いわけんブログ
- 岩手県建設業協会 一覧
建設業を知ってほしい。
2014年11月21日 14:40岩手県建設業協会
岩手県建設業協会では国土交通省東北地方整備局、岩手県それぞれと協力して、建設業のしごとを知ってもらうため小中学校の生徒対象に現場見学を行いました。
11月11日 大慈寺小学校
宮古市田老防潮堤の見学し、震災で起きたことや防潮堤の役割、復興について勉強しました。
内陸と沿岸の学校がきずなを深め、復興のかけはしとなることを目的として宮古市立崎山小学校との交流会を行いました。
宮古土木センターの説明
田老町内の様子
防潮堤の向こう側の景色
崎山小との交流会・・・この後大慈寺小がよさこい崎山小学校を練習して両校一緒に演舞!11月17日 平泉中学校
平泉から陸前高田市内に向かう間はバス車内で東北地方整備局と建設業協会が建設業の役割や岩手県内の工事状況・復興状況について説明をしました。
陸前高田市内では車窓から市内の嵩上げ等を見学し、ベルトコンベヤの設備の見学、説明を受けました。
UR都市機構より陸前高田の現況説明
ベルトコンベヤ
ベルトコンベヤ 破砕設備前
どのように市内へ送っているかの説明を受けました。
破砕設備前(高台)からの陸前高田市内の状況を勉強・・・この後平泉中学校はさくらの木の植樹の活動に向かいました。『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第28回)
2014年11月14日 20:58岩手県建設業協会
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認す るとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
(第16回より、内陸からの後方支援を掲載しています)
第28回は髙惣建設(株)(奥州市) 小野寺正晴さんです。髙惣建設(株)小野寺正晴 さん(56 歳・震災当時)
《職種》高田営業所長
《啓開作業時の作業内容》指示役
「会社もお金も関係なく」―3月11 日はどのような様子でしたか
竹駒にある高田営業所の職員を高台に避難させて、私は市街地の自宅に戻りました。市街地は避難する車で渋滞しているし、最初3メートルと言われていた津波の高さが10メートルの大津波と聞き、とりあえず犬だけ連れて営業所に戻りました。しばらくすると津波が私たちのいる場所に到達し、わずかの差で逃げずに被害に遭ったり、車ごと津波にさらわれた人もいました。
その晩は高台で一晩中ラジオを聞いていましたが、聞こえてくるのは他市町村の情報だけ。肝心の陸前高田の詳しい状況が分からず、ひたすら夜明けを待っていました。―翌日はどのような動きを
夜明けと同時に自宅方面に向かいましたが、がれきが散乱して木材の破片や釘が飛び出しているし、砂と水とで100メートル進むのがやっと。自衛隊員が人命救助に入っており、ご遺体も数多く見かけました。
生活物資の調達に住田町に行く途中、私たちを心配して陸前高田に向かってきた当社土木課長の小原正にばったり会ったんですよ。そこで小原課長に職員の無事を伝え、必要な資材や機械などをメモして渡し、その日のうちに対応してもらいました。―道路啓開はどのような形で始まったのですか
自衛隊や警察、消防、国交省などの関係者が集まって話し合いを持ったのは、12 日の夕方だったと思います。その時点では市からの指示は出ていませんが、動ける人が機械を持ち寄り道路を開けるしかないと考え、最初は会社もお金も関係なく5人ほどの個人の集まりで道路啓開をスタートしました。まずは高田一中前を開き、農免道から広田半島に向かうルートを通す方針も自分たちで決めました。
―機械類は確保できたのですか
最初はとにかく手持ちの機械をかき集めての作業です。3日後ぐらいから本社を通じて内陸のリース屋さんに声を掛けて、グラップルとキャリアダンプを各担当者に預けました。私も1年ぐらいはブルドーザーに乗り、一日の半分はブルドーザー、残りは雑用や各種調整という毎日でしたね。
本社は私が動きやすいようにと、物資や資機材などバックアップしてくれました。また奥州市内の企業や店舗からの支援物資を避難所に届けたり、安否情報を奥州市のコミュニティーFMで放送するなど、小原課長を中心に内陸部として可能な限りの被災地支援をしていたようです。―組織的な動きになったのはどの段階からですか
作業自体は早い時期から市役所とコミュニケーションを取りながら進めていましたが、市の方針が明確になり、陸前高田市建設業協会と市との災害協定に基づく形で作業することが決まったのは1カ月後ぐらいです。以降は比較的スムーズに仕事が進みました。
自衛隊とも毎日打ち合わせをして、機械が壊れたときは修理を手伝うなど、連携が取れていました。福井県の鯖江駐屯地の部隊で若い隊員さんも多く、当時の隊長さんは今も陸前高田に来てくれるなど交流が続いています。髙惣建設(株)提供:陸前高田市 2012年5月7日空撮写真
髙惣建設(株)提供:陸前高田市 2014年5月8日空撮写真
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん公共工事動向10月を更新しました
2014年11月 6日 09:49岩手県建設業協会
岩手県建設業協会ホームページ更新のお知らせです。
「各種情報」内の「東日本建設保証(株)岩手支店 提供資料」に東日本建設保証(株)岩手支店より情報提供頂いている公共工事動向(岩手県内10月版)を掲載しました。
↓PDFファイル↓
公共工事動向(岩手県内)10月版→ こちら(PDF)『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第27回)
2014年10月31日 11:20岩手県建設業協会
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認す るとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
(第16回より、内陸からの後方支援を掲載しています)
第27回は(株)山友建設(一関市)熊谷堅美さんです。(株)山友建設 熊谷 堅美さん(64歳:震災当時)
《職種》大型ダンプ運転手
《啓開作業時の作業内容》大型ダンプ運転手
「どこからどう手を付けるのだろうと思いました」―陸前高田市での作業はいつからでしたか
建設業協会からの要請の分は4月25日から8月12日迄で、その後も何度か行きました。作業はダンプでのガレキの運搬作業です。
―会社から指示を受けた時に思ったことは
本音を言えば、出来れば行きたくない気持ちがありましたね。被災した人たちに会うのが、気が引ける気持ちでした。家が流された人や亡くなった人が、いっぱいいましたから。
―震災後、陸前高田市に行ったことはありましたか
親戚がいるので、仕事以外で何度か訪れました。町そのものが無くなって、木造というのはこんなにも簡単に流されるのかと驚きました。地震の経験はありますが、津波というものは記憶がありませんでしたから。その頃から、「近いうちにも陸前高田市に行かなければならないだろう」と会社の中で話が出ていました。
―現地に作業に入った際、感じたことはありますか
どこからどう手を付けるのだろうと思いました。初日の打ち合わせで指示を受けましたが、戸惑いの方が大きかったです。
―作業には慣れましたか
一週間程で慣れました。建物が無いので、比較的走り易かったです。私の場合、たまたまですがパンクは1回だけです。最初の頃、病院の近くで薬品のような独特の臭いがしたのを 覚えています。
―作業の上で気を付けたことは
連休明けの5月10日ごろ、それまでの市街地から広田半島の泊漁港周辺に入りました。こちらは道が狭く、自衛隊の車も入っていましたので通行に苦労しました。自衛隊と相談して もらい、集積所からの往復を山側ルートと海側ルートに分け、一方通行にしてもらいました。
ただ、道が狭いうえに枝道があまりなく、人も歩くので神経を使いましたね。積み荷の落下防止にも十分に注意を払いました。―地盤沈下の影響は
市街地でも満潮の時は水が入って来ました。市役所周辺でも水が入ってきた時は通れない道路があって、ルートを変えることがありました。
―つらかったことはありましたか
広田の方で残っている家の解体が始まり、立派な家が解体されるのを見ると、なんとも言えない気持ちになりましたね。また、家の持ち主がよく見に来ていました。最初はかける言 葉もありませんでしたが、段々と話すようになりました。3回目の被害を受けたという家の人が、「もうこの場所には建てません」と言っていたのが印象に残っています。
地元業者の人たちが多く入っていて、作業員にも被災した人たちがいましたから、言葉には気を付けて話をしました。―8月12日に一区切りとなって、思ったことや作業上の教訓は残りましたか
一応、協会としての分は終わりましたが、まだまだ先があるので、「また来なければならないのかな」と思いました。実際に何度か来ることがありました。
教訓については、考えるゆとりがなかったと思います。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/03/04_1755.html">第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/02/21_1742.html">第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『私たち、僕たち、頑張っています!』(第12回)建設業に従事する女性・若者インタビュー
2014年10月29日 15:47岩手県建設業協会
『私たち、僕たち、頑張っています!』では建設業に従事する女性及び若者の紹介記事を不定期に掲載致します。
建設業で頑張っている女性や若者を紹介することで、多くの方に建設業の魅力を知って頂きたいと思います。また、建設業に興味を持っている方、入職を希望される方が建設業について少しでも知って頂けるきっかけになれば幸いです。
第12回は、株式会社平野組(一関市)の大場優也さんです。所属会社:株式会社平野組(一関市)
氏 名:大場優也さん
職 種:建築技術者
経験年数:1年6カ月
仕事内容:現場管理、写真管理_thumb.jpg)
<入職した動機、きっかけは?>
小さい頃から近所の大工さんの所へ遊びに行っており、物造りが好きでした。その頃から建物を造る仕事がしたいという思いがあり、入職しました。
<仕事のやりがいは?>
自分が最初から携わった工事が完成し、お客様に引き渡した時に、それまでの苦労が報われた気がしました。その後、実際に使われているのを見て、頑張って良かったと思えました。_thumb.jpg)
<苦労していることは?>
分からない事ばかりで、全てが大変です。一つ一つ着実に覚え、早く一人前になれるよう頑張ります。
<将来の目標は?>
自分で現場を持ち、皆さんに喜ばれるような建物を造り、地図に載る誰もが聞いても分かるような建物を造りたいです。
<上司から一言>
フットワークよく動いてくれています。君は若手のホープです。更なる活躍に期待しています。
大場さん、ありがとうございました。会社の大きな期待にこたえて、これからも頑張って下さい。
『私たち、僕たち、頑張っています!』では、会員企業の会社で働く女性・若者を募集しています。
若者については概ね25歳以下(女性は年齢不問)の方でお願いします。技術者、技能者、運転手の方など、職種は問いませんのでご協力をお願い致します。
バックナンバー
第11回(14/09/26)工藤建設株式会社(奥州市)佐々木彩さん
第10回(14/08/28) 株式会社 千葉匠建設(北上市) 高橋秀子さん
第9回(14/06/26) 株式会社 小原建設(花巻市) 伊藤春香さん
第8回(14/05/28) 株式会社 熊谷工務店(盛岡市) 稲荷平麻衣子さん
第7回(14/04/25) 刈屋建設 株式会社(宮古市) 奥地裕介さん
第6回(14/03/28) 松田重機工業 株式会社(遠野市) 八木義行さん
第5回(14/02/26) 株式会社 下河原組(盛岡市) 佐藤美由紀さん
第4回(14/01/29) 株式会社 佐々木組(一関市) 佐藤章さん
第3回(13/12/17) 豊島建設 株式会社(大船渡市) 菊池信幸さん
第2回(13/11/15) 高田工業 株式会社(花巻市) 中村隼太さん
第1回(13/10/23) 株式会社 青紀土木(釜石市) 倉澤久美さん建設業景況調査9月調査について
2014年10月29日 14:58岩手県建設業協会
岩手県建設業協会ホームページ更新のお知らせです。
東日本建設保証(株)岩手支店より情報提供頂いている建設業景況調査9月調査(平成26年度第2回、東日本大震災被災地版)を「各種情報」内の「東日本建設業保証(株)岩手支店提供資料」に掲載しました。
↓PDFファイル↓
建設業景況調査(岩手県版)9月調査
調査結果(概要) → こちら(PDF)
データ表 → こちら(PDF)
建設業景況調査(東日本大震災被災地版)9月調査
調査結果(概要) → こちら(PDF)『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第26回)
2014年10月20日 20:54岩手県建設業協会
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
(第16回より、内陸からの後方支援を掲載しています)
第26回は(株)山喜建設(一関市)三浦公夫さんです。(株)山喜建設 三浦公夫さん(45歳:震災当時)
《職種》大型ダンプ運転手、重機オペレーター
《啓開作業時の作業内容》大型ダンプ運転手、重機オペレーター
「誰かが困っているときに、いくらかでも役に立てれば」―震災発生時はどちらにいましたか
一関市藤沢町の現場にいました。現場の作業はストップとなり、片付けをしてから4時か5時ごろに家に帰りました。帰宅後にラジオを聞いて、初めて津波の事を知りました。
数日後から、室根地区の業者で、気仙沼市の断水地域での給水支援が始まりました。私も交代で何日か行きました。現地の人は本当に水を必要としていて、その様子を見て涙が出る思いでしたね。―陸前高田市での作業はいつからですか
4月25日から今年の4月30日までの3年間です。途中、岸壁の嵩上げ作業などにも従事しました。
千厩支部を主体とした8月12日までの作業では、ダンプでガレキ運搬。翌年1月頃から1年ほどはガレキ片付けの重機オペラーターとして、その後、ガレキの集積場での選別作業や堆積土の除塩プラントでの運搬作業に従事しました。―気仙沼市での給水、その後、陸前高田市に入りましたがその時の印象は
最初に気仙沼市に入った時は、被害状況にびっくりしたというか唖然としました。生活している人たちはどうなったのだろうと思いました。
陸前高田市に初めて行ったときは、海から5km以上離れた橋にガレキがあって信じられませんでした。市内はどうなったのだろうと、血の気が引ける思いでしたね。―陸前高田市での作業を指示された時の思いは
指示を受けた時は、行くしかないと思いました。誰かが困っているときに、いくらかでも役に立てればとの思いです。家族からも「気を付けて頑張って」と言われました。
―作業上で気を付けたことは
安全第一で、ダンプ同士、重機とダンプ、作業員との接触に気を付けました。ダンプの数が多いので、すれ違いの際には自然に譲り合うようになりました。
とにかく無理や無茶はしないように気を配りました。他社の重機やダンプと共同で作業するので、余計に気を配りました。重機でガレキの上に上る際には、しっかりと盤を固めました。―困ったことはありますか
ダンプのパンクが何度かあって、困りましたね。高台で営業を再開していた自動車工場で修理してもらいました。釘やビス、鉄筋、金属などが原因です。特にガレキ集積場でのパンクが多かったです。
また、乾燥している時は、土埃が凄かったです。ダンプや重機の窓を閉めていても中に入って来ました。―つらい事はありませんでしたか
いつ終わるのかなと思うことはありました。選別処理で、大きなガレキの山についた時などです。ただ、月日が経ってガレキの山が減って行くと、やった甲斐があったと思えました。
―最後までガレキ処理に携わった思いは
全国から作業員が集まって、みんなで一丸となって夢中で取り組みました。だいぶ片付いたなという思いがありました。復興はまだまだですが、3年前の状況を思えば、ガレキは片付きました。出来る範囲ですが、少しでも役に立てたかなと思います。最後までいれて良かったです。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第25回)
2014年10月10日 18:26岩手県建設業協会
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
(第16回より、内陸からの後方支援を掲載しています)
第25回は横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さんです。横田建設(株)高田営業所長 新沼克則さん(46歳:震災当時)
《職種》高田営業所長
《啓開作業時の作業内容》指示役
「「やっと自分も何かできるな」という思いでした」―震災時は
盛岡で研修会に参加していました。自宅がある大船渡に戻り、その日は妻の職場で一晩を過ごしました。小学生の子供たちは、中学校の体育館に避難していました。越喜来方面から回って、12日の朝に子供たちに再会できました。
大船渡市三陸町にある自宅は、手前まで津波が来ていたようです。―仕事に戻れたのは
3月20日頃、高田営業所に行ってみましたが何一つ残っていませんでした。陸前高田市の惨状は思っていた以上でした。
3月中は身動きが取れず、本社とは電話でやりとりをしていました。ガソリンが手に入るようになった4月頃から、本社に行けるようになりました。
その頃、建設業協会千厩支部として陸前高田市への支援の話が出ていました。拠点となる場所が必要となるので、社長の指示で高田営業所の開設準備を始めました。千厩支部として支援に入る4月25日までに営業所を立ち上げました。―陸前高田市でのガレキ撤去作業は
千厩支部としての支援は4月25日から8月12日でした。1班は青柳建設、2班は横田建設が頭になり、最初に乗り込んだ時は5社ずつの10社くらいだったと思います。終わるころには全体で20社近くになり、2班だけでも30人弱の体制になっていました。
―どの様な指示で動いていましたか
陸前高田市建設業協会から作業場所の指示を受け、1班と2班で振り分けて作業を行いました。最初は市役所周辺、その後に市街地を転々として、最終的には小友地区に入りました。
地元の建設業者の人に知っている人が多かったので、コミュニケーションは取り易かったと思います。朝礼は千厩支部の1、2班が一緒に行い、月に1回は全体の打ち合わせがありました。―自宅が大船渡市にある新沼さんですが、作業に入ると聞いた時に思ったことはありますか
地元の建設業者が動いているのを1カ月ほど見ていましたので、自分もたずさわりたいという歯痒さを感じていました。動くと聞いた時には、地元の気仙地区に対して「やっと自分も何かできるな」という思いでしたね。
1班の青柳建設の指示役は、3年前に建てた家が流され、仮設住宅から通っていました。陸前高田市が地元でしたので、強い思いを持っていました。―どういうことに気を付けて指示を出しましたか
流された家の人が作業を見に来るので、「出来るだけ要望を聞くように」と話しました。
家の持ち主が何かを探しに来ても、なかなかその場所で見つかることはありませんでした。半壊の家では手作業を交えることもありました。出来れば見つけてあげたかったです。
基礎を壊して良いかなど、細かいところで分からないことは、その都度、陸前高田市建設業協会に指示を仰ぎました。―8月12日に引き上げる時の思いは
一見するとだいぶ片付いたように見えますが、その分、ガレキの山が高く積みあがっていました。「この先、何年かかるのだろう」という思いでした。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん講習会等のお知らせ
2014年10月 8日 09:23岩手県建設業協会
①平成26年度新分野進出等表彰事業の応募について
岩手県では、新分野・新事業への進出、新技術・新工法の開発等への先進的・意欲的な事業の取り組み事例の中で、①雇用効果が高いもの、②事業の継続性、将来性の発展可能性があるもの、③地域経済社会への貢献が認められる等の取り組みをしている建設企業を表彰いたします。
応募期間:平成26年10月8日(木)~平成26年11月5日(水)
問 合 先:岩手県県土整備部建設技術振興課 TEL019‐629‐5942
建設技術振興課ホームページ
http://www.pref.iwate.jp/kensetsu/shingijutsu/028841.html
②第4回経営革新講座
原価管理の視点から、建設原価を科学的に確認し、原価構造が破壊される様々な要因やメカニズムを解明したうえで原価基本構造や突然変異の兆候を発見する方法、解決策などを説明いたします。
労働災害の県内状況と災害防止対策について建設業労働災害防止協会より説明をいたします。
講師:阿座上洋吉氏
講習時間 10:00~15:00
10月30日(木) 建設業協会久慈支部会館 定員50名
10月31日(金) 建設研修センター 定員50名
案内・申込書 詳細はコチラ
http://www.iwaken.or.jp/00data/keieisienncenter/H26kouza/H26kouza4.pdf宇部トンネル工事を高校生が見学(久慈編)
2014年10月 3日 07:59岩手県建設業協会
公共工事動向9月を更新しました
2014年10月 2日 18:15岩手県建設業協会
岩手県建設業協会ホームページ更新のお知らせです。
「各種情報」内の「東日本建設保証(株)岩手支店 提供資料」に東日本建設保証(株)岩手支店より情報提供頂いている公共工事動向(岩手県内9月版)を掲載しました。
↓PDFファイル↓
公共工事動向(岩手県内)9月版→ こちら(PDF)『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第24回)
2014年9月30日 18:07岩手県建設業協会
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まってい ました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や 地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認す るとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
(第16回より、内陸からの後方支援を掲載しています)
第24回は鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さんです。鈴木工材(株)菊地勝則さん(43歳:震災当時)
《職種》オペレーター
《啓開作業時の作業内容》オペレーター
「沿道の人たちから手を振られて」―震災当日の3月11日は、どこで仕事をしていましたか
私は一関市内の治山工事の現場にいました。土砂崩れなどは無かったのですが、現場も相当に揺れたので作業を一時中断して会社に戻りました。
―被災地に入るという指示は
翌12日に会社から現地入りするという話を聞いて、やはり行くしかないだろうなと、そして自分が行くことになるだろうなとは思いました。
―陸前高田市の現場に入ったとき、どのような印象を持たれましたか
この辺りの記憶は曖昧ですが、たぶん車載テレビか何かで現地の様子は見ていたんですよ。でも現地に行ってみれば、テレビの画面で見るのとは全くの別物。
とにかく被害は広範囲にわたっているし、橋も流され、気仙中学校の建物も被害を受けています。地元の人たちは本当に大変だろうなという思いしかなかったですね。―14日からの現地作業では、どのような仕事を
長部地区の国道45号を啓開し、車1台分が通れるだけの道路を確保するのが私たちに与えられた役目でした。宇部建設と矢萩建設のグラップルが先行してがれきを撤去し、私が後 からブルドーザーで細かいがれきや土砂をどける工程で進めました。
がれきが多くなると、後ろから見ていても分かるぐらい作業のスピードが遅くなるのですが、私はそれを後ろから見守っているしかないんですよね。―作業中に気をつけたことは
ご遺体を見つけたときは触らず、消防団の方に連絡するようにと。ご遺体が出てくることが前提にあるとは、現地に行くまでは考えていなかったので、恐ろしい気持ちにはなりまし た。
―作業していて、困ったことや危険な思いをしたことは
特にはなかったです。ただし、マンホールの場所が分からないから、引っかからないよう細心の注意を払いました。
―普段は山の仕事が多いと思われますが、土砂の違いとかを感じたことはありませんか
普通の砂とか土砂利のような感覚で、違和感はなかったですね。むしろがれきが含まれている分、軽いなという感じでした。海が近い場所だからといって、特に恐ろしいという思いも持ちませんでした。
―2日間とはいえ、慣れない作業で相当に疲れたのではないですか
やっぱり疲れましたね。現地の作業もそうですが、長い移動が意外と疲れるんですよ。私はただ乗せられているだけなんですけどね。
―現地で作業しているときに印象に残っていることはありますか
被災した人と直接会話をしたわけではありませんし、がれきを直接撤去するのは前の2人ですから...。そういえば、機械を運んでダンプで走っているとき、沿道の人たちが私たちに 手を振ってくれたんですよ。激励してくれていたのでしょうかね。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『私たち、僕たち、頑張っています!』(第11回)建設業に従事する女性・若者インタビュー
2014年9月26日 18:16岩手県建設業協会
『私たち、僕たち、頑張っています!』では建設業に従事する女性及び若者の紹介記事を不定期に掲載致します。
建設業で頑張っている女性や若者を紹介することで、多くの方に建設業の魅力を知って頂きたいと思います。また、建設業に興味を持っている方、入職を希望される方が建設業について少しでも知って頂けるきっかけになれば幸いです。
第11回は、工藤建設株式会社(奥州市)の佐々木彩さんです。
所属会社:工藤建設株式会社(奥州市)
氏 名:佐々木彩さん
職 種:土木技術者
経験年数:6カ月
仕事内容:主に測量
<入職した動機、きっかけは?>
祖父の大工仕事を見てものづくりに興味を持ち、高校で土木を選択したので、卒業後もそれを生かす仕事に就きたいと考えました。
<仕事のやりがいは?>
入社してそんなに期間が経っていませんが、先輩方と測量などをしながら、図面どおりに何も無かったところに工作物が作られていく過程を目の前で見られることで元気が出ます。_thumb_1.jpg)
<苦労していることは?>
学ぶことが多いことと、肉体労働なので体が慣れるまで疲れがなかなかとれないことがありますが、日々勉強の毎日です。_thumb.jpg)
<将来の目標は?>
現場で経験をしながら少しずつ学んでいき、早く自分でも現場をもてるようになりたいです。
<上司から一言>
今は覚える事だけで精一杯かと思うが、まずは基本をしっかりと身に着け、徐々に自分で考えて行動できるようになって欲しい。近い将来、現場を持ってもらいたいと思います。大いに期待しています。
佐々木さん、ありがとうございました。日々、覚えることが沢山あって大変だと思いますが、会社と建設業の将来のために頑張って下さい。
『私たち、僕たち、頑張っています!』では、会員企業の会社で働く女性・若者を募集しています。
若者については概ね25歳以下(女性は年齢不問)の方でお願いします。技術者、技能者、運転手の方など、職種は問いませんのでご協力をお願い致します。
バックナンバー
第10回(14/08/28) 株式会社 千葉匠建設(北上市) 高橋秀子さん
第9回(14/06/26) 株式会社 小原建設(花巻市) 伊藤春香さん
第8回(14/05/28) 株式会社 熊谷工務店(盛岡市) 稲荷平麻衣子さん
第7回(14/04/25) 刈屋建設 株式会社(宮古市) 奥地裕介さん
第6回(14/03/28) 松田重機工業 株式会社(遠野市) 八木義行さん
第5回(14/02/26) 株式会社 下河原組(盛岡市) 佐藤美由紀さん
第4回(14/01/29) 株式会社 佐々木組(一関市) 佐藤章さん
第3回(13/12/17) 豊島建設 株式会社(大船渡市) 菊池信幸さん
第2回(13/11/15) 高田工業 株式会社(花巻市) 中村隼太さん
第1回(13/10/23) 株式会社 青紀土木(釜石市) 倉澤久美さん『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第23回)
2014年9月18日 14:14岩手県建設業協会
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
(第16回より、内陸からの後方支援を掲載しています)
第23回は宇部建設(株)(一関市)工事副長の千田祐欣さんです。宇部建設(株)工事副長 千田祐欣さん(37歳:震災当時)
《職種》オペレーター
《啓開作業時の作業内容》オペレーター
「必要とされるならばどこにでも」―最初は大船渡から現地入りしたのですよね
13 日に三陸国道事務所の大船渡維持出張所に入って打ち合わせをしたところ、大船渡側では自衛隊が動いているから、私たちは気仙沼側から入って、陸前高田市内の国道45 号の道路啓開を行うことになりました。
当社からは、バックホウとダンプを1台ずつ。あとは重機運搬の計3人体制で現地に入りました。―指示を受けたのは12日ですか
社長から指示を受けた時、現地はどれだけ悲惨な状況だろうと思いましたね。その時点では津波警報も解除されていませんでしたし、余震も頻発していましたから、2次災害が心配でした。家族からは気をつけて行ってこいの一言で、仕事に対しては前向きに理解をしてもらいました。
―現地に入っての印象は
事前に携帯電話のテレビで現地の様子は見ていたのですが、小さい画面で一部を切り取って見るのとは全く違い、視界全部にあの光景が広がっていました。言葉も出ないし、想像を絶するとはこのことを言うのだろうと思いました。
―現地ではどのような作業を
まずは地元消防団が行方不明者の捜索をして、OKであれば私と矢萩建設の関村さんがグラップル付きのバックホウでがれきを撤去するという作業です。
やはり間違って行方不明者を機械でつかんで傷付けてしまわないよう、この部分には本当に注意を払いました。また現地の人からは、プロパンに気をつけるように教えていただきました。―現地作業で、困ったことなどはありましたか
私たちが入った場所は、がれきが陸地の奥まで押し流されていたので、国道45号の上は比較的がれきが少なく、さほど大変な作業だという感じはありませんでした。
ただし、「がれき」とはいっても人の家ですから、やはり気が引けますよね。おそらくまだ使える品や思い出の品とかもあるのでしょうから、後から引き取りに来る人のことも意識しながら作業をしました。―地元の人たちとは何か会話をもたれましたか
私はそれほどはなかったです。ただ、家族を探しに来ている人や泣き崩れている人を見かけたときは心が痛みましたね。
また作業の終わり頃に、地元の人たちから小さい港の方も何とかしてほしいという話をいただきました。個人的な思いとしては何とか協力したかったのですが、あくまでも指示を受けて動く立場なので、私の一存で勝手に動くわけにも行きませんから。これが心残りと言えばそうなりますね。―一関支部は、みなさん非常に防災意識が高いですよね
そうですね。私も必要とされるのであればどこにでも。拒否するつもりはありません。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第22回)
2014年9月11日 14:26岩手県建設業協会
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
(第16回より、内陸からの後方支援を掲載しています)
第22回は(有)矢萩建設(一関市)重機主任の関村一男さんです。(有)矢萩建設 重機主任 関村一男さん(63歳:震災当時)
《職種》・オペレーター
《啓開作業時の作業内容》オペレーター
「岩手宮城内陸地震とは全く別の体験として」―震災後、何日目から現地入りされたのですか
大船渡市内にある三陸国道事務所の出張所に重機を運搬したのは震災発生の2日後、3月13日です。そこで陸前高田市の道路啓開に当たるよう指示を受け、午後1時半過ぎに大船渡を出て、大東町から気仙沼経由で陸前高田に着いたのは夕方5時過ぎ。実際の作業は翌朝からとなりました。
―被災地に入られての印象は
大船渡の出張所からは、重大な被害状況は見えなかったのですが、気仙沼から陸前高田に入った時には本当に驚きました。
船は打ち上げられ、橋も上流部に流されていました。たぶん気仙大橋だったんでしょう。陸前高田はよく知っている場所でしたが、何も残っておらず、いわゆる奇跡の一本松がぽつんと残っているのが見えたことを覚えています。―道路啓開作業はどのように進められたのですか
車1台が通れる幅を確保するよう、グラップル付きバックホウ2台とブルドーザー1台で、気仙中学校前を起点に国道45 号を北に向かって道路を開きました。私たちのグループには、国交省の職員が同行してくれたほか、地元消防団の方も自主的に合流していただき、先行して行方不明者の確認に当たってくれました。
―関村さんは、岩手宮城内陸地震でも現場の土砂撤去に従事されています。そのときの経験が生かされたことも多かったのでは
いや、私にとっては全く別の体験ですね。内陸地震では山の中で膨大な土砂をひたすら撤去する仕事でしたが、今回はがれきの中に行方不明者がいる可能性もあるので、とにかく慎重さが求められました。
―余震も多かったと思います
作業中に警報が出た時など、迅速に避難できるよう、グループの最後尾には、移動用の車両がバックで付いてくるようにしていました。14日の午前11時20分頃には大津波警報が出て、作業を一時中断して高台に避難しています。震災直後だったので、さすがに恐ろしかったです。
―現地での食事はどのように
支部事務長の阿部さんや会員企業の女性職員の方が、関係機関に炊き出しをしていたので、私たちもおにぎりを持って現地に行くことができました。商店も多くが閉まっていた時期なので、とても助かりましたね。
―現地では被災された方とは会われたのですか
一度、母親に連れられた小さい子供に会いました。父親を探しに来ていたようです。「探しに来てくれたんですか?」と聞かれたのですが、自分たちは道路を開けに来たとしか答えられなくて...。本当に気の毒でしたね。
―2日間の作業で得た教訓などがあれば
状況に応じて、その場ごとの判断が求められることを改めて感じました。いずれにせよ、二度とこのような災害は起きてほしくない。それだけですね。作業に当たった人はみんな同じ思いではないでしょうか。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん公共工事動向8月を更新しました
2014年9月 5日 14:25岩手県建設業協会
岩手県建設業協会ホームページ更新のお知らせです。
「各種情報」内の「東日本建設保証(株)岩手支店 提供資料」に東日本建設保証(株)岩手支店より情報提供頂いている公共工事動向(岩手県内8月版)を掲載しました。
↓PDFファイル↓
公共工事動向(岩手県内)8月版→ こちら(PDF)高校生現場見学会(野田村編)
2014年9月 3日 11:05岩手県建設業協会
8月27日(水) 種市高等学校(海洋開発科3年)生徒対象の建設工事現場見学を実施しました。
見学場所:野田地区海岸防潮堤工事
発注者:県北広域振興局土木部
発注者より事業概要について説明①
発注者説明② 命を守る構造物
施工者説明 建設中現場見学
土のうづくり体験学習


地元建設会社に就職した種市高校卒業生から後輩へ向けて一言


8月27日(水)は午前に一般県道田野畑岩泉線 千丈~室場地区道路改良工事の現場見学を行いました。
その様子はこちらです
↓ ↓ ↓ ↓
http://www.iwaken.or.jp/info/2014/08/28_1408.html『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第21回)
2014年8月29日 21:05岩手県建設業協会
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
(第16回より、内陸からの後方支援を掲載しています)
第21回は吉田建設(株)(盛岡市)の三浦 一春さんです。吉田建設(株) 三浦 一春さん(38 歳:震災当時)
《職種》土工・ダンプ運転手
《啓開作業時の作業内容》ダンプ運転手
「ダンプの中で穏やかな海を見ながら」―宮古市内ではどのような作業を
4月に入ってすぐ、鍬ケ崎のがれき運搬に1週間ほど当たりました。指定された場所でがれきを集積して、出崎埠頭の仮置き場に運搬する作業が中心です。
土地勘はありませんが、指示された先に自衛隊のトラックなども見えて、道に迷うことは無かったです。また一般車両は警察が通行止めにして、作業経路は一方通行にルートを決めていたので、危険な思いはしませんでした。―被災地支援の仕事に不安はありませんでしたか
特に不安は無かったのですが、緊急地震速報が頻繁に出ていた時期でしたから、朝礼中に全員の携帯が一斉に鳴ったときは慌てましたね。自衛隊や地元の人は冷静に対応していましたが。
ダンプに乗っている時にも山側の高台を確認しながら、津波が来たらどこに逃げるか考えていました。リュックの中には貴重品や非常用品などをまとめて、万が一の時にはそれ一つを持って逃げられるようにしていました。―タイヤのパンクなども心配ですが
パンクは避けられないものと最初から割り切っていましたが、幸いパンクはしませんでした。また細い道に入るときなどは、がれきや家の基礎を踏まないよう、解体した家から出た畳を自衛隊の人が敷いてくれました。
―現地での食事はどのように
現場に向かう途中、コンビニで調達です。当時は品不足でしたが贅沢は言えませんから、お腹にたまるものなら何でも、という感じで。ダンプの中で食事をしている時、目の前に広がるゆらゆらと静かな海面を見ながら、今はこんなに穏やかな海が恐ろしい被害をもたらしたのかと、不思議な感覚にとらわれました。
―現地で印象に残っていることは
持ち主が解体を許可した建物に、スプレーで「OK」と書かれているのを見るのは悲しかったですね。あぁもう少しでこの家も壊されてしまうのかと思いながら走ったことを覚えています。家を解体する際に見つかった写真やアルバムは持ち主の人に渡しており、私も額縁の裏から見つけたへそくりを手渡したことがあります。被災された方が少しでも笑顔を見せてくれたことで、もっと頑張ろうという気持ちになれました。
また、運転しながら警察の方が集まっているところも見ました。きっとご遺体が見つかったのでしょう。亡くなった人は気の毒ですが、行方不明のままではなく、一日も早く家族のもとに帰ってほしいと思いました。―1週間の作業が終わって、どのような思いを持たれましたか
現地で「子どものカバンを探しています」という張り紙を見かけたんですよ。きっとお子さんが大切にしていたんでしょうね。作業を手伝うときに探したのですが、結局見つけることができませんでした。これが心残りといえば、そうなるんですかね。カバンを見つけてあげたかったですね...。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/03/04_1755.html">第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/02/21_1742.html">第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん『私たち、僕たち、頑張っています!』(第10回)建設業に従事する女性・若者インタビュー
2014年8月28日 08:38岩手県建設業協会
『私たち、僕たち、頑張っています!』では建設業に従事する女性及び若者の紹介記事を不定期に掲載致します。
建設業で頑張っている女性や若者を紹介することで、多くの方に建設業の魅力を知って頂きたいと思います。また、建設業に興味を持っている方、入職を希望される方が建設業について少しでも知って頂けるきっかけになれば幸いです。
第10回は、株式会社千葉匠建設(北上市)の高橋秀子さんです。
所属会社:株式会社千葉匠建設(北上市)
氏 名:高橋秀子さん
職 種:住宅建築技術者
経験年数:10年
仕事内容:住宅のエクステリア(外周りの設備、庭)、リフォーム担当_thumb.jpg)
<入職した動機、きっかけは?>
建設業ではないのですが家業がモノづくりをしていて、子供の頃からモノづくりに興味がありました。モノが出来ていく過程を見ているのが好きで住宅関連業種を選びました。
<仕事のやりがいは?>
お客様と打ち合わせをして、いかにしてお客様の予算に合わせて理想に近づけるものを作るかを試行錯誤し、完成した時にお客様の笑顔をいただいた時の達成感は何とも言えません。この仕事をしていて良かったと感じます。
<苦労していることは?>
外での仕事なので、お手洗いの場所のチェックは欠かせません。
それと外出したときは必ずいろいろな建物、道路状況を見てイメージトレーニングを行っています。とにかく日々勉強の毎日です。
<将来の目標は?>
セールスエンジニアを目指して、もっと多くの現場を見て、経験し、お客様や取引業者様に必要とされる技術者になりたいです。
<上司から一言>
お客様の話をきちんと聞いて、仕事に活かす努力家です。
地域貢献活動にも毎回積極的に参加して、同業者からの信頼も厚く、更なる飛躍を期待しています。
高橋さん、ありがとうございました。お客様や会社からの信頼が厚く、やりがいを持って仕事に取り組んでいる印象を受けました。これからも頑張って下さい。『私たち、僕たち、頑張っています!』では、会員企業の会社で働く女性・若者を募集しています。
若者については概ね25歳以下(女性は年齢不問)の方でお願いします。技術者、技能者、運転手の方など、職種は問いませんのでご協力をお願い致します。
バックナンバー
第9回(14/06/26) 株式会社 小原建設(花巻市) 伊藤 春香さん
第8回(14/05/28) 株式会社 熊谷工務店(盛岡市) 稲荷平 麻衣子さん
第7回(14/04/25) 刈屋建設 株式会社(宮古市) 奥地 裕介さん
第6回(14/03/28) 松田重機工業 株式会社(遠野市) 八木 義行さん
第5回(14/02/26) 株式会社 下河原組(盛岡市) 佐藤美由紀さん
第4回(14/01/29) 株式会社 佐々木組(一関市) 佐藤章さん
第3回(13/12/17) 豊島建設 株式会社(大船渡市) 菊池信幸さん
第2回(13/11/15) 高田工業 株式会社(花巻市) 中村隼太さん
第1回(13/10/23) 株式会社 青紀土木(釜石市) 倉澤久美さん『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~(第20回)
2014年8月19日 18:48岩手県建設業協会
東日本大震災における道路啓開等作業従事者証言集
東日本大震災における被災現場の最前線で、地元建設業者は人命救助活動や道路啓開作業、応急・復旧作業などにあたりました。その活動は、震災当日から翌日にかけて始まっていました。
地元を熟知して、重機類を保有する地元建設業者は当初、緊急車両などの通行を確保する為の道路啓開作業(1車線だけでも通行できるようにする)が主な活動でした。行政や地元住民との信頼関係を築いていたことが迅速な活動につながりました。
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~では、最前線で作業にあたった方々の「生の声」をお伝えします。建設業者が果たした役割について再確認するとともに、震災の実情を風化させないことを目的としております。
(第16回より、内陸からの後方支援を掲載しています)
第20回は盛岡舗道(株)(盛岡市)高橋直美さんです。盛岡舗道(株)機械係長 高橋直美さん(43歳:震災当時)
《職種》オペレーター
《啓開作業時の作業内容》オペレーター
「地元の人たちの頑張りがなければ」―高橋さんはどの時点から作業に入られたのですか
4月の5日あたりからだったと思います。私の会社からは重機1台と大型ダンプ2台の4人体制で、主な仕事はがれきの撤去と自衛隊の行方不明者捜索支援。私は2週間ずっと田老に通いました。
―2週間休み無しで、しかも連日の通い。相当疲れたのではないですか
朝一番に作業に入れるように毎朝5時半には盛岡を出て、夕方5時まで現地で作業ですから。正直疲れましたね。
とはいえ、災害の有無に関わらず忙しい時には休みなしで働くこともあるので、自分の中ではあくまでも普段通りという感覚でいました。―会社からの指示を受けたときに感じたことは
率直に言ってしまえば、行きたくはなかったです。先に現地入りした会社の方からご遺体を見つけた話も聞いていましたし、多くの人が亡くなった被災地を自分の目で見るのは辛いなという思いはありました。
―実際に現地に入られて、どのような思いを持たれましたか
家の形も残っていないぐらいの、想像していた以上の惨状でしたね。作業はがれきを一つよけては自衛隊が確認するという段取りで、心掛けたのは、とにかく慎重にということ。
ご遺体を見つけたショックで体調を悪くした人もいました。私自身はご遺体を見つけることは無かったのですが、マネキンの頭や手足がたくさん出てきた時は、本当に驚きました。―作業を進めながら、気になったことはありましたか
機械が絶対的に不足していると感じました。私の周囲ではバックホウ7台、ダンプ30台ぐらいがひっきりなしに動いていたのですが、がれきの山が減っていく実感は無いし、もっと早くから多くの会社が入れなかったのかなという思いはあります。
―2週間の作業が終わり、どのような思いを持たれましたか
田老での作業には別の会社が引き続き当たるということで、私の仕事はここまでという感じでした。すぐに釜石の仮設住宅整備の現場に回りましたから安堵感はありませんし、もっと田老で作業を続けたかったというような特別な感慨も無かったですね。
―被災地で作業に当たり、盛岡にいると気が付かなかったこともあるかと思います
被災した人たちの本当に気の毒な姿は伝わっていないと感じました。「すべて流されて、自分には何も残っていない」とあきらめたように話す人もいましたし、自分の家があったはずの場所なのに、そこで見つかった写真は全く別人のものということは何度もありました。
心から気の毒だとは思いますが、だからこそ被災した人たちには、自分たちが新しいまちをつくるという気持ちを持ってほしい。厳しい言い方になるかもしれませんが、やっぱり地元の人たちの頑張りがないと、地域は盛り上がっていかないと思います。
(おわり)
『そのとき地元建設業は』~3.11東日本大震災、最前線の記憶~
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/03/04_1755.html">第38回(最終回) (株)山千(大槌町)代表取締役 山崎 真さん
href="https://www.iwaken.or.jp/info/2015/02/21_1742.html">第37回 (株)藤原組(大槌町)専務取締役 藤原 士さん
第36回 松村建設(株)(大槌町)土木部長 松村康文さん
第35回 (株)共立土木(陸前高田市)工事課長 鈴木正幸さん
第34回 (株)かねまつ建設(陸前高田市)取締役専務 菊池秀明さん
第33回 (株)長谷川建設(陸前高田市)営業部長 吉田昭彦さん
第32回 南建設(株)(軽米町)取締役社長室長 田中一也さん
第31回 (株)中舘建設(二戸市)土木部長 大鳥義博さん
第30回 成和建設(株)(花巻市)重機車両部執行役員部長 民部田正道さん
第29回 (株)小原建設(北上市)小田島愼さん
第28回 髙惣建設(株)(奥州市)高田営業所長 小野寺正晴さん
第27回 (株)山友建設(一関市)熊谷堅美さん
第26回 (株)山喜建設(一関市)三浦公夫さん
第25回 横田建設(株)(一関市)高田営業所長 新沼克則さん
第24回 鈴木工材(株)(一関市)菊地勝則さん
第23回 宇部建設(株)(一関市)工事副長 千田祐欣さん
第22回 (有)矢萩建設(一関市)重機主任 関村一男さん
第21回 吉田建設(株)(盛岡市)三浦一春さん
第20回 盛岡舗道(株)(盛岡市)機械係長 高橋直美さん
第19回 三陸土建(株)(盛岡市)伊藤成美さん
第18回 松田重機工業(株)(遠野市)重機部長 菊池隆悦さん
第17回 佐藤工業(株)(遠野市)飯森清幸さん
第16回 (株)テラ(遠野市)常務取締役 小笠原秀夫さん
第15回 (株)晴山石材建設(野田村)上川寿隆さん
第14回 (株)晴山組(野田村)山田 勉さん
第13回 兼田建設(株)(久慈市)大尻明男さん
第12回 佐藤建設(株)(田野畑村)常務取締役 片座康行さん
第11回 富山建設(有)(山田町)代表取締役 富山由光さん
第10回 三好建設(株)(宮古市)土木部次長 小川 司さん
第9回 大崎建設(株)(田野畑村)橘 良友さん
第8回 工藤建設(株)(岩泉町)土木部技士 西倉淳也さん
第7回 刈屋建設(株)(宮古市)五十嵐 和朗さん
第6回 (株)小松組(大船渡市)代表取締役 小松 格さん
第5回 (株)青紀土木(釜石市)萬 寛さん
第4回 佐野建設(株)(釜石市)八重樫充さん
第3回 新光建設(株)(釜石市)工事課長 中村 明さん
第2回 (株)中澤組(大船渡市)機材主任 霜山 隆さん
第1回 (有)熊谷技工(大船渡市)専務取締役 熊谷芳男さん
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