は意味を理解でませんでした。会社に戻ると社員が避難してきており、やはり「町の中には入れない」と。町の中は真っ暗なのに火の海で、ガスボンベが破裂する音が聞こえていました。とにかく社員や家族が心配だったのですが、どうすることもできず心配しながら夜を明かしました。

 

―翌日から何か会社として対応できたのですか

 家族を探しながら町の状況がつかめてきたこと、社員が家族を連れて会社に避難していたことなど断片的には覚えていますが、実はこの前後の記憶が曖昧で・・・。うちの会社は被災区域の外だったので、会社の車で水を運んだり、発電機の修理をしたりとできる限りの手伝いはしていました。それが12日か13日頃だったと思います。

 

―現地の道路啓開に入ったのはいつからですか

 確か14日か15日ぐらいだったと記憶しています。先行して動いている会社もあり、混沌としていたというイメージだけは残っているのですが。道路啓開の作業では、最初は重機も少なかったので重機の手元とダンプの運転に当たりました。本格的に重機が入ってからは免許を持っている社員がオペレーターとして現地に入り、私と残った社員で燃料の確保と供給を担当しました。

 最初は被災した市街地のスタンドに協力してもらいましたが、タンクの半分は海水が混ざっており、使い物になりませんでした。ドラム缶に手動で移し、トラックで運搬して手動で重機に給油するのはやはり大変でしたね。

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―皆さん休みもなかなか取れなかったようですが

 はじめの頃は会社に寝泊まりしていましたね。支援物資が届くまでは布団もなかったので、古い吸出し防止材にくるまって寒さをしのぐという感じでした。それでも社員が必死でがんばる姿に、私も励まされました。

 社員も一人ひとりに家族があり、津波の被害も受けています。それでも被災現場で不満も言わずに働いてくれました。それは決して格好の良いものではないのでしょうが、一生懸命働く姿勢には本当に心を打たれました。

 

―聞きづらいのですが、山崎さんはご家族が犠牲になられたと伺いました

 母親と姪が亡くなっています。上手く言えないのですが、自宅が流された時には、何もかも無くなったと絶望的な気持ちになりました。だから本当に立派なことは何も言えないんですよ。それでも地元の建設業の一員として、これからも町の復興に関わっていきたい。一人の力は限られていますが、社員や生き残った家族と力を合わせ、町の復興に向けて歩みを進めていくしかないと思っています。

 


(おわり)


『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん



『記録誌第3号「記憶を思いに 未来につなげる」~震災復興5年の記録 これからも地域とともに~』に収録しております。

東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集

東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。

地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。

『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認す るとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。

第37回は(株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さんです。

(株)藤原組 藤原 士さん(33歳:震災当時)
《職種》専務取締役
《啓開作業時の作業内容》指示役・オペレーター

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「境遇の違いを自覚しながら」

―震災当日の様子は

当日は小鎚にある県の林道開設工事の現場にいました。学校にいる子供たちが心配で市街地に向かったのですが、すでに津波が来た後で、入ることができませんでした。

その晩は社員も下請の人たちも帰宅できなかったので、私の自宅で15人ほどが夜を明かしました。現場の立ち会いに来ていた県の職員も帰ることができず、私の家に泊まって もらいました。

 

―翌日からすぐに応急対応に動かれたのですか

市街地の水は引いていたのですが、何から手を付ければよいのか、皆目見当が付かないという感じでした。社員も一旦は帰したのですが、自分たちに何ができるか、自宅が被災して いない社員と一緒に考え、私たちの独断で山側のルートを確保することにしました。

具体的には小鎚から栗林に抜けて笛吹峠に向かう五本松林道と、金沢方面に向かう平田沢林道の2路線を除雪しました。途中で崩落していた個所の修復も行い、道路が通れる ようになったのは14日頃だったと思います。

藤原組 提供

―市街地の対応にはいつから入ったのですか

岩間建設工業社長の岩間公人さん(当時取締役)が会社に来て、町内の会社が動き出すということで、声をかけてくれました。松村建設さんや自衛隊が先行して動いており、私たち は倒壊した送電線の撤去や地盤沈下した道路のかさ上げ作業を行いました。

 

―燃料や食事の確保も大変だったと思います

燃料は町内のガソリンスタンドを見つけて、許可をいただいた上で海水が入っていないタンクから油を使わせてもらいました。ほかにも砕石場から都合を付けてもらったり、行政に 協力していただきながら、なんとか作業をストップせずに済みました。

食事は炊き出しのおにぎりを一つか二つでしたが、空腹感や疲労感はなかったですね。休み無しで1カ月半は働き通しだったと思います。初めて休みをもらったときには、倒 れ込んで寝てしまいました。

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―町全体が被災し、つらいことも多かったと思いますが

何がつらいと聞かれれば、すべてつらいことだけです。私は1カ月で5人のご遺体を見つけましたが、自分でも意外なほど動揺することはなく、むしろ「見つかってよかった」とい う気持ちが強かったです。ただしご遺体を前に家族の方が悲しんでいる姿を見るのはつらかったですね。

私は会社も自宅も家族も無事でしたから、被災された人たちの気持ちを理解しているつもりでも、本当の部分では分からないのだと思います。だからこそ境遇の違いを自覚し 、その上で作業に当たるよう心掛けていました。

藤原組 提供

―震災を振り返っての教訓は

なんと言っても、物よりも命です。物は買い換えることができても命は取り返しが付きませんから、最後は体一つで逃げるしかないんです。そのためにも避難路と防災無線の整備は 欠かせないと思います。

 

―藤原さんは若いですから、大槌町の将来について考えることも多いのではないですか

町を出ていく人も多いですし、先々が見通せませんからね。みんな今を生きるのに精一杯で...。私たちも過去に経験したことがないような仕事に、試行錯誤の毎日です。

 


(おわり)


『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん



『記録誌第3号「記憶を思いに 未来につなげる」~震災復興5年の記録 これからも地域とともに~』に収録しております。

東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集

 東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。

 地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。

 『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。

 第36回は松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さんです。

松村建設(株)松村康文さん(47歳:震災当時)
《職種》土木部長
《啓開作業時の作業内容》オペレーター

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「1人でも2人でも見つけてあげたい」

―震災の日のことを聞かせてください

 地震は会社にいる時でした。吉里吉里にある自宅に一度戻り、船を見るために海に向かいました。波が渦を巻いていて、「津波が来るぞ」と直感しました。浪板にある親せきのところに寄り、戻ってみると自宅を含め、町全体が波に飲みこまれている状態でした。

 次の日、生存者がいるかもしれないと思い、町の中を歩いて回りました。その後、地域の消防団から頼まれ、遺体安置所に犠牲者を運ぶ手伝いを2日ほどやっていました。

 

―大槌は火災の被害もありましたね

 吉里吉里は火災がなかったのですが、大槌方面に炎の明りが見え、プロパンが爆発するパンパンという音が聞こえたのを覚えています。あのような惨状の中、社長も会社の再生を熟慮したと思います。社長の態度を見て、「やるんだな、始めるんだな」というものを感じました。

 

―ガレキ撤去の作業に入ったのは

 1週間目くらいに町内の会社で連合を組織しました。最初は6社で10数人だったと思います。当社を拠点にして動くようになり、徐々に役場や自衛隊との連携も図っていきました。

 町長をはじめ、多くの役場の職員が亡くなりました。役場が機能するまでに時間がかかりましたから、自衛隊にかなり助けられたと思います。

 

―何もない状況での作業だったと思います

 人手がない、機械がない、燃料がない、食べ物がない状況から始まりました。燃料は自社及び町内のガソリンスタンドから協力を得て、(株)山千さんが配給を行いました。食べ物は支援物資や炊き出しのおにぎりなどを役場から支給してもらいました。

 携帯が通じませんから、それぞれの会社の社長や専務などが直接回っていました。連絡事項を伝えながら、必要なものを聞いたり、食べ物を配ったりしていました。

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―松村さんの作業内容は

 始めは道路のガレキ撤去です。その後1カ月、重機での遺体捜索を自衛隊の人と一緒に行いました。ガレキの上に重機で乗ってご遺体を傷付けることがないよう、慎重に作業を進めました。

 

―精神的にも厳しい作業だったのでは

 最初はきついものがありました。そのうち、1人でも2人でも見つけてあげたいという気持ちが強くなりました。手作業で家族や知人を探している人もいました。「見つけて欲しい」、「この辺りを探して欲しい」と声を掛けられたこともあります。

 私自身は6名のご遺体を見つけましたが、全員が五体満足ではありません。損傷が激しい方などは身元が分かっていれば良いのですが...。今でも見つからない人が結構いますからね。

 

―自宅が被災している中での作業は大変だったと思います

 しばらく休めませんでしたので、私自身は自宅の片づけは何もできませんでした。兄弟や家族に頼りっぱなしで、負担を掛けてしまいました。多くの人が同じ様な状況だったと思います。

 

―今回の震災で教訓はありますか

 これまで大きな津波の経験がなく、地震の際の対応を会社で決めていませんでした。震災では6人の同僚を失いました。河口近くにあった会社に戻って亡くなった者もいます。今は、地震が起きたら逃げることと、逃げたあとの集合場所を決めています。

 


(おわり)


『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん



『記録誌第3号「記憶を思いに 未来につなげる」~震災復興5年の記録 これからも地域とともに~』に収録しております。

東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集

 東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まって い ました。

 地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政 や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。

 『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。

 第35回は(株)共立土木(陸前高田市)鈴木正幸さんです。

(株)共立土木 鈴木正幸さん(51歳:震災当時)
《職種》工事課長
《啓開作業時の作業内容》技術者・オペレーター


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「その場所で暮らす人の気持ちになって」

―震災直後から、陸前高田市の道路啓開に当たられていたのですか

 いえ。私は自宅が大船渡市にあり、当日も大船渡市内の現場にいたものですから、当初は自宅待機でした。道路は津波で寸断され携帯も通じず、社長も社員も誰一人安否が分から なかったんです。また、息子夫婦と生後1カ月の孫、妊娠中の娘が私の自宅に避難してきたので、まずは身近な小さい命を守ることを最優先に行動していました。

 

―会社に合流したのはいつからですか

 3月中旬、会社の近くにある普門寺というお寺に全社員が集まり、社長から会社として道路啓開に当たるという話を聞きました。しかしその時は車のガソリンも心許なく、その日も なんとか陸前高田までたどり着いた状態でしたので、私を含め大船渡市から通勤している3人が合流したのは会社が車を手配してくれた3月下旬からでした。

 

―現地ではどのような作業を

 重機オペレーターとして広田の集積場と周辺の道路に1カ月半ほど、その後に矢作川、川原川、浜田川の3河川のがれき撤去に3カ月ほど当たりました。どこを見渡しても一面がれきの山で、その惨状に改めて驚きましたが、少しでも地域の人たちの力になることができればという気持ちも強くなりました。

 

―河川のがれき撤去はどのように

 重機2台でがれきを集積し、グラップルでキャリアダンプに積み込むという段取りで進めました。7㌧のクローラーダンプは場所を選ばずに入っていけますが、川沿いは地盤が軟弱ですし、川を越えての対岸の撤去や泥の中のがれき撤去には時間がかかりました。

 また、津波で折れた松の木が河川の中に相当数流れ込んでいました。どの松にも砂がこびりついていたので、チェーンソーの刃がすぐに摩耗して使い物にならなくなるんです よ。絶えずやすりで研いでいましたし、買い換えも頻繁でした。

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―作業をする上での注意点は

 がれき撤去と言っても、二つと同じ場所、同じ作業はありませんから、その状況に応じた臨機応変の対応が必要と感じました。また、単純にがれきを撤去するのではなく、集積場 に運んだ後の分別など先々のことを考えながら作業することが大事です。

 また、地域住民の方が不便に思っていること、お願いごとなどがあれば、すぐに対応するよう心掛けていました。地元の人が通行しづらい場所のがれき撤去を行いましたし、 道路が崩れている場所には角材を活用して、簡単な橋を通したりもしました。

 

―建設業だからこそできる手助けですね

 がれきの撤去は大事な仕事ですが、地域の中で困っている人がいれば、不便を解消して少しでも暮らしやすい状況を整えることも、私たちの役割だと思うんですよ。私自身、この場所で暮らしていたならばどう考えるかを第一に考えて動いていましたね。

 


(おわり)


『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん



『記録誌第3号「記憶を思いに 未来につなげる」~震災復興5年の記録 これからも地域とともに~』に収録しております。

東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集

 東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。

 地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。

 『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認す るとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。

 第34回は(株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さんです。

(株)かねまつ建設 菊池秀明さん(42歳:震災当時)
《職種》取締役専務
《啓開作業時の作業内容》オペレーター


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「重機の力が必要だと改めて感じました」

―当日の状況を教えてください

 陸前高田市内でも内陸側の横田町で作業中でした。防災無線からは、「津波が高田松原の防波堤を超えたので避難してください」と聞こえてきました。作業を中止して、会社に戻ることにしました。高田町から国道340号線を市内に向かうと、気仙川をガレキが遡り、低い場所では道路上にもガレキがありました。それでも何が起きているのかが分からない状態でしたね。

 竹駒まで来ると国道は通れません。裏道や林道、農免道などを通り、会社までたどり着きました。会社は無事で、辺りを見回すと見慣れた風景は何もなくなっています。母親と妻がいる家に向かうと、寸前で被害を免れていました。その夜は避難所になった高田第一中学校で過ごしました。高田松原近くで部活をしていたはずの息子は、翌日、別の避難所にいることを知って再会できました。

 

―ガレキ撤去作業はいつからはじめましたか

 12日の夜、市役所の担当者から建設業関係者に声が掛かりました。13日は、重機や作業員及び現場の状況把握などを行いました。14日の朝から、重機オペレーターとして作業を開始しました。

 

―どこから作業を始めたのですか

 市の中心部に向かう国道340号線、高田第一中学校の入り口付近からです。流されてきたガレキが10m程の高さに積みあがっていました。ガレキの堆積で先が見えませんので、どこまで続くのかが不安でした。上から確認したところ、20m先までの堆積でした。その先はガレキが少なかったのですが、高田松原の松が沢山あったことを記憶しています。

 最初は、ハサミやフォークといったガレキをつかむ機械がなかったので、バケットで横によけるという作業です。とにかく車が通れるようにしました。

 その後、孤立している広田地区に道路をつなげるため、小友地区の啓開を行いました。始めのころは、孤立している地区に行けるように道路を開けることが最優先です。

 

―犠牲になられた方が多く、かなり気を使っての作業だったと思います

 流された人がいると分かっていたので、むやみに機械を動かすわけには行きません。小友地区では3人の方のご遺体を見つけました。その後は2人です。被災した方から頼まれて、家 族を探すこともありました。見つからず、なんと話して良いか分かりませんでしたね。

 

―市内の建設業者のほとんどが被災していましたね

 幸いにも私の会社は社員、建物ともに無事でした。動ける4人程で、すぐに作業を進められました。多くの会社は、代表者や建物が津波の被害に合い、会社を続けることさえも分か らない状況だったと思います。その様な中で、徐々に作業に加わる人や会社が増えて行きました。

 以前から市内業者の協会組織はあったのですが、会長は亡くなってしまいました。動ける会社が中心になって、仮の協会を立ち上げて少しずつ組織的に動くようになりました 。市役所の職員も犠牲者が多かった中で、残った職員と打ち合わせをしながら進めていきました。自宅が被災した作業員が多かったので、市役所からは食料を配給してもらいました。

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―作業を振り返ってみて感じたことや思いは

 津波にしても土砂災害などにしても、人の力だけではどうしようもない、重機の力が必要だと改めて感じました。震災当日から動くことが出来ていればと思う時もありましたが、少 しは役に立てたのかなと思います。

 


(おわり)


『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん



『記録誌第3号「記憶を思いに 未来につなげる」~震災復興5年の記録 これからも地域とともに~』に収録しております。

東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集

 東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。

 地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。

 『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。

 第33回は(株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さんです。

(株)長谷川建設 吉田昭彦さん(46歳:震災当時)
《職種》営業部長
《啓開作業時の作業内容》指示役


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「動ける人は自然に集まってくるものです」

―3月11日のことを教えて下さい

 住田町の建設会社にいる時でした。「ただごとではない」と感じる揺れで、陸前高田市内の会社に戻ることにしました。途中、竹駒の現場で安否確認や避難指示をして、近くの知り合いの会社に立ち寄りました。事務員さんが「ここまで津波が来ると放送があった」と言うので、「冗談だべ、ここまで来たら高田の町がなくなるべ」と話したのを覚えています。

 まさか津波が来るとは思わず、数分話をしていると、どんどん車が住田町方面に向かって行きます。自社の役員も避難したことを知り、取り敢えず住田町の自宅に帰りました。大船渡から戻ってきた妻の話で状況を知り、市内に行こうと思いましたが家族から止められました。

 

―次の日からの動きは

 次の日、明るくなったと同時に市内に向かい、現実を目の当りにしました。「これは大変だ」と。とにかく高田を何とかしなければならないと思いましたね。道路のガレキを片付けなければ、支援も入って来られないですし、助かる命も助からないですから。

 まずは社員や協力会社の人を探しました。避難している数人に会うことができましたが、被災していてすぐには動けない状況です。その後は流されずに残った重機を探して回りました。そうしているうちに、作業が出来るというグループ会社の社長と社員の4人が出て来ました。13日の朝7時に竹駒の広場に集合することを約束して別れました。

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―13日からの作業の進め方は

 既に森林組合と消防団が大きい道路を始めていました。私たちは竹駒地区の枝線から作業を始めました。孤立している地区の状況を見て、自分たちの判断で動きました。他の会社も同じような状況だったようです。被災していない人が集まり、重機を集め、その場の判断で動いていました。動ける人は自然に集まってくるものです。3日後位からは市役所にも報告するようになりました。

 

―組織的な動きが出てきたのはいつごろですか

 1週間位で仮の協会を組織して、市役所とも連携を図りました。会長をお願いした(株)かねまつ建設さんの事務所を本部にして打ち合わせをするようになりました。最初は5社位だったと思います。

 

―代表者や社屋が被災した会社が多くありましたが

 社長が見えないから、動いて良いものか分からないという人がいたのも事実です。協会で責任を持つから手伝って欲しいと声を掛け、被災しながらも来てくれた人がかなりいました。

長谷川建設 提供

 

―自衛隊などとの連携は

 福井から来た鯖江駐屯地の方たちには、かなり助けられました。鯖江駐屯地の記念行事に3年間招待いただき、その後も当時の隊長さんとは連絡を取り合っています。

長谷川建設 提供

―陸前高田市は犠牲になられた方も多かったと思います

 私が見つけた人は、苦しんでいるような顔の人はいませんでした。突然津波に襲われたためだと思います。小さい子供を見つけると、何とも言えない思いが湧いて来ました。自分の子供と照らし合わせてしまい、「お父さん、お母さんのところに帰ってくれよ」と祈るだけでした。

 

―ガレキが片付いて来て思ったことは

 ガレキが片付いて何もなくなり、高田の町と海が平らなんだと、ふと気付きました。「津波てんでんこ」という言葉は本当だと思います。地震が来たら、とにかく高台に逃げることです。

 


(おわり)


『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん



『記録誌第3号「記憶を思いに 未来につなげる」~震災復興5年の記録 これからも地域とともに~』に収録しております。

東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集

 東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。

 地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。

 『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認す るとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。

(第16回より、内陸からの後方支援を掲載しています)

 第32回は南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さんです。

南建設(株)田中一也さん(30 歳・震災当時)
《職種》取締役社長室長(震災当時:工事部)
《啓開作業時の作業内容》給油支援補助


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「素晴らしかった関係機関の適確な判断」

―震災直後はどのような動きを

 震災翌日の12日時点では工期が迫っており、通常通り現場を動かしていたのですが、岩手河川国道事務所二戸国道維持出張所と連絡を取り合う中で、私たちにも被災地の為に何か手 伝えることはないかと申し出をしました。

 その際に重機やダンプのほか、会社がスタンドとタンクローリーを所有しているので給油が可能という話をしたところ、当社が給油支援を行うことが急遽決まりました。自社 の必要量確保も心許なかったのですが、被災地の役に立ちたいとの思いから給油支援の決断をしました。

 

―スタンドを所有しているのは強みでしたね

 実は当社のスタンドは震災翌日に給油する予定だったので、給油先のローリーが津波に流されて給油不可能になり、燃料の残量が心細い状態でした。社員総出で取引先にお願いをし たところ、「被災地のためならば」と協力してくれたスタンドの皆さん、さらにはそれまで一度も取引がなかったスタンドからの協力もいただき、本当に頭が下がる思いです。

 

―現地入りは12日ですか

 そうです。重機やダンプトラックを動かすために必要な燃料が少しでも早く届けばそれだけ多くの人が助かりますので、非常に重要な役割だと気持ちが引き締まりました。携帯のワ ンセグで現地の惨状は確認していましたが、被災地に向かうことに特に怖さは感じませんでした。家族は心配していたようですが。

 

―給油作業はどちらで

 宮古市千徳です。三陸沿岸道路が国道106号付近にタッチする地点が駐機所になっており、そこに向かうよう指示を受けました。会社のスタンドでタンクローリーに給油し、ドライ バーと二人現地に向かいました。到着したのは夜の10時か11時くらいだったと記憶しています。

 駐機所にはダンプが15台から20台ほど待機しており、盛岡からの車輛もいました。車輛の数を見てその膨大な作業量が理解できました。重機は見あたりませんでした。たぶん 現地にはりついていたのだと思います。

 

―宮古まではどのルートで行ったのですか

 沿岸部の状況がつかめないので、盛岡経由で106号を使いました。東北自動車道を利用できるよう国交省の職員の方が依頼状を書いてくれて、臨時の通行許可証代わりに使わせてい ただきました。

 NEXCOの職員さんも、途中で通行規制をしていた警察関係の方も、緊急事態ということで臨機応変に対応してくれたのだと思います。どこか1カ所でも止められていたら、 宮古にはたどり着けなかったでしょう。今振り返っても、関係機関の皆さんの判断の素早さや的確さは素晴らしかったと思います。

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―給油の支援はその1回ですか

 12日は維持出張所の非常用電源装置にも給油しましたし、別の社員が14日に花巻の国交省の施設で軽油を積み大船渡市でドラム缶に給油しました。また国交省以外にも仙台―宮古間 をローリーで3日間、燃料輸送を行いました。

 震災の規模からすれば、私達の支援は微々たるものだと思います。それでも今振り返ると、そこには本当に多くの方の支えがあり、給油支援が無事できたのだとしみじみ思い ます。一日も早い復興を心から祈っています。


(おわり)


『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん



『記録誌第3号「記憶を思いに 未来につなげる」~震災復興5年の記録 これからも地域とともに~』に収録しております。

東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集

 東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。

 地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。

 『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認す るとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。

(第16回より、内陸からの後方支援を掲載しています)

 第30回は成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さんです。

成和建設(株)民部田正道さん(59歳・震災当時)
《職種》重機車両部執行役員部長
《啓開作業時の作業内容》オペレーター


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「道路が通った瞬間を思い出して」

―現地入りの要請はどこから受けましたか

 国交省の現場を担当していた職員が水沢維持出張所から要請を受けて、翌12 日からの宮古入りが決まりました。グラップル付きのバックホウ2台とホイルローダー1台、運搬用の トレーラー3台。いずれも自社の機械です。

 問題は燃料。花巻市内も停電しており、会社からガソリンスタンドに発電機を提供して給油しましたが、それだけでは足りずに、自社の重機から燃料を抜いて宮古行きの車を 満タンにして出かけました。オペレーターは、チリ地震津波を経験している社長と私、環境部執行役員部長の3人。若い社員たちは現場に張り付いており、体が空いていたのはこの3人 だったんです。

 

―12日は何時頃から動いたのですか

 午前11時ごろに花巻を出発しました。国道465号から106号というルートを通ったのですが、ガソリンを求める車でいたるところが渋滞しており、宮古に着くまでに3時間半は要した と記憶しています。

 

―啓開作業はどこから入りましたか

 盛岡地域から来た会社と合同で、宮古警察署前を起点に国道45 号を高浜方面に向かい南下するチームと、宮古の市街地に北上するチームに分かれて啓開作業に当たりました。

 現地の様子は、何か夢でも見ているようで現実感が感じられませんでした。宮古市役所前の歩道橋に船が引っかかり、ビルの1階部分には車が吸い込まれたように詰まってい ました。そしてなんと言っても分厚く堆積したヘドロ。これを取り除くのに苦労しました。

 

―現地での食事や宿泊はどうしていたのですか

 ずっと車内泊です。車内の狭さよりも寒さが厳しく、車のヒーターを夜通し付けて何とか寝られました。

 あと恥ずかしい話ですが、食事の確保は想定外でした。現地調達できないんですよ。過去に対応した台風や土砂災害では、炊き出しで食事が提供されていたので、考えが甘か ったです。ただし当社は農業部門に参入しており、お米の在庫が豊富にありましたから、本社で炊き出しをして、現地に届けてもらいました。

 

―被災された方や、他社のオペレーターの方とは何か会話をされましたか

 建物の持ち主の方が写真や金庫などを探す際に手伝ったことがあります。見つかって喜んでいただけましたが、自分たちから何か話しかけるという雰囲気ではなかったです。

 他社のオペレーターの方も、それなりに疲れた様子ではありましたが、疲労困ぱいという程ではなかったです。年配のオペレーターも多かったですね。このような大災害の時 は、ベテランの技術だけではなく、慎重さや冷静さ、豊富な人生経験も必要と感じました。

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―民部田さんはいつまで現地での作業を

 15日までは宮古市内。16日から19日、21日から25日と田老地区に入りました。田老は宮古を上回る惨状で、まちが全滅したという感じでした。大槌町では、町からの要請もあ って、全域でがれき撤去に当たりました。現在も町の復興事業に関わらせてもらっています。

 先ごろ久しぶりに宮古に行き、他地区と比べて市街地の復興が進んでいることを実感しました。私たちが啓開した道路を、ダンプや緊急車両が通った瞬間のことも思い出しま した。


(おわり)


『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん



『記録誌第3号「記憶を思いに 未来につなげる」~震災復興5年の記録 これからも地域とともに~』に収録しております。

東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集

 東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。

 地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。

 『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。

(第16回より、内陸からの後方支援を掲載しています)

 第29回は(株)小原建設(北上市)小田島 愼 さんです。

(株)小原建設 小田島 愼 さん(31歳・震災当時)
《職種》職長・オペレーター
《啓開作業時の作業内容》オペレーター


shougen141128 (1)



「被災された方を思えば、自分の不便など」

―震災当日は、どこで仕事をしていたのですか

 当日は北上市内で河川の築堤工事の現場にいました。現場再開のめどが立たず一旦は待機になったのですが、国道107 号で道路のクラックや法面の崩落などが発生していたので、翌日から対応に当たりました。

 

―沿岸に最初に入ったのはいつですか

 震災から5日後です。当社で施工していた宮古市松山の現場で、橋脚にモルタルを注入する応急対応で現地入りしました。テレビでは分からない被災地という場が持つ雰囲気に、ただ驚くしかなかったのを覚えています。

 その後、会社で被災地支援に入るという話を聞いたときも、何か被災地の役に立ちたい、そして行くならば早いうちにと思い、2班体制の前半に手を挙げました。

 

―本格的な沿岸部での作業は

 地元の大坂建設さんの応援で、4月2日から山田町に入りました。バックホウ3台とがれき運搬用のダンプ1台の4台体制を取って、主に大沢地区を中心に宅地と歩道のがれき撤去に当たりました。

 バックホウ1台に対して自衛隊員が1人付き、一緒に動いていただきました。若い人が多かったのですが、規律も服装もしっかりとしていて、立派でしたね。気も張っていましたし無駄話をするような雰囲気ではなかったので、あいさつ程度しか言葉は交わしませんでしたが。

 

―現地ではどのようなことに気をつけられましたか

 やはりがれきの下に行方不明者がいるかもしれないので、手つかずの場所に入るときは緊張しました。ただし、行方不明者を見つけることも自分たちの仕事なんだと思うようにしていました。

 

―被災された方とは会われたのですか

 60代ぐらいの夫婦の方から「行方不明の娘がこの辺りにいるかもしれないから、がれきを撤去してほしい」と言われたことがありました。私としては言われた通りがれきを動かすくらいしかできないのですが、結局見つけてあげることができず、本当に悲しかったです。感謝の言葉を掛けていただいたのですが...。

shougen141128 (2)

―つらいことも多かったと思います

 いえ、私は内陸の人間ですから、多少の不便があっても被災された皆さんの苦労とは比べものになりません。なので、不便やわがままな気持ちなど持つべきではないと自分自身を戒めていました。大坂建設の社員の方も、ご自身も津波の被災者であるにも関わらず、私たちがスムーズに働けるよう色々と手配をしていただき、私の方こそ助けていただきました。

 

―作業を終えた時、どのような思いを持たれましたか

 ほかの現場に入ることが決まり、会社としての一区切りが付くまで作業できなかったのは少し心残りでした。でも昨年は陸前高田市の圃場の災害復旧現場、今年からは三陸沿岸道路の現場を担当しており、復興の現場に携わらせていただいています。

 震災から3年以上を経て、記憶の風化を実感しています。復興を遂げるまでみんなで協力しながら、私自身もあの時の記憶と思いをしっかりと持ち続けていきたいと思っています。


(おわり)


『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
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第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
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