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『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第18回)
2014年7月24日 10:56岩手県建設業協会
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
(第16回より、内陸からの後方支援を掲載します)
第18回は遠野市の松田重機工業(株)重機部長 菊池隆悦さんです。松田重機工業(株)重機部長 菊池隆悦さん(48歳:震災当時)
《職種》重機オペレーター
《啓開作業時の作業内容》重機オペレーター
「人間はコミュニケーションが一番大事だと思いました」―震災発生時は遠野の現場にいたのですか
遠野の現場で作業中でした。会社に戻るのが一番遅かったので、会社では誰にも会えず、その日は家に帰りました。電話が通じないので連絡を取ることも出来ませんでした。
―啓開作業の指示を受けたのはいつでしたか
12日の朝に出勤したところ、社長から「重機1台をトレーラーに積み、ダンプ2台と遠野運動公園で待機」と指示がありました。午後から笛吹峠を越えて、釜石市の鵜住居方面に向かいました。途中、県の職員から一旦帰って連絡を待つよう指示を受け、その日は遠野に戻りました。
―啓開作業に入れたのはいつですか
13日の朝5時に会社に集合して、今度は大槌町に向かいました。立丸峠から宮古市を通り、土坂峠を抜けて大槌町に入るルートです。少し雪があり、狭い道で、対向車も来るので5時間ほどかけて大槌北小学校付近に着きました。
―被害状況を見て感じたことはありますか
停電で状況が把握できず、津波がどの様なものか、実感がありませんでした。崩れた道路を復旧に行くものだと思っていました。海から1km以上手前で、河川等に車や家がひっくり返っていても、状況が理解できません。更に進むと、家が無くなり平らになっています。頭の中は真っ白でした。国道45号線で車を降りて、初めて状況を把握しました。「これが津波なんだ」と・・・。
―作業はどこから始めたのですか
国道45号線を釜石市方面に向かって作業を進めました。1週間程度は着いた場所から作業を始め、その後は集合場所で朝礼をするようになりました。
―作業上、気を付けたことはありますか
中に人がいるかもしれないので、傷をつけないように作業を進めました。重機が先に進んで、ご遺体を見つけた時には自衛隊に知らせました。最初は戸惑いましたが、だんだん見つかって良かったと思えるようになりました。そう思わないと自分がやりきれなくなるので。
最初は余震が多く、高台に避難することもありました。重機に乗っていると気付ない時もありましたが、周りの人が教えてくれました。―気持ちが落ち込むことはありませんでしたか
正直、現場に向かうのはつらい気持ちもありました。同僚と冗談を言い合って気持ちを紛らわせることもありましたね。3、4カ月経ってからですが、地元の被災者と話をすることが増え、食べ物や飲み物を貰うこともありました。明るく話す姿に逆に励まされましたことを覚えています。
―作業を振り返ってみて、教訓はありますか
初めからもっと住民の人たちと会話を交わすべきだったと、後悔しています。地元の人たちも話をしたかったのだと思います。地元の人の声を聞けば、優先して進めて欲しい場所など、情報が早く得られたと思います。やっぱり人間はコミュニケーションが一番大事だと思いました。
―終わってみての思いは
ガレキが片付いてきれいにはなりましたが、今後はどうなるのだろうという気持ちでした。
今でも仮設住宅に入っている人がいっぱいいます。地盤沈下で水が入ってくる場所もあります。今、大槌で仕事をしていますが、まだまだ終わっていないというのが実感です。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/03/04_1755.html">第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/02/21_1742.html">第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第17回)
2014年7月13日 11:13岩手県建設業協会
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
(第16回より、内陸からの後方支援を掲載します)
第17回は遠野市の佐藤工業(株)飯森清幸さんです。佐藤工業(株) 飯森清幸さん(51 歳:震災当時)
《職種》重機オペレーター
《啓開作業時の作業内容》オペレーター兼移動用バス運転
「先の心配よりも、今取り組むべきことに」
―釜石に対する支援の話を聞いたのはいつですか。
11 日夕方の5時から6時ぐらいだったと思います。細かい内容は覚えていませんが、翌朝会社に集合して重機とオペレーターを釜石まで運搬する指示を受けたと記憶しています。
その時点では釜石の詳細な状況も分かりませんから、特に不安を感じることもなく「指示を受けた以上は行くしかないな」という思いでした。―翌朝、釜石ではどの場所から作業に入ったのですか。
国道283 号を使って釜石駅前まで入りましたが、そこからは先に進めませんでした。駅前を見る限り被害は意外と小さいかなとも思いましたが、海側に進むに従い状況はひどくなる一方で、どこから手を付けたらよいのか途方に暮れました。
12 日の時点では自衛隊が先行して、一人が通れる程度の道路を開けていました。私たちはその後から道を広げる役割でしたので、実質的には待機に近い状態で、実際に現場で重機が動いたのは13 日から。釜石港に船が入るということで、駅前から国道45 号を経由して埠頭に向けて道を開いていきました。―作業をする上で気を付けたことは。
私たちが作業をしているすぐ側を被災した人たちが歩くんですが、ほかに歩ける場所も無いのでやむを得ません。作業の際には重機の周辺に十分注意し、被災した人との接触事故を起こさないよう徹底しました。
―作業を進める上での困りごとは。
基本的には指示通りに動いていたので、現場で困ったことや判断に迷うようなことはありませんでした。ただし各社ともに、ダンプやローダーのパンクは結構あったと思います。
ダンプはスペアタイヤがあるからよいのですが、ローダーがパンクした場合、遠野から修理屋さんを連れて行って対応してもらわなければなりませんでした。―精神的に辛いことも多かったのではないですか。
今になってみると、辛いとか大変だとかの思いがあったどうか、よく覚えていないんですよね。ただし、海水と泥、生ゴミが混ざったような臭いが、日時の経過とともにひどくなっていたことは覚えています。
精神的な疲れというよりも、しばらくすると道路の渋滞が始まり、10 分、20 分と車が動かないことも度々だったので、通勤疲れはありましたね。―途中から大槌方面にも入られたと聞いていますが。
1カ月ほど経過してから、1階が浸水した家から出された家財道具などを撤去する仕事をしました。道路はだいぶ片付いていたのですが、市街地では火災の跡も生々しく「本当に多くの建物が燃えてしまったんだな」と思いました。
―作業の中で気付いたことや、将来への教訓などがあれば。
いや、そんなに先々のことを心配しながら仕事をしていたわけではないですから。とにかく淡々というか、今取り組むべき課題に一生懸命に取り組むという感じでしたね。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん公共工事動向6月を更新しました
2014年7月 7日 18:32岩手県建設業協会
岩手県建設業協会ホームページ更新のお知らせです。
「各種情報」内の「東日本建設保証(株)岩手支店 提供資料」に東日本建設保証(株)岩手支店より情報提供頂いている公共工事動向(岩手県内6月版)を掲載しました。
↓PDFファイル↓
公共工事動向(岩手県内)6月版→ こちら(PDF)『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第16回)
2014年7月 3日 19:01岩手県建設業協会
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
(第16回より、内陸からの後方支援を掲載します)
第16回は遠野市の(株)テラ 常務取締役 小笠原秀夫さんです。(株)テラ 常務取締役 小笠原秀夫さん(54歳:震災当時)
《啓開作業時の作業内容》指示役
「結果としてこちらに支援に来て良かったと思いました」―貴社は震災当日から遠野支部の沿岸部支援において、中心的な役割を果たしたと思いますが
当日、遠野支部長である社長に対して、釜石・大槌方面への支援要請が県からありました。社長が中心になって、会員企業に連絡を取り、深夜までかけて重機やダンプの台数を確保しました。
―小笠原さんはどちらに向かいましたか
12日朝、笛吹峠を越えて釜石市の鵜住居に向かいました。その日は人命救助が優先で、待機だけで終わりました。翌日から、鵜住居の釜石遠野線、大槌町に向かう国道45号線を啓開する班の指示役を務めました。食料などの支援物資を、内陸から大槌町に運べるようにするためです。
―現地の状況はどうでしたか
現地を見たときは信じられない思いでした。戦争でも起きたかのような錯覚を覚えるほどでした。
また、釜石遠野線から国道45号線に向かう人たちが立ち往生していました。山長建設と当社で、開通したばかりの釜石山田道路にスロープを作り、釜石、大槌方面に向かえるようにしました。―大槌に入ったのはいつごろですか
16日には大槌に入りました。町内では大槌病院から役場に向かうルートを先に啓開しました。全てが流されて道路が分からないので、バックホウで削って舗装があれば道路だと判断しました。地盤沈下で道路が水に沈んでいたので、砕石を運んで、道路を嵩上げして繋げました。
―作業の上で気を付けたことは
鵜住居では道路が狭く、電柱が沢山倒れていました。電柱や電線を避ける時に自分に跳ね返る危険がありましたので、注意するようにしました。
大槌に入ると多くのご遺体が出てきました。傷をつけないように丁寧に作業を進めました。精神的に参ってしまうオペレーターがいて、交代させるようにしました。―作業員の士気はどうでしたか
仕事だという意識ではなく、「ウチらのような仕事をしている人間がやらなきゃならない」という思いを持っていたと思います。
―いつまで作業が続きましたか
大槌では9月まで、遠野支部全体の指示役として従事しました。最後は50人規模だったと思います。最初は道路啓開、後からは建物処理やガレキ集積の作業も行いました。
―燃料の確保は
遠野市内のJAスタンドから、毎日タンクローリーで運んでもらうように手配しました。当初は釜石市内の業者にも供給しました。
―ガレキが片付いた時の思いは
道路が片付いて、避難所などに車で行けるようになったのを見たとき、結果としてこちらに支援に来て良かったと思いました。釜石や大槌の業者は重機などが流されたので、隣の市の私たちが支援をするのは当たり前ですが、役所の人から「遠野支部のお蔭だった」と言われました。当初は停電で連絡も取れない中で、「やらなければ」という思いだけで動きました。
―その中で動いたという誇りはありますか
それはありますよ。一番多い時は14社くらいで朝礼をしました。今でもその人たちと話ができます。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『私たち、僕たち、頑張っています!』(第9回)建設業に従事する女性・若者インタビュー
2014年6月26日 09:10岩手県建設業協会
『私たち、僕たち、頑張っています!』では建設業に従事する女性及び若者の紹介記事を不定期に掲載致します。
建設業で頑張っている女性や若者を紹介することで、多くの方に建設業の魅力を知って頂きたいと思います。また、建設業に興味を持っている方、入職を希望される方が建設業について少しでも知って頂けるきっかけになれば幸いです。
第9回は、株式会社 小原建設(花巻市)の伊藤 春香さんです。
所属会社:株式会社 小原建設(花巻市)
氏 名:伊藤 春香さん
職 種:土木技術者
経験年数:10年
仕事内容:土木工事全般
<入職した動機、きっかけは?>
父親の影響で、子供の頃から土木工事に興味があったので、それがきっかけとなりました。
<仕事のやりがいは?>
特に道路工事で、自分が管理した現場が完成すると、苦労して頑張った現場が立派な新しい道路になるので、とてもやりがいを感じます。
<苦労していることは?>
事務所内での書類作成が苦手というか、あまり好きではないので、完成検査前の書類作成と、自分が責任者になった時に、社員のほとんどが年上なので、自分の意見が通らないことが苦労していることです。
<将来の目標は?>
現場で必要な資格取得のほか、現場代理人等で早く一人前になってみんなに頼られるようになりたいです。
<上司から一言>
経験を積み重ねて、広い視野で考える事ができる技術者を目指して下さい。現場の監理はていねいですね。
伊藤さん、ありがとうございました。会社の期待が大きいと思いますので、目標に向かってこれからも頑張って下さい。『私たち、僕たち、頑張っています!』では、会員企業の会社で働く女性・若者を募集しています。
若者については概ね25歳以下(女性は年齢不問)の方でお願いします。技術者、技能者、運転手の方など、職種は問いませんのでご協力をお願い致します。
バックナンバー
第8回(14/05/28) 株式会社 熊谷工務店(盛岡市) 稲荷平 麻衣子さん
第7回(14/04/25) 刈屋建設 株式会社(宮古市) 奥地 裕介さん
第6回(14/03/28) 松田重機工業 株式会社(遠野市) 八木 義行さん
第5回(14/02/26) 株式会社 下河原組(盛岡市) 佐藤美由紀さん
第4回(14/01/29) 株式会社 佐々木組(一関市) 佐藤章さん
第3回(13/12/17) 豊島建設 株式会社(大船渡市) 菊池信幸さん
第2回(13/11/15) 高田工業 株式会社(花巻市) 中村隼太さん
第1回(13/10/23) 株式会社 青紀土木(釜石市) 倉澤久美さん≪建築工事現場見学≫実際に目で見て聞いて勉強!
2014年6月21日 11:24岩手県建設業協会
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第15回)
2014年6月10日 19:01岩手県建設業協会
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
第15回は野田村の(株)晴山石材建設 上川 寿隆さんです。(株)晴山石材建設 上川 寿隆さん(36歳:震災当時)
《職種》現場監督
《啓開作業時の作業内容》指示係兼オペレーター
「小さい村だからこそ、顔が見える関係で」―最初に作業に入ったのはどの辺りですか。
国道45号から市街地に入れない状態だったので、山側を通って久慈市に抜けるルートを確保するため、冬期間は通行止めになっている久慈市の宇部地区と村内を通る県道をつなぐ林道を除雪することにしました。ほかの会社の人が担当したのですが、翌12 日の午前中には通行を確保できたと記憶しています。
会社も津波で流され、社長が家族の方と一緒に小学校の体育館に避難していました。体育館は寒かったので、被災していない私の自宅に半ば無理矢理来てもらいました。―野田村は市街地も大きな被害を受けました。
久慈方面からの応援部隊を受け入れるため道路啓開と駐車スペースの確保が必要ですから、当日の深夜12時ごろから愛宕神社の鳥居付近でがれきの撤去を始めました。ところが、撤去作業を始めてすぐにご遺体が見つかったんです。
その時点では行方不明者数も分からないし、暗い中での作業で万が一にも生存者を傷付けるようなことがないよう、作業を一時ストップして明朝5時から再開しました。―道路啓開やがれき撤去の進め方は。
役場前を拠点に、国道45 号に向かって放射状に道路を啓開していく方法を取りました。グラップルが若干不足気味でしたが、重機類は津波被害を受けていないバックホウやタイヤショベルがありましたし、内陸部からもご支援いただき、さほど苦労はしませんでした。
すべての重機に番号を割り振って、オペレーターは重機に専属としました。これに県外などから応援に来た消防、警察、自衛隊の関係者が20人ほど付いて、がれきの撤去と行方不明者の捜索を進めました。―作業を進める上で、困りごとはありましたか。
啓開作業の現場では、関係機関の方と口論になることもありました。言い方一つで気持ちの行き違いが生じたり、指揮命令系統が錯綜して現場が混乱することがあったのも事実です。
指揮系統を一本化するため、うちの社長に役場に常駐して全体を統括することをお願いして、うちの社長と晴山組の社長さんが全体の指示を出す仕組みを作ってもらいました。確か14日か15日あたりだったと思います。―一連の作業が終わって、どのような思いを持たれましたか。
個人的には、被災地におけるモラルやボランティアのあり方などについても色々と考えさせられました。私たち自身についても、間違いの無い行動には気を付けていました。
それでも野田村は行方不明者の捜索やがれきの撤去などは、比較的早く終了したと自負しています。最後の行方不明者は若い女性でしたが、確か震災からちょうど1カ月目にご遺体が見つかったと記憶しています。小さい村だからこそ、誰と連絡が取れないとか、流された家が誰のものかなど、お互いの顔が見える関係の中で作業できたことや、がれきの処理を引き受けてくれた自治体のおかげも大きかったと思います。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん公共工事動向5月を更新しました
2014年6月 3日 18:40岩手県建設業協会
岩手県建設業協会ホームページ更新のお知らせです。
「各種情報」内の「東日本建設保証(株)岩手支店 提供資料」に東日本建設保証(株)岩手支店より情報提供頂いている公共工事動向(岩手県内5月版)を掲載しました。
↓PDFファイル↓
公共工事動向(岩手県内)5月版→ こちら(PDF)平成26年度 一般社団法人岩手県建設業協会定時総会を開催しました!!
2014年6月 2日 09:55岩手県建設業協会
平成26年5月30日(金)に平成26年度一般社団法人岩手県建設業協会定時総会を建設研修センターで開催しました。
総会では平成25年度の事業報告、平成26年度の事業計画としては、国・県等の行政や一般社団法人全国建設業協会等の上部団体と連携を密にし、会員一同が沿岸の復興と再建を図ることやコンプライアンの徹底、防災体制の強化や地域貢献活動に重点をおいて、公益事業および共益事業に取り組むこととしました。
そのほか、議案審議に先立って行われた建設業協会会長表彰等の表彰式において、協会員108名の方々が岩手県建設業協会表彰など栄誉ある表彰を受賞されました。
今回は役員改選があり、正副会長および理事の続投、新任等の報告がありました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第14回)
2014年5月29日 11:06岩手県建設業協会
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
第14回は野田村の(株)晴山組 山田 勉さんです。(株)晴山組 山田 勉さん(43歳:震災当時)
《職種》土工(オペレーター等)
《啓開作業時の作業内容》オペレーター
「「やらなければ」というスイッチが入ったのか、無理だとか出来ないとは思わなかったです」―震災発生時は
林道の改良工事現場で作業中でした。監督と相談して、全員が自宅に一度向かうことにしました。
―いつから啓開作業に入りましたか
深夜12時ごろ、久慈市内の自宅に社長が訪ねてきました。安否確認と道路啓開の指示がありました。12日の朝4時半ごろ、前日に作業していた現場に行き、1時間半ほど掛けて野田村の野田橋付近までバックホウを移動しました。
社長からは「野田橋から野田村役場に向かって、とにかく道路を開けるように」との指示でした。森林組合のグラップル付きバックホウと一緒に作業を進めました。―社長から指示を受けた時の思いは
テレビも映らなかったので「野田が無くなった」という言葉を聞いて信じられませんでした。指示を受けても「ピンと来なかった」というのが正直なところです。
―実際に現場を見た時はどうでしたか
国道を超えて町に入った瞬間、この世のものとは思えませんでした。想像を超えていました。
―その現場を見てひるむことはなかったのですか
「やらなければ」というスイッチが入ったのか、無理だとか出来ないとは思わなかったです。「自分がやらなければ」と自分で自分に思わせたのかもしれません。あれこれ考えていれば出来なかったと思います。
―最初のころの作業はどうでしたか
当初2日間は、指示系統が確立していませんでした。ガレキの上にバックホウで上がらなければならない時、行方不明者がいるかもしれないので最も気を使いました。上がっていいものか、悪いものか、当初は自分の判断でしかありませんでした。
その後も行方不明者が全員見つかるまでは、間違って傷つけないように慎重に作業を進めました。
家が流されたばかりで、ガレキとは言えないものでした。持ち主の方から「服を取りたい」、「そのままにして」と言われることもありました。とても思い切って壊すことはできませんでした。―作業の上で気を付けたことは
余震の時にはバックホウを置いて、走って高台に逃げました。サイレンや津波警報の放送が鳴ることもありました。プロパンガス、電線などの危険物にも気を付けて作業をしました。
―他の機関との連携は
最初は地元の消防団と一緒に、3日目くらいからは全国から応援に来ていた消防や警察、自衛隊と一緒に作業を進めました。重機が無いと作業が進まないので、先に行くのが私たちでした。後から消防や自衛隊が入って手作業で捜索をするという流れでした。
久慈の業者から多くの応援が入って来たので、比較的重機が充実していたと思います。1カ月ほどで行方不明者が全員見つかり、その後の作業を早く進めることが出来ました。―終わってみての思いは
最初に現場を見たときは、どうなるのだろうと思いました。「ガレキが全部なくなるのだろうか」と。今、なくなったあとを見ると、あの時のことが薄れて行った気もします。もう少し丁寧にやれば良かったのだろうかと思うこともあります。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/03/04_1755.html">第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/02/21_1742.html">第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『私たち、僕たち、頑張っています!』(第8回)建設業に従事する女性・若者インタビュー
2014年5月27日 18:47岩手県建設業協会
『私たち、僕たち、頑張っています!』では建設業に従事する女性及び若者の紹介記事を不定期に掲載致します。
建設業で頑張っている女性や若者を紹介することで、多くの方に建設業の魅力を知って頂きたいと思います。また、建設業に興味を持っている方、入職を希望される方が建設業について少しでも知って頂けるきっかけになれば幸いです。
第8回は、株式会社 熊谷工務店(盛岡市)の稲荷平 麻衣子さんです。
所属会社:株式会社 熊谷工務店(盛岡市)
氏 名:稲荷平 麻衣子さん
職 種:建築技術者
経験年数:10年
仕事内容:現場管理全般
<入職した動機、きっかけは?>
設計事務所で働いていた経験を生かして、次は施工する側になりたいと思いました。
<仕事のやりがいは?>
工事が竣工し、引渡しが完了した時にお客様の笑顔を見て、頑張って良かったと感じます。
<苦労していることは?>
工事中は何もかもが苦労の連続ですが、完了した時は達成感で全てが報われます。
<将来の目標は?>
更にスキルアップして、地域に貢献できる様な仕事をして行きたいです。
<上司から一言>
明るく前向きで、仕事に対する真摯な姿勢は、だれからも好感をもたれています。
我社にとって、すでに大きな力となっていますが、さらなる飛躍に期待しています。
稲荷平さん、ありがとうございました。会社からも期待され、やりがいを持って従事されている姿が印象的です。これからも頑張って下さい。
『私たち、僕たち、頑張っています!』では、会員企業の会社で働く女性・若者を募集しています。
若者については概ね25歳以下(女性は年齢不問)の方でお願いします。技術者、技能者、運転手の方、職種は問いませんのでご協力をお願い致します。
バックナンバー
第7回(14/04/25) 刈屋建設 株式会社(宮古市) 奥地 裕介さん
第6回(14/03/28) 松田重機工業 株式会社(遠野市) 八木 義行さん
第5回(14/02/26) 株式会社 下河原組(盛岡市) 佐藤美由紀さん
第4回(14/01/29) 株式会社 佐々木組(一関市) 佐藤章さん
第3回(13/12/17) 豊島建設 株式会社(大船渡市) 菊池信幸さん
第2回(13/11/15) 高田工業 株式会社(花巻市) 中村隼太さん
第1回(13/10/23) 株式会社 青紀土木(釜石市) 倉澤久美さん住田町新庁舎と遠野木工団地
2014年5月23日 12:19岩手県建設業協会
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第13回)
2014年5月20日 10:11岩手県建設業協会
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
第13回は久慈市の兼田建設(株) 大尻明男さんです。兼田建設(株) 大尻明男さん(47歳:震災当時)
《職種》現場監督
《啓開作業時の作業内容》指示係兼オペレーター
「自分の被災を意識する余裕もなく、作業に集中の毎日」
―震災当日はどこにいらっしゃいましたか。
芦が沢にある国道45号の現場でした。私の家が久慈市内の海沿いにあるので、家族の安否を確認し高台に避難させてから現場に帰りました。そこから現場中止を掛けて、午後4時ごろまでには現場を撤収しました。
私は再度家に戻りましたが、会社の方は、震災直後からバリケードの設置や幹線道路の規制などに当たっていました。これは災害協定ではなく、県の道路維持業務の一環です。―立ち入ったことを聞いて恐縮ですが、ご自宅は無事だったのですか。
家は津波被害を受けていました。その日は親戚の家、翌日からは弟の家に世話になりながら、一週間程度は人力で自宅周辺のがれき撤去をしていました。会社側も私の事情を汲んで、理解してくれました。
―現場の作業に復帰したのは、どの段階からですか。
野田村の新山地区でがれきの撤去作業に、17日から入りました。まずはライフラインを確保するため、道路を通すことが一番の課題でした。
―現場に入られて、どのような思いをもたれましたか。
野田村が壊滅状態にあるという話は聞いていたのですが、やはり現場を見たときは唖然としました。幸いなことに親戚は無事だったのですが、十府ケ浦にある母の実家は被災しました。
もっとも一旦仕事に入ってしまえば、自分や親戚の被災などを意識している余裕はなかったですね。とにかくこの現場を一日も早く片付け、次の現場に入ろうという意識しかなかったと思います。―現場での作業体制は。また作業を進める上で、どのような課題がありましたか。
機械類はショベル、4トンダンプ、バックホウなど。人員は7~8人ぐらいで、オペレーターと作業員、誘導員は兼務という形を取りました。現地は道幅が狭い割には交通量が多かったので、大型車や重機の接触など車両系の事故には細心の注意を払いました。
―野田村の現場が一段落した後は、どの現場に入ったのですか。
久慈市平沢のがれき集積所で指示役と現場作業を担当しました。集積所には未選別のがれきが運ばれてきますから、一体どれぐらいの量があるんだろうと不安になりましたね。
―集積所でのご苦労も多かったのでは。
臭いや粉じんの対策にも苦労しましたが、がれきの中にどんな有害物質が入っているか分からず、常に気を遣いました。また沿岸南部でがれきから火災が発生したという話を聞いて、神経質になりましたね。ガス抜きのパイプを挿すなどの対策を取りました。
―一連の震災対応を通して、改めて思うことはありますか。
昭和58年の久慈大火を体験していることもあり、災害は起きるものという意識を持っていました。私自身は、現場に出ている間は仕事に集中できたのですが、その分家族には負担を掛けたのかなという思いはあります。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/03/04_1755.html">第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/02/21_1742.html">第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん公共工事動向4月を更新しました
2014年5月12日 13:27岩手県建設業協会
岩手県建設業協会ホームページ更新のお知らせです。
「各種情報」内の「東日本建設保証(株)岩手支店 提供資料」に東日本建設保証(株)岩手支店より情報提供頂いている公共工事動向(岩手県内4月版)を掲載しました。
↓PDFファイル↓
公共工事動向(岩手県内)4月版→ こちら(PDF)『私たち、僕たち、頑張っています!』(第7回)建設業に従事する女性・若者インタビュー
2014年4月25日 19:10岩手県建設業協会
『私たち、僕たち、頑張っています!』では建設業に従事する女性及び若者の紹介記事を不定期に掲載致します。
建設業で頑張っている女性や若者を紹介することで、多くの方に建設業の魅力を知って頂きたいと思います。また、建設業に興味を持っている方、入職を希望される方が建設業について少しでも知って頂けるきっかけになれば幸いです。
第7回は、刈屋建設 株式会社(宮古市)の奥地 裕介さんです。
所属会社:刈屋建設 株式会社(宮古市)
氏 名:奥地 裕介さん
職 種:工事部(現場管理)
経験年数:平成26年4月入社(新入社員)
仕事内容:現場管理
<入職した動機、きっかけは?>
子供の頃から形として残っていく仕事をしたいと思い、建設業に興味を持っていました。また、東日本大震災での地元の被災状況を見て、自分も直接復興の役に立つ仕事をしたいと強く思い、入職のきっかけとなりました。
<仕事のやりがいは?>
まだ現場には出ていませんが、地図に残るような仕事や道路維持など、みんなが生活しやすい環境を自ら作り、これからの時代に残していくことがやりがいだと思います。
<苦労していることは?>
様々な関係法令や仕様書など、たくさんのことを覚えなければならないことです。これから仕事以外にも時間を作って、必要な知識を早く身につけていきたいです。
<将来の目標は?>
これから様々な経験を積んで、会社からはもちろん、社会からも必要とされるような人間になりたいです。また、若者の人材不足の問題のために自分にできることを考え、若者に魅力を感じてもらえるような仕事をしたいです。
<上司から一言>
現在は、新入社員研修中ですが、受け答えもしっかりしており意欲も高いのでこれからとても楽しみです。これから現場経験を積み重ね、誰からも信頼される社員になってもらいたいと思います。
奥地さん、ありがとうございました。これから覚えることが沢山あると思いますが、東日本大震災の復興に向けて頑張って下さい。
『私たち、僕たち、頑張っています!』では、会員企業の会社で働く女性・若者を募集しています。
若者については概ね25歳以下(女性は年齢不問)の方でお願いします。技術者、技能者、運転手の方、職種は問いませんのでご協力をお願い致します。
バックナンバー
第6回(14/03/28) 松田重機工業 株式会社(遠野市) 八木 義行さん
第5回(14/02/26) 株式会社 下河原組(盛岡市) 佐藤美由紀さん
第4回(14/01/29) 株式会社 佐々木組(一関市) 佐藤章さん
第3回(13/12/17) 豊島建設 株式会社(大船渡市) 菊池信幸さん
第2回(13/11/15) 高田工業 株式会社(花巻市) 中村隼太さん
第1回(13/10/23) 株式会社 青紀土木(釜石市) 倉澤久美さん建設業景況調査3月調査について
2014年4月18日 19:03岩手県建設業協会
岩手県建設業協会ホームページ更新のお知らせです。
東日本建設保証(株)岩手支店より情報提供頂いている建設業景況調査3月調査(平成25年度第4回、東日本大震災被災地版)を「各種情報」内の「東日本建設業保証(株)岩手支店提供資料」に掲載しました。
↓PDFファイル↓
建設業景況調査(岩手県版)3月調査
調査結果(概要) → こちら(PDF)
データ表 → こちら(PDF)建設業景況調査(東日本大震災被災地版)3月調査
調査結果(概要) → こちら(PDF)盛岡の桜がちょっと咲きました。
2014年4月15日 19:55岩手県建設業協会
盛岡市内の桜の名所では蕾が膨らんでおりました。(4月13日)
天気がとてもよかったこともあり、それぞれの場所では桜の様子を見に来ている方々がたくさんおりました。
岩手公園、石割桜では一部開花したとのことです。
今週末に期待です。
高松の池
岩手大学
石割桜
栃内病院・石割桜(由来)はこちら
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%89%B2%E6%A1%9C
・盛岡城跡公園(由来)はこちら
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%9B%E5%B2%A1%E5%9F%8E
・桜の開花状況はこちら
http://www.iwatetabi.jp/spot/season/spring岩手県内の自治体における前払金等適用状況について
2014年4月15日 18:55岩手県建設業協会
岩手県建設業協会ホームページ更新のお知らせです。
「各種情報」内の「東日本建設保証(株)岩手支店 提供資料」に岩手県内の自治体における前払金等適用状況の最新版を掲載しました。
↓PDFファイル↓
岩手県内自治体における前払金等適用状況 4月1日現在→ こちら(PDF)『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第12回)
2014年4月14日 19:54岩手県建設業協会
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
第12回は田野畑村の佐藤建設(株)常務取締役 片座康行さんです。佐藤建設(株)常務取締役 片座康行さん(58歳:震災当時)
《職種》土木工事の積算、現場全体のマネジメント
《啓開作業時の作業内容》指示役
「公共事業を請け負う者の役割として」―震災当日の様子を教えてください。
その時は協会支部の事務所にいて、事務所の建物が倒壊するのではと思うぐらいの激しい揺れでした。揺れが収まった後は道路パトロールのため、会社に寄らずに直接海側に向かいました。
―当日中に海の近くまで入れたのですか。
村役場前から平井賀に下りる村道のS字カーブから、平井賀の集落を津波が襲い家が流されている様子が目に入りました。本当に恐ろしく、心臓が締め付けられるような感覚でした。そこから先は消防団に止められて進めず、現地入りしたのは翌朝早くです。
現地では、横倒しになったダンプやさっぱ船が山の中腹まで打ち上げられていました。バックホウだけでは対応できないと直感してグラップル1台を現地近くまで運びましたが、勝手な判断で動かせないので、指示を仰ぐため役場に出向きました。―その場で、出動依頼が出たのですか。
役場から出動の指示が出たのは数日後です。役場と消防団が行方不明者の捜索をしていたのですが、がれきに阻まれ現地の状況が分からないので、建設会社を呼ぼうということになったようです。
うちの会社が役場に一番近いので、私が全体の連絡調整係を担当しました。島越、平井賀、羅賀など大きく5現場に割り振って、各現場で判断が付かない課題を吸い上げ、役場と協議して伝達する形を取りました。現場では機械1台に対して最低でも消防2人と警察1人が付いて被災者の捜索と道路啓開を同時並行で進めました。―現場に入った時の思いは。
良いも悪いも、怖いも怖くないも、とにかくやるしかないなと。災害時に最前線で動くのが、公共事業を受注する建設業の役割だから、至極当然のことだと受け止めました。
―重機などは確保できたのですか。
グラップルは台数が少なかったですね。林業関係者が村内だけではなく葛巻町からも都合を付けて、最終的に16 台を集めました。ダンプ不足も深刻でしたが、盛岡支部の斡旋で2社から応援をいただき何とか間に合わせることができました。
―田野畑では被災した人たちも作業を手伝ったんですよね。
被災した方にはプラスチックやナイロンの片付けなど軽作業を手伝っていただきました。救援物資の中には作業服やヘルメット、マスクなどがあったので、どの地区から作業に来てくれた人なのか、一目で確認できるようにしました。
―作業を終えて、どのような思いを持ちましたか。
田野畑は、他市町村と比べて作業を比較的早く進めることができました。これは行政と業界、または業界の中などそれぞれのチームワークが良かった結果だと思っています。
チームワークと言えば、田野畑には米軍も入っていましたが、トップの指示でしか動かないんですね。融通が利かない半面、トップの号令一つで迅速に行動するのはさすがだなと思いました。余談ですが、米軍が入る地区にトイレを事前に設置するなど米軍の後方支援をしたのは、私たち建設会社なんですよ。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/03/04_1755.html">第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/02/21_1742.html">第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん公共工事動向3月を更新しました
2014年4月 7日 11:34岩手県建設業協会
岩手県建設業協会ホームページ更新のお知らせです。
「各種情報」内の「東日本建設保証(株)岩手支店 提供資料」に東日本建設保証(株)岩手支店より情報提供頂いている公共工事動向(岩手県内3月版)を掲載しました。
↓PDFファイル↓
公共工事動向(岩手県内)3月版→ こちら(PDF)
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